ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.10.7 それでも生きていく方が辛いのか~柘榴坂の仇討~

2014-10-07 21:03:57 | 映画
 夫と2人、標題の映画を見た。浅田次郎さん原作「五郎治殿御始末」の中から40頁弱の短編が2時間の映画になったもの。
 最終回の上映だったせいもあり、埋まっている席はチラホラ。男性一人で観に来ている方が殆どで、ちょっとびっくりした。最近とみに涙もろい夫についていえば、最後は目が真っ赤だった。
 私は単純に、原作も読まずにただ好きな俳優が準主役ということで、観なければ!と思っていたのだけれど、思いのほかいろいろ考えさせられてしまった。

 主人公・志村金吾は、桜田門外の変で「命をかけてお守りします」と誓った主君・井伊直弼の殺害を許してしまった彦根藩士・御駕籠回り近習役。息子に良い嫁を迎え、安心して隠居に入った幸せな生活が一変。息子の不始末の責任をとって父は切腹、母は喉を突き、と各々自害する。が、金吾本人は切腹すらさせてももらえない。
 仇討をし、刺客らの首を主君の墓前に届けに来いという御下命がくだる。以後13年もの間、明治維新を迎えてもなお、髷を結い、刀を差したままの姿でひたすら刺客を探し続ける。いわば生き恥を晒しつつ、生計も妻に支えてもらいながら。
 もちろん、本壊を遂げれば、その後に待っているのは切腹であり、その妻も夫の後を追うだろうという筋書きが透けて見える。どちらに転んでも自害が待っているにもかかわらず、延々と蛇の生殺し状態が続くわけである。

 そして、水戸藩浪士の最後のひとりこそ、今や車引きをしながらひっそりと長屋で一人暮らしをしている直吉こと佐橋十兵衛。濃い顔立ちと背の高さが何とも主人公より際立ってしまうのだけれど、実にいい役者さんになったなあ・・・と改めて贔屓の引き倒しを自認する私である。

 おりしも、佐世保事件の女子高校生の父・自殺という報道があり、なんとも言えない想いを抱いた。最近「私は生きていてもいいのでしょうか」と落ち込んでいたというが・・・。
 もちろん、殺人という取り返しのつかない罪を犯してしまった少女は、決して許されるものではない。けれど、誤解を恐れずに言えば、何があろうと最後まで自分の応援団であろう筈の両親を相次いで喪い-最大の理解者であったという母を病で、そして今度は父を自らが起こしてしまったことがきっかけで死に追いやり-、これから彼女とその兄はどういう人生を歩んでいくのだろう・・・と想うと、なんとも言葉がない。

 色々なものを背負いながら生きていくことは辛く切ないことだ。生き恥を晒してまで生きてはいられないということだろうか。けれど、生きていくということは、もろもろひっくるめて恥ずかしいことが山ほどあるわけだ。それでも生かされている身であれば、やはり生きていかなければならないと思うのだけれど・・・。

 この映画では、運命の二人が対峙する日に太政官令が布告され、まさにその日から仇討禁止となる。お互いにいくらでも相手を斬ることが出来た状況で、敢えてそれをしない。二人は別れた後、金吾は、夫は生きては帰ってこないと覚悟していた妻を迎えに行き、直吉は、同じ長屋に住む、彼を密かに慕い、彼自身も憎からず思っている寡婦に、自分に懐いている彼女の子供とともに湯島天神の縁日に誘う。
 そう、2人がこれから前を向いて生きていくことを選んだという静かな決意が見られた。だからこそ、人はそれでも生きていくのだ、ということをより一層尊く感じられたように思うのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする