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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.12.26 ねねの寺と市場を訪ね、無事帰京

2016-12-26 21:38:28 | 
 昨夜、ブログアップが日付が変わってからになってしまい、ベッドに入ったのは1時近くのこと。そのタイミングで「打ち上げを終えて、今、無事帰宅しました」との息子からのLINE。OB・OGや顧問の先生方、保護者たちの前では緊張の連続だった若者たちは、すっかりリラックスして大いに盛り上がった模様。皆にお礼を言いながら一度出始めた涙は止まらなかったようだ。ああ、いいなあ、青春。羨ましいことよ。

 私も疲れ過ぎたのか、興奮したのか、なかなか寝付けず、ようやく寝付いたと思ったら3時間ほどで目が覚める。夫は気持ちよさそうに寝ている。その後も眠れず、結局、そのまま朝を迎えた。

 昨年は、友人が午後出勤するため朝早く新幹線に乗るということで、前の晩のうちに別れたのだった。今回は一緒の新幹線で帰京出来るということで、足湯を済ませ、ゆるゆるとパッキングをしてからともにチェックアウトした。

 今日はあいにく曇り空。夕方からは雨が降り出すという予報だ。荷物を預け身軽になってホテルを出発すると、早くもポチポチと雨が落ち始めている。ここで風邪をひいたらたまらない、とホテルに戻ってお守り代わりにビニール傘を借りる。駅ナカの落ち着けるお気に入りのカフェでモーニングセットを頂く。

 昨夜撤収作業中だったクリスマスツリーは影も形もない。駅ナカの商店街には門松が飾られ、迎春のタペストリーが。いまだ全く実感がないが、今年も余すところあと5日なのだ。ホテルも百貨店のショーウインドーも、昨日までのクリスマス飾りは姿を消し、お正月へ準備万端である。

 まずはタクシーで秀吉公とねねの寺、鷲峰山高台寺に向かった。幸い人影はまばらで、タクシーの運転手さんからは「独り占めでお楽しみください」と送り出される。
 入口には恋愛成就祈願のピンクのハートの形の絵馬が沢山連なっており、びっくり。実際には一歩入ると全く別の渋く落ち着いた佇まいである。小堀遠州作という庭園の石組みがとても見事。桃山時代を代表する庭園だそうだ。方丈前庭の砂盛りが素晴らしい。

 秀吉の没後、その菩提を弔うために北政所(ねね)が開創したこの寺は、度々の火事にあって多くの堂宇を喪ったという。今日残っているのは、高台寺第一世の住持を祀る開山堂、秀吉とねねを祀る霊屋(おたまや)。厨子内左右には2人の木像が安置されているが、ねね自身は実際その木像の下に眠っておられるという。須弥壇や厨子に施された高台寺蒔絵と称される漆工芸の素晴らしさに目を見張る。そのほか、利休の意匠による茶席と言われ、伏見から移建した茶室の傘亭と時雨亭、楼舟廊の中央に位置する観月台など、見所が満載。国の重要文化財に指定されているのにも頷ける。

 茶室の上の展望台まで息を切らして石段を登りつめると、八坂の塔や京都タワーまでが見渡せて絶景。帰路の石段を下りながら膝がだんだん笑ってくる。竹林を抜ければもう出口は間近。すっかり満足して、ねねの道をぶらぶら歩いて八坂神社を抜け、祇園方面へ。

 四条大橋を渡って新京極を超えれば、お目当ての錦市場である。ここは夫のお気に入りの場所で毎回訪れている。お正月準備の珍しい食材やお花など、活気溢れる市場は沢山の人たちで大賑わい。友人とあれやこれやと立ち止まりつつゆっくり時間をかけて楽しんだ。ここで再びポツポツと雨粒が落ちてきた。傘を持っていてよかった、と思う。

 四条から地下鉄に乗って京都駅まで戻り、駅ビルでお土産を調達したら、ホテルに戻ってランチタイム。
 ちょっとずつ色々の中華レディスランチコースを楽しんでいるうちに、新幹線の時間が迫る。フロントで荷物をピックアップし、信号を渡ればすぐ京都駅。新幹線の構内で買い残したお土産を調達し、無事に新幹線に乗り込んだ。

 夫が気を利かせて友人と隣の席を譲ってくれて、2時間の間、殆ど喋りっぱなし。さすがに昨日3時間睡眠で、もう眠くて眠くてたまらなかったのだけれど、次にまたいつ会うことが叶うかもわからず、意識が飛びそうになりながら必死に応答する。あっという間に私たち夫婦が降りる駅に到着した。ドアまで友人が見送りに来てくれて、定刻通り発車し、3日間の3人旅は終了。

 明日の夜遅くには息子も久しぶりに帰宅する。あと2日、働いたら晴れてお正月休みである。今日はぐっすり眠れますように。
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2016.12.25 20歳10か月の重責、クリスマス定演無事終了

2016-12-26 00:10:10 | 合唱
 昨夜は胸痛が収まらず、ロキソニンのお世話になってようやく眠りに落ちた。4時間近く眠ってお手洗いに目覚めたが、夫は小さく鼾をかきながらよく眠っている。私も再び目覚ましが鳴るまで眠ることが出来た。ひとまず今朝は痛みが落ち着いている。良かった。いつものように浴槽足湯を済ませる。

 友人とロビーで待ち合わせ、地下鉄に乗って予約していた朝粥の料亭へ。昨年も予約したかったのだけれど、年内の営業が終了しており、頂くことが叶わなかった。2年越し、満を持してのトライだ。
 地下鉄を降り、朝日を浴びたインクラインの線路と記念写真を撮りながら料亭を目指す。

 中庭の琵琶湖疎水が引かれているというせせらぎを窓辺に見ながら、朝陽を浴びて贅沢な朝食。起きてから既に3時間近く経っているので、もうお腹ペコペコである。

 三段重ねの上品な瓢箪の器には京野菜の煮物、和え物、酢の物などどれも美しく盛り付けられ、お腹に染み渡る上品なお味。白味噌仕立てのなめこと銀杏のお味噌汁も胃の腑に優しく落ちていく。最後は鶉のお粥。1時間近くかけて、美味しいねと皆で大満足。贅沢な時間を楽しんだ。

 食後は隣接する無鄰菴へ。ここは明治・大正の元老山縣有朋の別荘である。昭和16年に山縣家より京都市に譲渡され、近代の名園として国の名勝に指定されている。

 簡素な木造二階建ての母屋、茶室、煉瓦造り二階建ての洋館の3つの建物と東山を主山とする明るく開放的な芝生空間を持つ庭園だ。芝を植えた地に自然に遷移した約50種の苔が広がっているのが美しい。珍しい黄色の千両が見ごろだった。

 東京の椿山荘といい、この無鄰菴といい、山縣の別荘は日本各地に点在している。大したものだとため息をつきながらのんびりと庭園を散策し、母屋で和菓子とお抹茶を頂き、まったり。ここでも優雅な1時間を過ごすことが出来た。

 夫が先月、息子と紅葉を愛でながら歩いた南禅寺界隈はすっかり葉も落ちて冬景色。今日も青空で暖かく、散策日和である。再び地下鉄で京都駅まで戻る。

 朝食が遅くたっぷりだったので、駅ナカカフェでケーキとお茶を頂き、お昼替わりに。百貨店で息子への差し入れのお菓子等を買い求め、JRで一路コンサート会場へ向かう。おりしもクリスマスの日曜日、家族や大切な人たちと過ごすこんな日に、いったいどれだけの方たちが来てくださるのだろうとちょっと心配・・・。

 息子が通うキャンパスにあるグランドホールは、昨年の5月のお披露目と昨年のコンサート、今日で3度目である。到着したのは開場15分前だったが、早くも列が出来ている。私たちもそそくさとホールの入り口に並ぶ。

 団員たちはサンタクロースの赤い帽子を被ってそこかしこで案内をしている。息子たちが中心学年となって作り上げてきた集大成の日だ。夏以来ご無沙汰していた息子は、緊張の面持ちで開場の挨拶に備え、ロビーエントランスでスタンバっていた。
 定刻の開場宣言はかなりテンパっていたものの、なんとか噛まずに無事口上を終えて、こちらも胸をなでおろした。

 今回の演奏会、テーマは「飛翔」。団員一人一人の成長、団としての成長を成し遂げるために各々が歌唱、運営、様々な面において精進してきたとのこと。前部長と現部長の2人の名前が繋がっているという念の入れようだ。

 4つのステージから成り、第1ステージは2年生の学生副指揮者による混声合唱とピアノのための「初心のうた」。未来への強い意思を持ちながら、戦争という暗い過去に向き合う木島始さんの詩に、今を時めく信長貴富さんが曲をつけたもの。Ⅰ.初心のうた、Ⅱ.自由さのため、Ⅲ.とむらいのあとは、Ⅳ.でなおすうた、Ⅴ.泉のうた、と全5曲。素直で若者らしいいい演奏だった。

 続く第2ステージは、常任指揮者による「ランダル・ストゥループの世界」。アメリカ合唱界を牽引する作曲家・合唱指揮者として現在最も活躍しているストゥループの難曲に挑戦していて、びっくり。ラテン語かと思いきやスペイン語になり、フランス語になり、英語とのちゃんぽんもあり。語学が苦手な息子がよく暗譜したものだと感心する。指揮者の裏話では、数週間前まではかなり大変だったそうで、今日は練習の時より素晴らしかったという。本番に強いというのは若者の特権か。

 第3ステージは「クリスマスステージ」。サンタクロースの衣装に身を包んだ女性指揮者が登場して、松下耕さん作曲の「青少年のためのアヴェ・マリア」からスタート。アカペラのアヴェ・マリアが始まったかと思ったら、背広を脱ぎ、色とりどりのネクタイをして踊り出す。ミラーボールも回ってステージはすっかりクリスマス一色。見て聴いて楽しむサービス精神旺盛のステージだ。2曲目はジングルベル。団員たちがフロアに降りて、観客にも歌って踊るように促し、隣の人と手をつないで!の時間。会場はすっかりリラックスムード。
 
 そして最終ステージ。団員たちが1年をかけて取り組んだ難曲、混声合唱とピアノのための組曲「天使のいる構図」だ。コンクールでは2曲目と3曲目を歌い、金賞を頂いたというが、今回全5曲を通しで初めて聴くことが出来た。作曲の松本望さんからプログラムにメッセージを頂戴したと息子が大興奮で連絡してきたが、有り難いことである。

谷川俊太郎さんの「クレーの絵本」に三善晃さんが曲をつけたものは学生時代に歌ったのだが、作曲家の世代交代を感じるステージである。昨年はまだ初々しさが残るタクト裁きだった学生正指揮者の女性も、今年はすっかり安定した指揮ぶり。皆が楽しそうに幸せそうに歌う姿を見ながら、安心して聴くことが出来た。

 指揮者も団員達もやり切ったという顔が眩しく、いつもながらこちらの涙腺が緩む。最終ステージでは、胸に生花をつけた4回生が並んでいたが、アンコールではその数がさらに増えて、総計70人を超える大人数のステージになった。こうして2時間半弱の53回目の定期演奏会が無事終了した。

 ロビーでの部長挨拶も噛むことなく、無事クリア。同期のお母様にもご挨拶し、お互いに息子たちを紹介することも出来てほっとする。
 その後、昨年に引き続きイベントホールでのレセプションにも3人揃って出席させて頂いた。

 この一年、部長という大役を務めるために、授業も単位も(!?)アルバイトも全て投げ打って打ち込んだ息子である。その重責に押し潰されそうになったこともあっただろう。昨日から涙腺が緩んで仕方がないと言っていたので、きちんと挨拶ができるかどうかと気が気ではなかったが、実はカラオケ同様、マイクを持ったら離さないというのがよく分かった。うーん、あの心臓は誰に似たのだろう。

 クリスマスの開催であり、他団のコンサートと4つもダブっていて、半分も埋まらないかもしれないと心配していたという入場者数は、昨年より少なかったものの、1000人収容のホールはかなりの入りでこれまたほっと胸をなでおろした。

 20歳10か月の青春は、燃え尽きただろうか。これから1年は学業優先で単位取得に励む予定であるというが、来年の卒団コンサート、全ステージは乗れなくとも最終ステージだけでも乗せてあげたいと思う甘い母である。

 帰りは再びJRで京都駅まで戻り、昨年同様、駅ビルのラーメン店でお腹を満たす。混雑で立ん坊しているうちに疲労と胸痛で顎が出てくる。それでも暖かい食事をお腹に入れて少し元気が出た。百貨店や駅ビルでは、早くもクリスマスの飾りつけを撤去して、お正月の飾りの準備に勤しんでいる。

 ホテルに着いて本日2度目のケーキとお茶で一服。この2日間の旅を振り返りながら、3人で明日の予定をおおまかに決めてそれぞれの部屋に戻った。

 明日はゆっくり起きて疲れをとったら、午後の新幹線で帰京するまで2か所ほど散策して過ごしたいと思う。
 昨年に引き続き、スケジュールから何から全面的に手配してエスコートしてくれた夫と、痛みと疲れで顎が出る私に気を遣ってくれる友人に感謝するクリスマスの夜である。

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