ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2017.6.12 とかく医師と患者のコミュニケーションは難しい?

2017-06-12 20:50:17 | 日記
 母が退院後初めての診察に出かけた。
 付き添いが出来ればよかったのだけれど、入退院の付き添いで2週連続定例の会議を欠席しているため、今日は一人で行ってもらった。

 一昨日、実家訪問した時には眼帯を外して、まだなんとなくチクチクするけれど、歪みもなくなったし歩いていて怖くなくなった、手術してもらって良かった、と言っていたので、めでたしめでたしと思っていた。だが、昨日電話をすると、飛蚊症のように黒い細い筋が鬱陶しくて調子が悪いとのことだった。

 このブログでも書いたように、術前の最終診察に付き添った折、主治医のN先生からの詳細説明では、術後、網膜の浮腫みがあると眼に注射をする必要があり、それが一回で済む人もいれば、何回も行わなければいけない人がいて、1回1割負担でも結構な値段であるという話があった。

 隣で聞いていた私は、まあ運良く注射をしなくて済む人は殆どいない、1回の注射で済めばめっけもの、くらいの感じで受け取ったのだけれど、怖がりの母はそうではなかったようだ。
 術後の経過は順病で、「土曜日退院も出来るくらいだったのに、大事をとって月曜日まで入院したし、退院後の検査(つまり今日)では注射はありませんように・・・」という願望がいつのまにか、今日は大丈夫、注射はなし、という思い込みに変わって通院したらしい。

 患者にとって気の持ちようというのは結構大きなことで、ちょっと厳しめの覚悟をしていけば、大丈夫だったときに、ラッキー!と笑顔で帰ることが出来る。私は長年の通院経験から大抵そうして病院に行っているので、何かあってもそれほどテンションが落ちて帰ってくることはない。けれど、逆に大丈夫と思って、そうでなかったときには大きく落ち込むことになる。母は後者だったようだ。これはどうも母の悪い癖で、いつも見込みが甘い、根拠なしに大丈夫、と思うのである。

 大学病院だから混んでいるのは織り込み済み。予約していても2時間待ちはザラというのはこれまでの通院でも経験済みなはず。なのに、今日も予約時間はないがごとしで延々と待たされ、眼底検査やら網膜の検査等、あれこれあって2時間以上かかったら、すっかり待ち草臥れて疲れてしまったという。

 さらに、大丈夫だと思っていた注射が必要といわれ、そのままやってもらえるのか聞いたらお昼過ぎからだといわれ、すっかり嫌になってしまったそうだ。

 とはいえ、自分の左眼の不愉快な状況を1週間放置しておく方がよほど大変ではないか、果たしてこのまま放置していて大丈夫なのか、と思うのだけれど、母はそこが何故か結構頑固で、午後はヘルパーさんも来てくれることになっているし、今日はやめてもう帰らせてください、と来週また予約を入れて頂いて注射を打ちにいくことにしたそうだ。

 さらには、処方してもらった薬を取りに薬局に出向くと、こちらも混雑しており40分待ちと言われたそうな。疲れ果ててそんなに待てない、たまたま知人と一緒になって、その方から「ここはいつも混んでいるので私は近くの薬局で受け取っている」と話を聞いたものだから、受け取らずにさっさと帰ってきたそうだ。

 うーん、どこにでもある薬ならよいけれど、なるべくなら処方してくれた医師がいる病院に隣接した薬局で受け取るのが一番だと思うけれど、私が同行していなかったわけで、これももう後の祭り。

 とかく医師と高齢者のコミュニケーションというのは難しいのかな、と思う。どうしても自分に都合よくバイアスをかけて聞く傾向があるし、長く待てないし、すぐ疲れるし・・・。
哀しいかな、これが老いというものだろうとも思う。が、来週も午前午後と会議があり同行は難しいので、頑張ってもらうしかない。溜息である。

 私の風邪もいまだ抜けず。ゴミ箱はティッシュの山。どうも夫にうつしてしまったようで、2人で葛根湯を飲みまくる月曜日である。


コメント
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