goo blog サービス終了のお知らせ 

ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.12.25 20歳10か月の重責、クリスマス定演無事終了

2016-12-26 00:10:10 | 合唱
 昨夜は胸痛が収まらず、ロキソニンのお世話になってようやく眠りに落ちた。4時間近く眠ってお手洗いに目覚めたが、夫は小さく鼾をかきながらよく眠っている。私も再び目覚ましが鳴るまで眠ることが出来た。ひとまず今朝は痛みが落ち着いている。良かった。いつものように浴槽足湯を済ませる。

 友人とロビーで待ち合わせ、地下鉄に乗って予約していた朝粥の料亭へ。昨年も予約したかったのだけれど、年内の営業が終了しており、頂くことが叶わなかった。2年越し、満を持してのトライだ。
 地下鉄を降り、朝日を浴びたインクラインの線路と記念写真を撮りながら料亭を目指す。

 中庭の琵琶湖疎水が引かれているというせせらぎを窓辺に見ながら、朝陽を浴びて贅沢な朝食。起きてから既に3時間近く経っているので、もうお腹ペコペコである。

 三段重ねの上品な瓢箪の器には京野菜の煮物、和え物、酢の物などどれも美しく盛り付けられ、お腹に染み渡る上品なお味。白味噌仕立てのなめこと銀杏のお味噌汁も胃の腑に優しく落ちていく。最後は鶉のお粥。1時間近くかけて、美味しいねと皆で大満足。贅沢な時間を楽しんだ。

 食後は隣接する無鄰菴へ。ここは明治・大正の元老山縣有朋の別荘である。昭和16年に山縣家より京都市に譲渡され、近代の名園として国の名勝に指定されている。

 簡素な木造二階建ての母屋、茶室、煉瓦造り二階建ての洋館の3つの建物と東山を主山とする明るく開放的な芝生空間を持つ庭園だ。芝を植えた地に自然に遷移した約50種の苔が広がっているのが美しい。珍しい黄色の千両が見ごろだった。

 東京の椿山荘といい、この無鄰菴といい、山縣の別荘は日本各地に点在している。大したものだとため息をつきながらのんびりと庭園を散策し、母屋で和菓子とお抹茶を頂き、まったり。ここでも優雅な1時間を過ごすことが出来た。

 夫が先月、息子と紅葉を愛でながら歩いた南禅寺界隈はすっかり葉も落ちて冬景色。今日も青空で暖かく、散策日和である。再び地下鉄で京都駅まで戻る。

 朝食が遅くたっぷりだったので、駅ナカカフェでケーキとお茶を頂き、お昼替わりに。百貨店で息子への差し入れのお菓子等を買い求め、JRで一路コンサート会場へ向かう。おりしもクリスマスの日曜日、家族や大切な人たちと過ごすこんな日に、いったいどれだけの方たちが来てくださるのだろうとちょっと心配・・・。

 息子が通うキャンパスにあるグランドホールは、昨年の5月のお披露目と昨年のコンサート、今日で3度目である。到着したのは開場15分前だったが、早くも列が出来ている。私たちもそそくさとホールの入り口に並ぶ。

 団員たちはサンタクロースの赤い帽子を被ってそこかしこで案内をしている。息子たちが中心学年となって作り上げてきた集大成の日だ。夏以来ご無沙汰していた息子は、緊張の面持ちで開場の挨拶に備え、ロビーエントランスでスタンバっていた。
 定刻の開場宣言はかなりテンパっていたものの、なんとか噛まずに無事口上を終えて、こちらも胸をなでおろした。

 今回の演奏会、テーマは「飛翔」。団員一人一人の成長、団としての成長を成し遂げるために各々が歌唱、運営、様々な面において精進してきたとのこと。前部長と現部長の2人の名前が繋がっているという念の入れようだ。

 4つのステージから成り、第1ステージは2年生の学生副指揮者による混声合唱とピアノのための「初心のうた」。未来への強い意思を持ちながら、戦争という暗い過去に向き合う木島始さんの詩に、今を時めく信長貴富さんが曲をつけたもの。Ⅰ.初心のうた、Ⅱ.自由さのため、Ⅲ.とむらいのあとは、Ⅳ.でなおすうた、Ⅴ.泉のうた、と全5曲。素直で若者らしいいい演奏だった。

 続く第2ステージは、常任指揮者による「ランダル・ストゥループの世界」。アメリカ合唱界を牽引する作曲家・合唱指揮者として現在最も活躍しているストゥループの難曲に挑戦していて、びっくり。ラテン語かと思いきやスペイン語になり、フランス語になり、英語とのちゃんぽんもあり。語学が苦手な息子がよく暗譜したものだと感心する。指揮者の裏話では、数週間前まではかなり大変だったそうで、今日は練習の時より素晴らしかったという。本番に強いというのは若者の特権か。

 第3ステージは「クリスマスステージ」。サンタクロースの衣装に身を包んだ女性指揮者が登場して、松下耕さん作曲の「青少年のためのアヴェ・マリア」からスタート。アカペラのアヴェ・マリアが始まったかと思ったら、背広を脱ぎ、色とりどりのネクタイをして踊り出す。ミラーボールも回ってステージはすっかりクリスマス一色。見て聴いて楽しむサービス精神旺盛のステージだ。2曲目はジングルベル。団員たちがフロアに降りて、観客にも歌って踊るように促し、隣の人と手をつないで!の時間。会場はすっかりリラックスムード。
 
 そして最終ステージ。団員たちが1年をかけて取り組んだ難曲、混声合唱とピアノのための組曲「天使のいる構図」だ。コンクールでは2曲目と3曲目を歌い、金賞を頂いたというが、今回全5曲を通しで初めて聴くことが出来た。作曲の松本望さんからプログラムにメッセージを頂戴したと息子が大興奮で連絡してきたが、有り難いことである。

谷川俊太郎さんの「クレーの絵本」に三善晃さんが曲をつけたものは学生時代に歌ったのだが、作曲家の世代交代を感じるステージである。昨年はまだ初々しさが残るタクト裁きだった学生正指揮者の女性も、今年はすっかり安定した指揮ぶり。皆が楽しそうに幸せそうに歌う姿を見ながら、安心して聴くことが出来た。

 指揮者も団員達もやり切ったという顔が眩しく、いつもながらこちらの涙腺が緩む。最終ステージでは、胸に生花をつけた4回生が並んでいたが、アンコールではその数がさらに増えて、総計70人を超える大人数のステージになった。こうして2時間半弱の53回目の定期演奏会が無事終了した。

 ロビーでの部長挨拶も噛むことなく、無事クリア。同期のお母様にもご挨拶し、お互いに息子たちを紹介することも出来てほっとする。
 その後、昨年に引き続きイベントホールでのレセプションにも3人揃って出席させて頂いた。

 この一年、部長という大役を務めるために、授業も単位も(!?)アルバイトも全て投げ打って打ち込んだ息子である。その重責に押し潰されそうになったこともあっただろう。昨日から涙腺が緩んで仕方がないと言っていたので、きちんと挨拶ができるかどうかと気が気ではなかったが、実はカラオケ同様、マイクを持ったら離さないというのがよく分かった。うーん、あの心臓は誰に似たのだろう。

 クリスマスの開催であり、他団のコンサートと4つもダブっていて、半分も埋まらないかもしれないと心配していたという入場者数は、昨年より少なかったものの、1000人収容のホールはかなりの入りでこれまたほっと胸をなでおろした。

 20歳10か月の青春は、燃え尽きただろうか。これから1年は学業優先で単位取得に励む予定であるというが、来年の卒団コンサート、全ステージは乗れなくとも最終ステージだけでも乗せてあげたいと思う甘い母である。

 帰りは再びJRで京都駅まで戻り、昨年同様、駅ビルのラーメン店でお腹を満たす。混雑で立ん坊しているうちに疲労と胸痛で顎が出てくる。それでも暖かい食事をお腹に入れて少し元気が出た。百貨店や駅ビルでは、早くもクリスマスの飾りつけを撤去して、お正月の飾りの準備に勤しんでいる。

 ホテルに着いて本日2度目のケーキとお茶で一服。この2日間の旅を振り返りながら、3人で明日の予定をおおまかに決めてそれぞれの部屋に戻った。

 明日はゆっくり起きて疲れをとったら、午後の新幹線で帰京するまで2か所ほど散策して過ごしたいと思う。
 昨年に引き続き、スケジュールから何から全面的に手配してエスコートしてくれた夫と、痛みと疲れで顎が出る私に気を遣ってくれる友人に感謝するクリスマスの夜である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016.12.24 クリスマスイブは3人で舞妓さんとはんなり

2016-12-24 22:39:28 | 
 クリスマスイブ。3連休のど真ん中。今年はカレンダーの並びがのんびりとクリスマス休暇を楽しむのに最適だ。
 お天気も良く、通常よりやや遅く起きて、ゴミ出しを済ませ、JRが遅れているという情報に慌てて予定より早く家を出た。イブとは思えないほどポカポカと暖かい朝だ。

 明日は息子が所属する合唱団の定期演奏会。ということで、昨年同様、年末の慌ただしい中、今日から2泊3日、今年2回目(夫は4回目)の京都である。
 今年も、夫と2人ではなく、懲りずに息子のコンサートを聴いてくれるという学生時代の友人と3人旅だ。

 電車は通常運行に戻っており、小一時間ほど早く新幹線乗換駅に到着。急かせた夫がお詫びかたがた、カフェでクリスマスプレゼントの形をしたクリスマスドーナツとお茶をご馳走してくれた。お手洗いは長蛇の列。早くも帰省客だろうか。

 車内で、始発駅から乗車していた友人と合流した。彼女は今月初めにお父様の入院やらお祖母様の葬儀が続き、一時は同行が危ぶまれたが、無事に来てくれることが出来た。既に車内は満席。車窓から、青空の下、真っ白な雪を被った富士山を愛でる。

 車内のお伴は柚木麻子さんの「伊藤くんA to E」(幻冬舎文庫)。“美形でボンボンで博識だが、自意識過剰で無神経。人生の決定的な局面から逃げ続ける喰えない男、伊藤君。こんな男のどこがいいのか。尽くす美女は粗末にされ、フリーターはストーカーされ、落ち目の脚本家は逆襲を受け・・・。傷ついてもなんとか立ち上がる女性たちの姿が共感を呼んだ”という裏表紙。柚木さんの小説はどれもハズレがないが、いやあ、なかなかすごい本音満載の連作短編集。面白くて一気読み。あっという間に新幹線は京都駅のホームに滑り込んだ。

 まずは夜の定期観光バスのチケットを購入し、駅前のホテルのレストランで、チェックインまでの時間、ゆっくりランチコースを愉しむ。友人は、去年、息子のコンサートを終えホテルに戻ってきてこのレストランでお茶をした時、また来年も聴きに来たい、と話していた。この1年、お互いあれやこれやとあって、全く会う時間が取れず、本当に丸々一年ぶりの再会と相成った。

 夕方の観光バス出発までの2時間半ほど、徒歩圏のお寺巡りをすることに。まずは浄土真宗大谷派の総本山、東本願寺へ。6月、ようやく工事が終わった阿弥陀堂、御影堂を参拝したが、その時には父が1か月後に他界するとはゆめゆめ思っていなかった。

 今日も千畳敷に座ってお参り。さすがに床が冷たく、厚地のタイツを履いていても深々と体まで冷えてくる。冬季で早じまいらしく、なんとか滑り込みでご本尊をお参り出来たが、すぐに閉ざされてしまった。

 ぶらぶら歩きをしながら、今度はお西さん(西本願寺)を目指す。途中、黒雲とともにぽつぽつ雨が降り出して、傘を持っていない私たちはちょっとひやひやした。
 京都は実に猫の目のように天気が変わる。

 息子が大学に入学した年の春、小さな黄緑色の葉が沢山芽吹いていた大銀杏の木も、今は裸ん坊で、寒々しいことこの上ない。こちらは阿弥陀堂、御影堂とも畳敷きではなく、板張りで椅子がずらっと並んでいる。ラッキーなことにお東さん(東本願寺)より30分ほど閉門が遅く、逆に参拝していなくてよかったね、と言い合う。

 それにしても、親鸞聖人はあの時代に90歳という大往生である。当時の平均寿命を思えば、とんでもない長寿ではないか。88歳という長寿だった父すら2歳及ばない。

 駅まで戻る途中、老舗の漬物屋さんで旬のお漬物の試食をしたり、市の無形文化遺産展示室で祇園祭の山鉾行事の展示を見たり。それぞれの箇所で暖を取ることが出来て、有り難かった。

 今日の観光バスは30人様ご一行。定刻どおりに京都駅を出発し、舞妓はんとの夕べということで、先ずはお食事処へ。懐石風の京料理を頂きながら、「月はおぼろに東山♪」の歌い出しで有名な祇園小唄など、お人形さんのように可愛らしい舞妓さんの京舞を堪能した。まだ20歳だという。舞の後は、皆でその里春さんとツーショット撮影。一人ひとり千社札も頂いた。

 食後は、北山杉の秘園と呼ばれるライトアップされた回廊式の庭園を歩き、隣接するリゾートホテルのショップで、息子に西陣織の音符柄ネクタイを購入。明日の差し入れに持っていく予定だ。

 市内をぐるりとドライブしながら、真っ暗な東山ハイウェイを登り、将軍塚から古都の夜景を堪能。駅前に比べて標高が高いこちらはかなり冷え込んでいる。空気が澄み切っていて、大阪方面までくっきりと見渡せた。

 おりしもクリスマスイブの今夜、昭和39年12月28日生まれだという京都タワーも、緑と赤のクリスマスカラーにライトアップされている。LINEで息子に教えると、そんなライトアップは知らないという。

 知らなくて当然、これまではかなり単純な方法でライトアップしていたというが、今年の春、無事にLEDライトの設置が終わり、2000種類以上の方法でライトアップが出来るようになったそうだ。10月1日には、ピンクリボンデーとしてピンクにライトアップされるのは有名だ。東京のようにネオンが派手すぎることなく、コンパクトにまとまった古都の夜景は思いのほか素晴らしかった。

 渋滞なく順調に駅まで戻り、先ほど無事ホテルに戻ってきた。寒い中の観光、疲れもあり胸痛が出ていきなり無口になってしまったが、部屋に戻ってお風呂であたたまり人心地ついた。2人には心配をかけて申し訳なかった。

 明日は、南禅寺傍の老舗料亭で遅い朝粥を頂いた後、その界隈を散策し、午後には息子のコンサート会場へ向かう予定である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016.12.22 今年もカウントダウン

2016-12-22 21:32:05 | 日記
 今週は4日勤務。ようやく明日、カレンダーの赤い印がやってきた。平成になって毎年思うことではあるけれど、この時期の祝日は本当に有難い。月曜日、火曜日と週の頭から飲み会連荘だった夫は、昨日辺りから既に週末の気がする、一週間が長い、とぼやくことしきりだった。

 今年は11月に喪中欠礼状を出してしまったら、すっかり安心して12月は特に慌てることもないと高をくくっていた。ところがどっこい、前半は瞑想ヨーガ指導者養成コースで土日が全て潰れ、その後、静かに家にいればいいものを、また考えなしに本能の赴くままヒョコヒョコと温泉旅行などに行ってしまい、休日に一日として家にいたためしがない。

 そして明日は実家詣で、明後日からは京都行き、である。もうこれは自業自得以外の何物でもない。こういうスケジュールを作っているのは他でもない自分なのだから、何を言ったところで言い訳にしかならない。

 さて、いつ書くの、今でしょう!と毎日思いながら、結局、この期に及んでまだクリスマスカードが書けていない。わずか数枚だというのに。
 そして、とうとう昨日スウェーデンからの1通目が来てしまった。トホホ、またしても失礼なことをしてしまった。
 喪中欠礼バージョンのクリスマスカードというわけにもいかないし、淡々と準備すればよかったのだけれど・・・。

 昨日は冬至にしては暖かい1日だったが、柚子湯にも入らず、かぼちゃ煮を頂くわけでもなく・・・忘年会ラッシュを抜けた夫と久しぶりに夕餉を囲んだ。
 今日は昨日よりも暖かく、夜から雨降りとの予報を信じて、薄めのコートで出かけたら、昼前に早くも雨が振り出し、昼休みの外は結構寒くて失敗した。
 ともあれ、今日からは少しずつ日が長くなることを楽しみに、手洗いうがいを励行して風邪を引かないように過ごさなくては。

 週明けは2日間仕事に行けば、仕事納めである。明日は祝日授業開講日なので、出勤する職員の中には、代休と有給休暇を駆使して、明日で仕事納めという職員もいるようだ。11連休になるらしい。

 こちらはカレンダーの並びどおり、6日間だけの年末年始休暇。28日まで働いて、4日の仕事始めは通院始め。一体大掃除をいつやるか・・・は問題だけれど、クリスマスにコンサートを終えた息子も思いのほか早く帰省するようだし、連れ合いを亡くして60年ぶりに一人だけの新年を迎える実家の母を放置するわけにもいかず、一緒に過ごす日を除くと、うーん、果たして何をいつやるか、やらざるべきか、実感は殆ど湧かないカウントダウンの今、それが問題である。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016.12.18 今日も終日出ずっぱり・・・

2016-12-18 21:44:54 | 日記
 今朝は少しだけ寝坊。朝一番で、月に一度のそして今年最後のリフレクソロジーへ向かった。いつもの症状別下半身すっきりコースに、ヘッド、ハンドリフレをオプションでお願いする。アロマオイルはジュニパー、フェンネル、ゼラニウムのリラックス系をチョイス。施術中はほぼずっと爆睡。どこも凝っていて、左足は腰のあたりが張っていたそうだが、終わった後は、流れがよくなり、スッキリして履いていたブーツもゆるゆるになった。
 今月のプレゼントは手作り石鹸が入ったクリスマス柄の匂い袋。可愛らしくて早速バッグに忍ばせた。

 昼は駅ナカカフェで簡単に済ませ、隣の駅に移動して美容院へ向かった。これまた今年最後のシャンプーカットブロー。年内押し詰まらないうちに綺麗にしておきましょう、という方が多い様子。スタッフもフル稼働、空いている席もない混雑ぶりで人口密度が高い。この後にも予定が控えているので「出来れば〇時には出たいのですが」と担当Gさんにお話ししたところ、「大丈夫です」とのお答え。

 ヘルプで入っていた初めてお目にかかる女性のシャンプーがあまりにお上手で、最初の手さばきで、これは、と思わず声をかけた所、実は自分はヘッドスパ専門で、いつもは本社で研修をしています、とのこと。本当に大当たりで、頭が軽くなった。

 時間があれば是非次回ヘッドスパも、と言ったところ、繁忙期だけあちこちの店舗にヘルプで入るので、来月はこちらには来ないそうだ。うーん、残念。続くマッサージも素晴らしかったし、Gさんのカットも殆ど何も言わないままパッパと希望通りに仕上げてくださり、所要時間は全部で1時間もかからず。あっという間にサロンを後に出来た。

 待ち合わせの時間にはやや早かったので、店内を少しぶらついて時間調整後、駅前で母と合流。母の乗ったバスがとてもスムーズだったそうで、いつもより10分ほど短い乗車時間だったとのこと。さすがにまだ到着していないだろう、と早めに改札口に出向いたつもりが、既に来ていたのでびっくり。時間調整などするのではなかった、と思う。

 そして今日3つ目のミッションは墓地の引き渡しだ。8月に注文した父の墓が、予定より1か月ほど遅れてようやく完成したとの連絡があったのが今月初め。土日ギッシリの私が今日まで立ち会えなかったので、引き渡しはさらに遅くなってしまった。最寄り駅前までSさんにお迎えに来て頂き、夫も合流。現場を確認して、サインを済ませたら、無事引き渡し完了だ。私たちが7年前に用意した墓地から直線距離にして15mくらい。本当に近く、お互いに向かい合った位置なので、母も満足した様子。
 来年の一周忌法要で納骨の予定だが、あらあらの日程等を決めて出来る段取りをしてきた。一つ一つ片付けていかなければ、来月治療変更して以降はこんなにも精力的には動けなくなるだろうから。

 駅前まで担当Sさんに送って頂き、お礼を言ってお別れ。ひとまずカフェでお茶をして、一息つく。それでは、とアウトレットモールに繰り出して母や夫の買い物をし、美しいクリスマスイルミネーションを楽しみながらイタリアンレストランで夕食を共にした。

 先月末、代休を使って実家を訪れ税理士さんとの打ち合わせ等を済ませて以来、今月は瞑想ヨーガ指導者養成コースで土日を全て取られてなかなか行けずじまいだったので、毎日電話でご機嫌伺いをするだけで気になってはいたが、母はまあまあ元気に過ごせていた模様。駅前でバスに乗るのを見送ってからさきほど帰宅した。

 ということで、今日もまた朝から出ずっぱりの日曜日になった。明日からまた新しい1週間が始まる。今週は週末に祝日があるが、この日は実家に出向く予定だ。そして土曜日からは息子のコンサートのため、京都行きが控えている。

 来月末からの治療変更はもう逃げられない。抗がん剤治療を続けながらウィークデーに仕事をすれば、それだけでかなり体力を使ってしまうだろうから、父の他界以降続けてきた毎週母のご機嫌伺いに出向くのも厳しくなりそうだ。

 それでも、冬至を過ぎれば、寒さはまだ続くにせよ、一日一日と日が長くなっていくから、少しは気分も上向きになるだろう。母には、こちらがペースを掴んで体調管理がうまく出来るようになるまで、お友達やヘルパーさんたちを巻き込んでなんとか踏ん張ってほしいものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016.12.17 朝湯、酒蔵、川下り・・・大忙しの旅、無事帰京

2016-12-18 00:11:31 | 
 昨夜、シャトルバスで連れて行ってもらった川沿いの露天風呂。そもそもここの写真を見て、夫が「こういうところに泊まってみたい」とこのツアーを選んだことを思い出す。実に風情があり、ここに来ずして「5つ星の宿なんて名前ばかりでとんでもない」と文句を言ってはいけないと反省。大自然の中の別世界よろしく、木の香りがする階段を行燈が仄暗く照らしている。下へ下へと降りていくと、そこには湯煙に囲まれたヒノキ風呂、岩風呂、丸太風呂、溶岩風呂、ともう露天風呂三昧。

 かなり混雑していたし、中国語しか聞こえてこなかったので、孤立無援感は否めなかったけれど、いいお湯であったのは間違いなく、堪能した。男性風呂も同じだった模様。台湾からの団体客だったようだ。ふやけるくらいお湯に浸かった後、お肌はつるつるピカピカのゆで卵状態。湯上りの瓶のジュースが体に染み込み、美味しかったこと。

 再び部屋に戻ってキューバタンと5時間以上熟睡した。お手洗いに目覚めたのはまだ4時半。少し早いかと布団で少しぐずぐずした後、そっと部屋を出て、熊本県側の大浴場に行ってみた。オールナイトで入れるとはいえ、さすがにまだ早かったとみえて、先客は3人のみ。日本語が聞こえてちょっとほっとする。こちらも内湯の大風呂に露天のヒノキ風呂と岩風呂が1つずつあり、すべて制覇して朝湯もコンプリート。温泉マークの教え通り3回の入浴を達成した。

 この温泉は、恥ずかしながら今回訪れるまで存在自体知らなかったのだけれど、「湯に入りて 病治りて すがりてし 杖立ておいて 帰る諸人」という弘法大師の歌が起源だそう。同じツアーでやってきたという年配の方と少しお話したところ、シャトルバスで行った露天風呂は階段で延々と下まで降りていくので、膝がしんどいと思ったけれど、お湯の効能のせいか帰りはスイスイと登れたとのこと。

 本当に杖が要らなくなるほど病気が治って元気になるなら、私もそれにあやかれたらいいな、と思った。湯舟を上がる頃には、さすがに幾つかのグループがやってきて、空いているうちに愉しめて早起きは三文の得を実感。

 部屋に戻っても夫はまだ気持ちよさそうに寝ている。そろそろ起きてほしいな、と思っていると目覚ましが鳴るかならないかですんなり起きてくれた。自分は2回入ったのでもう十分とのこと。

 朝食会場のレストランでバイキング。起きてから2時間経過、朝風呂にも入っているのでお腹はペコペコ。品数が豊富でとてもすべて味見することは出来なかったけれど、今朝はドンペリドンのお世話にならずと食事が出来てほっとした。
 チェックアウト後、時間通り出発。ホテル正面入り口には大きな“くまモン”がお見送り。ツーショットで写真を撮って、バスに指定された席に腰を下ろした。

 朝一番で目指す先は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている天領の街、日田の豆田町散策と酒造見学。天気予報ではお天気は良く、最高気温は13度ということだったが、まだ雲が厚い。山々は煙っていて、深い谷を川沿いに進むとなんだか昨夏訪れたノルウェーのフィヨルドを彷彿とさせる。

 1時間ほどバスに揺られ、熊本県から大分県に入り、日田に到着。薫りが長く続きますようにと命名されたという薫長酒造で試飲と酒蔵見学。足の下から深々と冷えてくる。杜氏が4人だけで酒造りをしているため、とても全国に流通するほどの沢山のお酒は造れないそうで、観光客用に用意するのが精一杯とのこと。せっかく訪れたので、とお正月に夫と息子が飲む分だけちょっぴりお土産にする。

 まだ朝早いのでお店は開いていないかもしれませんが、どうぞ自由散策へ、と送り出される。それにしても寒い。昨日より薄着の夫はがたがた震えている。せっかく持ってきたマフラーもキャリーケースの中だというのだから、おまぬけである。通りには江戸時代から昭和初期までのレトロな建物が軒を連ねている。

 国の指定重要文化財、九州最古の真宗寺院である長福寺はまだ門が閉ざされている。手漉き和紙のお店で、草花を散らしたタペストリーを信じられない安価でゲット。大福に目がない夫は、道を戻ってお買い求め。文久3年建築の蔵を店舗にしているお店で素敵な水彩画の絵葉書を買い求める。どこもかしこも気になって仕方がない。それほど素敵な街並みで、すっかり気に入ってしまった。
 国指定史跡の廣瀬資料館を見学する時間もなく、ただただ急ぎ足で写真を撮って、後ろ髪惹かれる思いで通り過ぎる。集合場所である薫長酒造脇のパン工房に入り、焼き立ての酒粕あんぱんもお土産にして、バスは次なる目的地へ。

 再び高速に乗って、福岡県入り。水郷の街・柳川を目指す。柳川の川下りもこの時期こたつ舟になるという。日田の街ですっかり冷えた身体に、火鉢がしのばせてあるこたつは有り難い。昭和36年創業、私と同い年の川下りである。船頭さんはアンパンマンにそっくりな底抜けに面白いおじさんだ。演歌調の童謡や脱線気味のお喋りなど、とにかく楽しませてくれる。柳川鍋は柳川発祥ではない、との船頭さんの話には、その理由を聞いて頷いた。

 冬でもまだ緑の柳を愛でつつ、松岡修造さんの母校を眺め、北原白秋の“まちぼうけ”のモデルになった子供のブロンズ像を通り過ぎ、頭上注意の橋をくぐり、伝統的な漁法だという“くもで網”を見れば、およそ30分の旅もあっという間に終了である。舟を降りる頃にはすっかり青空になり、大分暖かくなってきた。

 川下りの後は旧柳川藩主立花家別邸「御花」のレストランで、柳川名物のウナギや和牛のせいろ蒸しの昼食を愉しむ。迎賓館としての西洋館と和館の大広間、という当時流行の様式の邸宅と、黒松に囲まれた池庭である「松濤園」を散策。帰りの飛行機の時間が早いため、本当に残念な悔しいくらい時間が足りない。あちこちに連れて行ってくれながらもこれこそツアーの哀しいところである。
 ちょうど西洋館ではお雛様飾りの特別展示中。“さげもん”という吊るし雛が実に華やかで見事だった。鶴や亀、色とりどりの兔があしらわれたものを記念に一つだけお土産にする。史料館は時間切れで通り過ぎただけで泣く泣くバスに集合。

 早くも空港を目指し、帰途へ。渋滞もなく順調に到着し、チケットを手にしてその場で実質解散。搭乗まではカフェでお茶をしてのんびり過ごす。定刻より少し遅れて離陸したが、予定時刻に無事羽田到着。
 帰路のリムジンバスも大渋滞。迂回して本当は通らないはずの首都高臨海路線で帰ってきたが、こちらもやはり渋滞、ということで最寄り駅に到着したのは見込みより1時間も遅れてのことだった。福岡・羽田間より羽田・自宅最寄り駅間の方がよほど遠いとは・・・。

 駅前のレストランで簡単に食事を済ませ、洗濯を済ませたら、もうこんな時間だ。
 明日(もう今日であるが・・・)は明日とてトリプルヘッダーの予定。ああ、とっとと寝なくては。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする