ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2023.7.27エンハーツ43クール目 さらに6割に減量38回目投与翌日のこと 洗濯、断捨離、籠城蟄居

2023-07-27 22:52:17 | 日記
 昨夜はアセロラゼリーが夕食になった。記事をアップした後、赤いヨーグルトを飲んでからミヤBM錠とタリージェを飲んだ。
 息子は飲み会で午前様。メントール入りの入浴剤を入れたお風呂に入って、Wさんの吐き気止めオイルマッサージをして日付が変わってからベッドへ。
 気持ち悪い。夫も変則で今日が出勤だから、なるべく早く休んではほしいのだが、寝つきがいいので、横になったかと思うと、すぐにセットで鼾がやってくる。
 瞑想CDをBGMにしてなるべく夫の方を向かないように寝返りを打たないで固まって吐き気に耐えつつ眠ったようだった。朝4時半に目が覚めた。3時間半ほどしか眠れなかった。気持ち悪さに加えて首も肩も背中もがちがちコリコリ。
 
 夫が先に起きるのをやり過ごし、スマホアラームが鳴る迄粘ってリビングに行く。お腹はグルングルンして重い。気持ち悪い。
 2人を時間差で送り出し、洗濯機を廻す。朝から暑い。今日も明日も明後日も猛暑日の予報だ。朝ドラを視ながら出来上がった洗濯物を干す。3日分、かなりの量があって時間がかかる。
 ついでに花の水切りを済ませる。
 
 昨夜は夕食がゼリーと飲むヨーグルトだけだったから、空腹。胃が痛い。なのに気持ち悪くて食欲がない。
 バタースティックパンを1つ温めてお腹に入れる。青汁やスムージーは当然パス。羅漢果茶も欲しくない。従姉が送ってくれた小さな缶入りのシークワーサーのスムージーは飲み切った。果物はプラムとゴールデンキウイひとかけ、ピンクグレープフルーツひと房とブドウ2粒。胃痛防止の青いアロエヨーグルト。薬は一口残しておいたスムージーで飲む。

 食後の薬は、治療翌日から4日間飲んでいた吐き気止めイメンド80㎎が、点滴アロカリスに替わったおかげでなくなった。今日、明日2日間の飲む制吐剤はデカドロン4㎎1錠だけ。いつもの整腸剤ミヤBM錠に胃薬タケプロン、合計3錠だ。

 その後、ソファと一体化すると眠ってしまうので、頑張ってPCの前に座り、ずっと溜まっていた日記を書いて、メールをチェックし、ネットでニュースをざっと読む。それだけでお昼になってしまう。途中喉が渇いて紅茶ラテを飲み干した。
 夫が確認してくれたアルバムを入れ直す。100冊が60冊弱になった。気持ち悪くて注意力散漫なのか、入れるアルバムの順序を間違えたりして、手戻りが多く、時間がかかる。我ながら根気強い。

 ソファに一体化して撮り貯めたドラマの録画をなんとなく視る。お昼らしいお昼もなし。氷珈琲とフィナンシェをお腹に入れた。固い排便があったので、ミヤBMは飲まずじまい。
 今日は夫が飲み会で、帰りの時間はライナーの予約時間で確定できるが、息子の残業は会社を出た時間を連絡してもらわないと分からない。生協のお弁当とミールキットを半分だけ作ることにした。残り半分は明日のお昼廻しだ。
 2人が同時に不要ならよいが、1人が要るとなると、おさんどんからは解放されない。羅漢果茶を1杯飲む。やはり相当喉が渇いているようだ。鉄分補給ドリンクも飲む。

 ぱりぱりに乾いた洗濯物を取り込み、畳み、収納する。疲れる。すぐに横になりたくなるが、頑張って時間をかけて15冊分のアルバムを断捨離。120冊でようやく小学生になった。ざっと1年で20冊平均、800枚相当だ。
 
 母にMeet通話。今日もデイサービスの日だったが、相変わらず「お迎えが遅くて朝の時間がもったいない。到着すると朝の体操も終わる頃でイライラする」という愚痴から始まる。なのに帰りの送りは早いので滞在時間は6時間を割るそうだ。
 嫌なら前の便に戻してほしいと訴えればよいし、それが言えないなら誰かに言ってもらうか我慢するしかない。毎回私はそのアドバイスしか出来ないのが、もう何か月も同じ会話を繰り返している。最後は「わかった、これでおしまい、もう言わない、愚痴っぽくてダメね」と毎回言うのだけれど。

 織り込み済みの体調不良の始まりの日は、結局籠城蟄居になってしまった。到着を待っているものがあったので、午前中に1度郵便受けをチェックし、夕方も夕刊を取りにポストに行った。サンダル履きで。残念ながら待っていたものは届かなかった。

 結局、息子は途中から夫と同じライナーに乗り、揃って仲良く帰宅した。片や飲み会、片やお仕事。息子はまだまだ40年は働くのである。お疲れ様なことである。
 息子の夕飯にお弁当と居酒屋のような冷やしトマトときゅうり、冷や奴を用意して、自分もサンドイッチを半分(半分は息子行き)、フリーズドライスープをお腹に入れられた。

 明日は午前中Sさん瞑想ヨーガクラスの7月3回目。静かな回なのでリアル参加の予定だ。
 夫は飲み会だけのために夕方から出かけるという。息子は当初から夕食不要だと言っている。夜は一人時間がプレゼントされた。嬉しい。出来れば夕方あたり、少し涼しくなったら(なってほしい)今日行きたいと思いながらも行けなかったATMまで記帳に行きたいと思う。

 しみったれたことばかり書いているので、少し別の話題を。いつも拝読している読売新聞yomi.Dr連載、高野先生の最新号である。以下、転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)
Dr.高野の「腫瘍内科医になんでも聞いてみよう」(2023年7月27日)
 緩和ケアなんて受けたくありません。もう希望がないということですか?

 私は、抗がん剤などの治療方針について話し合うとき、「緩和ケア」についてもお話しします。
 説明に使う文書には、
 「どんな場面でも、『緩和ケア』は必ず行います」
 と書いています。
緩和ケアはネガティブなイメージ?
 この説明をするとき、「緩和ケア」についてどんなイメージを持っているか、患者さんやご家族に聞いてみることもありますが、ネガティブなイメージを持っている方が多いようです。
 「私は緩和ケアなんて受けたくありません。ずっと治療を続けたいんです」
 「緩和ケアを受けるっていうことは、もう私には希望がないということですか?」
 というように言われることもあります。
 緩和ケアには、次のような誤解があるようです。
がんに対して行うのは、「治療」か「緩和ケア」かのどちらか、二者択一である。
「緩和ケア」は、「治療」をあきらめたあとに行うものである。
「治療」には希望があるが、「緩和ケア」には絶望しかない。
「治療」か「緩和ケア」かの二者択一ではない
 私は、これらのイメージを 払拭ふっしょく できるように、説明していきます。
 「緩和ケアというのは、すべての人に行う、最も大切な医療です。症状があったり、不安があったりして困っている方がいたら、手を差し伸べる。それが医療の本質です。どんな場面でも当然行うものなので、緩和ケアをしない、という選択肢はありません。かといって押しつけるわけではなく、あくまでも自然に行われるものです。こうやってお話をしているのも、広い意味で『緩和ケア』なんですよ。治療か緩和ケアか、という二者択一で考えるものではなく、緩和ケアに加えてどのように治療をしていくのかを考えることになります。抗がん剤を使うときもお休みするときもあるでしょうが、緩和ケアは、どんなときでも、ずっと続けていきます」
気持ちをラクにするのも緩和ケア
 緩和ケアが具体的にどういうものかというと、痛みがあったら痛み止めを使う、というような「症状緩和」がまず挙げられます。身体的な症状というのは多種多様で、原因も様々ですので、それを緩和するためには、薬を使うだけでなく、放射線治療、手術、理学療法など、いろいろな方法を駆使して対処します。
 気持ちのつらさに対して、話を聞いたり、気持ちがラクになるような対処法を考えたりするのも、大切な緩和ケアです。抗がん剤治療などの治療方針に迷うときに、意思決定のサポートをするのも、抗がん剤治療の副作用対策をするのも、緩和ケアです。
 食事や運動など日常生活にかかわるアドバイスをしたり、仕事と治療を両立できるように支援したり、今の体の状態でできることを増やしていけるようなリハビリを行ったり、挙げればきりがないですが、患者さんが自分らしく生きるのを支えるためのすべてが緩和ケアと言えます。「緩和ケアとは、医療そのものだ」と説明することもあります。
 医師、看護師、薬剤師、公認心理師、理学療法士、管理栄養士、医療ソーシャルワーカーなど、多くの医療従事者が緩和ケアを担います。患者さんが自分らしく生きるのを支える、という意味では、医療従事者に限らず、家族、友人、職場の同僚など、まわりの人たちも、緩和ケアを担う重要な存在となります。
 緩和ケアは、すべての人の手の届くところにあり、無限の可能性を秘めています。がん医療において欠かせないものですが、まだ十分に活用されていないように思います。
 緩和ケアそのものには、ネガティブな要素はほとんどないのに、誤ったイメージのために毛嫌いされているとしたら、とても残念なことです。緩和ケアは、自分らしく生きる支えになるものであって、うまく活用できれば、希望も見えてくるはずです。「絶望の医療」ではなく、「希望の医療」なのです。
「終末期ケア」と重なるイメージ
 それでも、「治療が希望、緩和ケアは絶望」というイメージは根強くあります。本当の緩和ケアは、いつでも、どこでも、誰でも、自然に受けられるもので、治療しているかどうかとは関係ないのですが、「緩和ケア」と「治療しないこと」がイコールだと考えている方が多いようです。
 緩和ケア病棟に入院する際には、がんに対する積極的治療をしないことが条件になっていることも多く、それが誤解を招いているのかもしれません。緩和ケア病棟は、ホスピスとも呼ばれる、緩和ケアに特化した病棟・施設で、最期の時間を穏やかに過ごせるように「終末期ケア」が行われます。「終末期ケア」は、緩和ケアのとても大切な部分ですが、緩和ケアのすべてというわけではありません。
 緩和ケアは、緩和ケア病棟だけで行われるものではなく、がんと診断されたときからずっと行われているものです。いろんな場面で、状況に応じて行われるのが緩和ケアであって、そういう広いイメージが浸透すればよいのですが、終末期ケアに特化したイメージも根強くあるようです。
 「緩和ケア」という言葉には、「終末期ケア」のイメージが重なっているので、名前を変えた方がよいのではないか、という議論もあります。名前だけの問題ではないでしょうが、「がんになっても、自分らしく生きるために必要なケア」のあり方を考えるきっかけとして、社会全体で適切な名前を議論してみてもよいのかもしれません。
本当の希望は「自分らしく生きること」
 緩和ケアについての誤解が解けたとしても、「治療こそが希望」という根深いイメージがまだ残っています。そして、希望にすがるように、つらくても効いていない治療を続けてしまうなど、このイメージが患者さんを苦しめることがあります。
 治療というのは、がんに対処するために用いる「道具」です。道具を使うことが目標ではないですし、道具を使うか使わないかが希望と絶望を分けるようなこともありません。自分らしく生きるためにうまく活用するのが治療であって、けっして、治療のために生きているわけではありません。
 本当に希望があるとしたら、それは、治療ではなく、「自分らしく生きること」にあるはずです。まず、「自分が大切にしているものは何か」「これから優先してやりたいことは何か」「日々どのように過ごしていきたいか」を考え、それを実現するための道具として、治療を選択していきましょう。
 治療という道具を使うのが希望、使わないのは絶望と、治療を中心に考えてしまうのではなく、自分の身の回りに、「本当の希望」を探してみてはいかがでしょうか。日々の 些細ささい な出来事の中にも、うれしかったこと、昨日よりもよくなったこと、生きていてよかったと思うことなどがあるはずです。
 治療をしていても、いなくても、緩和ケアという素晴らしい道具が常にありますので、それを活用しながら、本当の希望を見つけ、自分らしく生きていただきたいと願っています。(高野利実 がん研有明病院院長補佐)

 (転載終了)※  ※  ※
 そう、緩和ケア=終末期ケアと思うから(そういうイメージが強すぎるから)良くないのだ。診察室や化学療法室で、さらには薬局の窓口で症状の辛さや副作用のしんどさを吐露するのも、吐き気止めの飲み薬を処方して頂くのも、点滴として身体に入れて頂くのも、痛み止めを飲むのも身体を少しでも楽にするために行われる。
 全てが緩和ケアだ。そう考えれば、先生が書いておられる通り、何もしないこと=緩和ケアではない。

 もちろん治療が出来るということは何より有難いことだし、希望であることに間違いない。けれど、同時に副作用の辛さは常についてくる。疲れてお休みしたいことも、そのまま止めてしまいたいと思うこともあるだろう(現に私は何度もあった。)。
 けれど今、治療のおかげで送ることが出来る普通の生活を少しでも長く続けるために、出来るだけQOLを落とさず好きなことを続けて行える時間を稼ぐために、積極的な治療とともに緩和ケアを受けながら、死ぬまで出来る限り自分らしく生きるのである。
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