ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.10.24 職場婦人科検診、無事終了

2014-10-24 21:25:27 | 日記
 今日は午後から都心で行われる婦人科検診の日。今日は、昨日迄の寒さに加え雨が降ったり止んだりの気が滅入るお天気と打って変わって、秋晴れの一日になるとの予報。そのとおり、青空にナンキンハゼの赤と緑の葉が映える明るい1日になった。
 相変わらずしぶとい胸痛が気になるのは仕方あるまい。

 午前中チャッチャと仕事を片づけ、都心の検診機関に向かった。今年も昨年、一昨年と同じ慣れた機関なので、ほっとする。入札で決められる検診機関はどうしても当たり外れがあるが、職員の健康に関わることを託する先が“安かろう悪かろう”ではやはりよろしくない。ここはシステマティックだし、とても丁寧だ。
 昨年は、当初は10月に日程提示があったが、当時撮影したばかりの造影CTの結果によっては、フェソロデックスとハーセプチンを中止し、ゼローダとタイケルブへの薬の変更も控えている時期だった。そのためカレンダーと睨めっこをしながら、1カ月ほど前倒しの変更をしたのだった。
 今年は、そんなこともなく提示されたとおりの日程である。

 文庫本に夢中で乗り過ごし、ギリギリに到着した昨年の轍を踏まないように、今日は昼食も会場近場でさっさと済ませ、余裕をもって到着した。金曜日の午後だからかどうか待合の椅子が溢れるほどの大混雑。これはかなり時間がかかるな、と覚悟して雑誌をめくって過ごす。
 30分程待っていつものように丁寧な問診。現在の治療状況を報告し、傷口付近の痛みもあるので、例年どおりマンモグラフィはキャンセルをお願いする。さらに30分ほど待ち、乳腺の超音波。今回は何度も止まって撮影を重ねるという不穏な動きはなく、すんなり終了。15分ほどして今度は視・触診。リンパ節廓清もしているし、ポートも入っているし、化学療法中ということなので、検診よりもまずは治療中の病院でよく診て頂くのが一番としながら、視触診では両方とも特に問題なしとのこと。超音波の結果、昨年は右に3,4mmののう胞(中身は水)があるといわれたが、それについても特にコメントはなかった。1年後に指定された経過観察は無事クリア、と考えて良いのだろう。さらに30分後に子宮頸がんの細胞診、超音波、内診と続いた。こちらでも子宮・卵巣とも腫れもなく、特に問題なさそうとのことだった。

 正式な結果の通知が届くのは1ヶ月後。検診機関での滞在時間は2時間半弱だった。混雑していた待合室も、私が帰る頃にはすっかりガラガラになっていた。帰りは、いつも帰宅するより少し遅い時間に最寄駅に到着することが出来た。これまた出先から直帰の夫と待ち合せて、買い物と食事を済ませ、帰宅。
 ようやく長い1週間が終了し、待ちに待った土日である。一番幸せな金曜日の夜である。
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2014.10.23 霜降の日に想うこと

2014-10-23 20:11:20 | 日記
 2004年10月23日―中越地震から10年。あの時、奇跡的に助けられた2歳の男の子が12歳、柔道の強い中学生になり「人の命を救う職業に就きたい」と言っているという記事を読んで、胸が熱くなった。
 ちょうどあの日、当時、息子が習っていたピアノの先生のコンサートを聴きに、最寄駅前にあるホールに出かけていた。
 そこでも、天井のライトがかなり揺れて、客席が騒然としたのをよく覚えている。連弾の真っ最中だった先生は、そんな状況でも演奏を続けたのが凄かったけれど。

 そして、昨日は、このブログによくコメントをくださっていた「ながながさん」が突然旅立たれて1年目の日でもあった。
 ご主人が訃報を知らせてくださったLINEがまだ生きているようなので、一周忌によせてコメントを送ってみたけれど、いまだ「既読」にはならない。

 今日は二十四節気、霜降の日。文字通り、今季最低気温を記録したという。
 昨日以来、急な冷え込みと悪天候がダブルでやってきて、身体が悲鳴を上げている。
 寒さに加え雨。気圧が変化するといきなり骨も傷口も疼いて痛む。いつもどおりに朝、ロキソニンを飲んだものの殆ど効いてくれない。圧痛、鈍痛だけでなくズキズキした痛み。昼も夜も引き続き飲んだものの、知らないうちに仏頂面で無口になっている。

 バレエの世界では「稽古を1日休むと自分に判り、 2日休むと相手に判り、3日休むとお客に判る」と言われているというが、ほぼ毎日書き綴ってきたブログもこうして3日も休んでしまうと、書くのが億劫になるのだな、ということを肌で感じている。
 息子が最初の2か月だけ書いてそれっきり全く更新しなくなったのも、おそらくそういうことなのだろうな、と苦笑する。ネタも時間もたっぷりある筈なのに。

 もちろんこのブログは、仕事ではないし、頼まれて書いているものでもない。あくまで自分の記録のため、そして家族のために書き始めたものだ。それが思いもかけず沢山の方々に読んで頂けるようになり、それなりの責任を感じ、簡単に止めてはいけないと思ってきた。

 書くネタがなかったり、日々多忙でブログを書く時間を捻出することが出来ないなど、それぞれの書き手の事情はある筈なのに、それでも毎日コンスタントに書き続けている方たちは改めて凄いと思うこの頃である。

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2014.10.19 ホームカミングデー音楽祭、今年も無事終了

2014-10-19 21:41:27 | 合唱
 昨夜は草臥れて早々に入浴。その後、いつものタイケルブ服用の時間まで待てず、小一時間早く飲んでバタンキューだった。
 そのため今朝は腹痛も早めに始まり、目覚まし時計より1時間早く目覚めてしまう。毎度お馴染みの浴槽足湯でゆっくり温まって準備完了。隣室の両親も早寝早起きでは負けていないので、昨夜の約束より早く朝食レストランに行った。ところが、何やらロビーもレストランもどこもかしこも大混雑で長蛇の列。これでは私の集合時間にとても間に合わない。かといって、長い距離を歩くことが出来ない父に、ホテル外のカフェまで歩かせるのはとても無理ということで、コンビニでもろもろ調達して各部屋で頂くという羽目に・・・。

 朝食後、夫が最寄の路面電車駅まで送りに来てくれて、予定どおりの電車に乗り込む。席に座って夫に手を振っていると、なんと隣の席には合唱団の世話役の先輩がいらっしゃるではないか。そのままお喋りをしているうちに終点に到着。集合時間10分前に講堂前でメンバーと合流した。
 今日も抜けるような秋の青空。校歌の歌詞のとおり講堂が聳えていて、何よりのホームカミングデー日和である。

 まずは講堂ステージのリハーサル。立ち位置等を確認し、モダンジャズトリオの方々と、それぞれの曲の出だし等を軽く歌って終了。講堂の構造のせいなのか音が後ろに吸い込まれてしまい、両隣と後ろの男性の声しか聴こえない。歌いにくい。ちょっと不安に思っていると、皆が、口ぐちにそう言っている。
 第2ステージである教室棟の楽屋入り。ここで白のブラウス、黒のスカートという今日の衣装に着替えを済ませる。現役メンバーは殆どがロングスカートの演奏会用正装だ。そして、第2ステージのリハーサル。同じく立ち位置の確認と、ピアノ伴奏曲の“入り”のタイミング等を確認してこれまた終了。予定時間より10分ほど時間が押しているということで、外国曲2曲は触りの部分すら歌うことが出来ず、楽屋に戻る。こちらのステージの方がまだ周りの声が聴こえてきて歌い易い。これまた皆同じ感想のようだった。

 楽屋でも残された時間は20分。直前練習ということで、ブレスの位置や強弱、発音等、先生の指示を最終確認し、身体を軽くほぐしただけでタイムアップ。
 再び講堂に戻って、再集合。グリークラブやもう一つの混声合唱団と3団合同でオープニングセレモニーの校歌の練習。同じ校歌とはいっても、それぞれの団によってアレンジも違うので、タイミングもなかなか難しい。今年はグリークラブ平成2年卒生が指揮を執った。

 そうこうしているうちにお昼になり、講堂前の階段に整列。陽射しが半端ではない。逃げ場なくジリジリと焦がされて日傘をさすわけにもいかず(大学のマーク入りの野球帽を被った強者が数名いたけれど)、例年のことながらこの待ち時間とセレモニーの間が一番体力の消耗が甚だしい。シミソバカスの素をしこたま仕込んでいる感じ。
 ふと前を見ると、被り付きに両親と夫の姿が。後で夫から聞いたことには、チェックアウト後、時間調整をしてタクシーで到着したばかりだったそうだ。恥ずかしいけれど、ちょっと手を振ってみると、父も母も嬉しそう。例年、夫と息子の2人も最前列でカメラを構えてかなり目立っていたとは思うが、高齢の両親連れの夫も相当目立っていることは間違いない。
 やっぱり恥ずかしいなあ、と下を向いていると、なんとサプライズなことに、高校時代の同級生のGさんも声をかけに来てくれてびっくり!

 司会者によると、メンバーの最年長は昭和11年生まれの78歳、そして最年少は平成8年生まれ(息子と同い年)の大学1年生の18歳。その年齢差、実に60歳、還暦分の声が集まった校歌斉唱である。
 無事校歌を歌い終わり、昼食休憩時間。3人に断って、同期や先輩と学生食堂へ。勤務している大学と同じメニューが殆どで、安心というか非日常ではないというか、ちょっと微妙な感じ。昼食を終えて、一旦楽屋に戻り身支度を整えてあっという間に講堂楽屋口へ。

 第1ステージは
 H.Bishop “Home, Sweet home”(邦題:埴生の宿)
 Traditional “Auld Lang Syne”(邦題:蛍の光)
 B. Chilcott “A Little Jazz Mass”≪Kyrie, Gloria,Sanctus/Benedictus/Agnus Dei≫
 心配だった外国の歌2曲が終わり、メインのJazz Massへ。かなりスピードが加速したけれど、とりあえず無事歌い切ることが出来た。一昨年は、予定時間よりかなり早めに進行してしまい、聴いてくれる予定だった同級生が間に合わなかったというハプニングがあったけれど、今日はとてもパンクチュアルに終了。
 最初、父の疲れ具合によってはこのステージだけで、その後、両親をターミナル駅まで送って夫はそこで待機する、という予定だったが、LINEの連絡で、最後まで聴くとの連絡が入る。ちょっと不安だけれど、練習した歌全部聴いてもらえるのは素直に嬉しい。
 高校時代の同級生と楽屋に戻る道々を一緒に歩きながらしばし思い出話に耽る。第2ステージも聴いてくれるとのこと。思いもかけず、何とも有難いことだ。

 楽屋へ戻り、第2ステージまで待機。半分終わったということで、楽屋の雰囲気もすっかりリラックスしている。大半のメンバーが今でも様々な合唱団に所属しているので、その演奏会のチラシやチケットが飛び交って賑やかだ。

 第2ステージは
 佐藤信作詞・林光作曲“うた”
 さくらももこ作詞・相澤直人作曲“ぜんぶ”
 佐藤賢太郎作詞・作曲“前へ~東日本大震災の被災者の皆様へ”
 B. Chilcott “A Little Jazz Mass”より≪Kyrie, Gloria»
 今回の邦人作曲の歌はどれもとても素敵で、言葉に色々な思いを込めて丁寧に歌うものだ。
 喉の調子もこなれてきて、第1ステージよりJazz Massも乗りよく、いい気持ちで歌うことが出来た。ああ、この15分のために、今年もまた頑張れたのだ、とじーんとする。
 真ん中より少し前の席に両親と夫が並んでいるのが見える。夫はひっきりなしに写真を撮ってくれている模様。ここでも時間通りに終了。

 楽屋に戻り、着替えを済ませる。「お世話になりました。打ち上げは失礼します。」と挨拶して楽屋を後にする。予定では、ターミナル駅までタクシーで向かい、両親がJRに乗ったのを見届けてから私たちは私鉄に乗って帰宅、ということだったが、なかなかタクシーが拾えず。結局、大通りまで歩かせてしまったのが運のつき。父はゼーゼーして「とても新宿には行けない、もう歩けない」と言い出す始末。結局、実家までそのままタクシーで向かい、私たちも実家経由で自宅まで帰ってきた。

 所要時間1時間半もかからず、ほぼ明るいうちに家に辿り着くとは嬉しい誤算だった。
 おかげさまで片付けも洗濯も済ませることが出来た。夫には申し訳ないけれど、夕食は冷凍食品総動員の有りあわせのものになった。

 とにかくこれで今年も一大イベントが終了。
 いみじくも舞台が終わって楽屋に戻る途中、高校時代の先輩がおっしゃった言葉が耳に残っている。「あんなに練習したのに間違えてしまった。やっぱり本番は6、7割くらいの力しか出せないから、100%の練習じゃ足りないんだよな、120%やらないと・・・」と。
 本当にそうなのだろうと思う。さすがに1回や2回練習に出てちょいと歌っただけでは、とてもではないけれど本番で間違えずに歌えるわけがない。今回も、自分なりに頑張って練習したつもりだったけれど・・・やはり上を目指せばきりがない。
 現役の時もずっとそう思っていたのだが、こうして地道にコツコツと、繰り返し繰り返し練習を重ねる時間は膨大だ。が、いざ本番が始まってしまえば、本当にあっという間のこと。その一瞬のために長い長い練習があるのだ、ということを改めて想う。今、現役の息子も12月の初めての定演にはそんな感想を持つのだろうか。

 両親にはいいプレゼントが出来たと思う。何より2人を終日ケアしながら走り回ってくれた夫には感謝だ。
 来年もまた歌えるだろうか。いや、また歌いたいものだ、と思う。
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2014.10.18 ホームカミングデー前日、親孝行も一石二鳥?

2014-10-18 20:16:11 | 日記
 土曜の朝はいつものように、ベッドの中で朝の連続テレビ小説を視てからゆっくり起床。青空が広がる秋の日、カラリとした気持ち良いお天気だ。俄然張り切って洗濯機を2回廻し、干し終えてから、午前中のヨガベーシックのクラスで汗を流す。

 簡単に昼食を済ませ、すっかり乾いた洗濯物を片付けてから夫と出かける。
 ターミナル駅で両親と待ち合わせ。気持ちはせっかちだがすっかり動作が遅くなった父のために、大事を取って母が1本早い電車に乗せてしまったという。時間キッカリに到着した私たちだったが、二人は座る場所もなく20分以上待ち続けたようで、待ち草臥れて父はちょっとご機嫌斜め。母は隣で舌を出している。

 夕方前に無事、都心の高層ホテルにチェックインした。昨年は舞台自体がなかったので、一昨年まで3年連続で、ホームカミングデ―の前夜はこのホテルに前泊している。時期的に息子の体育祭とバッティングすることもあったが、今年は夫と2人でツインルーム。今回、夫が両親を誘ったところ、私がステージに乗る姿を見てみたいということで両親も同行している。父は到着するまでにかなり体力を使ったとみえて、チェックインするや否や、お昼寝休憩。息使いも荒く、なんだか聞いているこちらまで息苦しくなってしまう。終日一緒にいると、外の空気を吸いたくなるという母の気持ちが良く分かる。
 思えば私の学生時代、父は入学式にも卒業式にも学園祭にも来ていない。

 そんなことを想いながら、夕食のレストランの下見のため夫とお散歩。どこも若い人たちばかりで、なんだか場違いの中年夫婦であるなあ、と居心地が悪い感じ。

 その後、予約した和食レストランで食事を終えて、早くも部屋に戻ってきた。母は小さい身体でしっかり完食していたけれど、父はお酒を飲んだら殆ど食事が進まなかった。昭和一桁世代で食べ盛りの時期に本当にひもじい思いをしたせいか、食事を残すのはもってのほか、という健啖家だったのだけれど。やはり目の前で親の老いを実感させられるのは何とも切ないものである。

 とにもかくにも、泣いても笑っても明日が本番だ。オープニングセレモニーは例年のように講堂前の階段で、他の合唱団とジョイントで校歌を歌う。午後、講堂でのステージが1度、続いて教室棟でのステージが1度、この僅か15分のステージ2回のために、台風の日曜日や祝日を含めて7回、片道1時間半かけて練習に通ったわけである。もちろん、来年また同じステージに乗ることが出来るかはまったく分からない。今回が最後、という気持ちで(もちろん両親が揃って聴きに来るなどというのは最初で最後だろうと思う。)悔いのないように、これからの時間は最後の復習。ホテルの部屋でipodを流しながら楽譜と睨めっこの予定である。

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2014.10.17 先の見えない介護 -仕事との両立をめざして-フォーラム参加

2014-10-17 21:36:14 | 日記
 今日の午後、学内で開催された標記のフォーラムに出席した。
 基調講演は「男性介護者の現状と課題」と題して、立命館大学産業社会学部教授であり、男性介護者と支援者の全国ネットワーク事務局長の津止正敏氏。その後、講師と2人の副学長との対談「介護と仕事の両立に向けて」というプログラム。充実した2時間半だった。
 津止氏は京都市社会福祉協議会で20年間勤務した後、2001年より現職。専門は地域福祉論で「地域福祉プログラムの臨床研究」、「男性介護者の介護実態と家族介護者支援に関する実証研究」が現在の研究テーマであり、近著に『ケアメンを生きる―男性介護者100 万人へのエール』などがある。(ケアメンとはポジティブ介護を目指す氏の造語だそうだ。)
 対する本学は、司会を務めたのがダイバーシティ推進室長、もう一人は長年臨床医として高齢者の精神疾患の診療を行い、アルツハイマー型認知症についての研究業績を多数有する副学長だ。

 働きながら介護する人は290万人(平成24年度就業構造基本調査・総務省)、そのうち40代、50代が170万人を占める。4割が男性で、50代後半では実に就業者の1割以上が働きながら介護しているという。
 “介護は辛いもの、出来れば避けたいもの”、“介護を排除して成り立つ暮らしや働き方”ではなく、“介護のある暮らしや働き方を社会の標準に”していく、介護を取り込んで初めてワークライフバランスが成り立つのではないかという問題提起で講演終了。
 その後の対談では、お三方それぞれが専門の分野とこれまでの経験に基づいた発言をされ、あっという間に予定終了時間となった。対談後はフロアからも実際に長年介護をしている方の発言や質問があり、いろいろ考えさせられた。

 講演でも対談でも終始頷きっぱなし。実に重いテーマだったし、老親の介護はとても他人事ではない。いつ両親のどちらか(あるいは2人)が要介護状態になり、実家に頻繁に通うことになっても不思議ではない。その時、自分の体調は果たしていかに・・・という不安が常に頭のどこかにひっかかっている私だ。けれど、終了時には不思議ととても救われる思いが残った。なんとなれば、子育ても介護も闘病も、皆それ一筋になってはいけない、という共通点が見い出せたからだろうか。

 そう、あれほど楽しませてもらった子育ても、それ一筋だと負担感は非常に大きい。仕事をして、保育園に預けて。思えばいつも綱渡りのドタバタだったけれど、そうであったからこそ、メリハリをつけて頑張ってこられたのだと思う。講師は介護もそれと同じであると言う。仕事を辞めて介護一筋になった時のリスクが大きく、悲劇は産まれる。真っ当に介護から離れることの出来る環境があることが必要である、と。
 介護をしながら“温泉に行く”というのではなく、“仕事に行く”というのならば後ろめたさや罪悪感に苛まれることがないのではないか、と。そうして介護と仕事を両立させるルートにこそ支援が必要である、と。
 翻って、闘病と仕事も同じではないか、と思う。病気と24時間ひたすら向き合う“闘病一筋”は、私にとってはとても厳しいことだ。逃避性向があるわけではないけれど、仕事があることで、メンタルバランスがうまく取れているのは間違いないと思う。
 ああ、同じなんだ、と改めて思う。介護がただ辛く厳しいものであるだけでなく、介護をすることで、日常のささやかな幸せに気付くことが出来る。病と向き合うことで、今まで当たり前に思っていたことが、決してそうではなくどれだけ有難いことであるのか気付く。そうした気付きにどれだけ出会うことが出来るのかで、きっと人生は変わっていくのだろう。

 介護も闘病も希望が無くなると深刻になる。もちろん、大きな希望を持ちすぎて絶望するのはとても辛いこと。では、その絶望をどう防ぐか。身近な喜びや幸せに気付けるかどうかが決定的なことだ、と講師は言う。
 そのことにすぐ気付く人、なかなか気付かない人、いろいろな人がいるというけれど、そうした気付きのシーンを大切にして日々を送れば、振り返った時にきっといい人生だった、と思えるのではないだろうか。
 介護者団体も患者会の存在もその役割は同じだろう。専門家や医師からあまりにも客観的で冷静に言われる話と実際に体験、経験している人の話はやはり決定的に異なる。自分は独りではない、皆がこんな経験をしながら頑張っているのだ、と思うことが出来ることこそパワーの源になる。

 10月も半ばを過ぎ、日一日と秋が深まってきた。街路樹のカツラの木々はもうすっかり紅葉している。学内でも落ち葉を踏みしめながら歩く場所が増えた。

 御嶽山の噴火から明日で3週間。紅葉シーズンの事故からあっという間に雪の季節となり、行方不明の方たちがいる中、今年の捜査は打ち切りになった。同じくいまだ行方不明の方がいる大島の土石流災害から昨日で1年が経った。
 本当に自然災害が頻発した1年だった。
 生きていること、生かされていることに改めて感謝の思いを馳せながら、沢山の気付きを得られた有難い秋の日であった。
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