全国でコロナ感染爆発が止まらない。緊急事態宣言が7府県にも拡大適用し、既に宣言下でもある都県と合わせて13都府県に。期間は9月12日まで延長されることになった。
それでも24日からのパラリンピックは無観客ではあるが、実施だそうだ。
この事態で開催するのだから無観客は当然だと思う。けれど、この状況でもなお、開催するしか選択肢はないのかなぁ、と首をかしげざるを得ない。オリンピック開催時よりも状況は悪化している。パラリンピックを軽視するというわけではなく、選手の中には感染したら重症化する基礎疾患等を持つ人も少なくないのではないかと案じている。
毎日新聞の愛読しているコラムを読んだ。私もコラムで紹介されているドラマを視たのだけれど、あぁ、本当にそうなのだ、と膝を打った。
以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
正論を踏み外す=大治朋子(毎日新聞 2021/8/17 東京朝刊)<火論:ka-ron>
先週末にNHKで放映された終戦ドラマ「しかたなかったと言うてはいかんのです」を見た。
太平洋戦争末期に起きた米兵への生体解剖。解剖を行った当時の九州帝国大医学部助教授、鳥巣太郎医師がモデルで、そのめい、熊野以素氏の著書「九州大学生体解剖事件 七〇年目の真実」が原案だ。
1945年5月に米軍爆撃機が熊本、大分県境に墜落し、捕らえられた米兵8人が解剖手術で殺された。どの程度失血すれば死ぬのか、血液のかわりに塩水は使えるか。そんなことが目的だった。
鳥巣氏は解剖計画を知らなかった。教授の命を受けて参加しその実態に気づいた。2回目の解剖で「不法不当」を訴えたが聞き入れられず、以後は参加を拒否した。
48年の横浜裁判で軍や大学関係者計23人が有罪判決を受けた。鳥巣氏は当初、絞首刑とされたが妻の尽力で命令への抵抗などが立証され懲役10年に減刑された。
その裁判で、ある医学博士が「私がその立場なら参加しない、医学は治すもので殺すことではない、軍の命令でも従わない」と語っている。ノンフィクション作家の上坂冬子氏の著書「生体解剖」(毎日新聞社)によると、鳥巣氏はその言葉を重く受け止め上坂氏にこう語ったという。
「厳しくともあれが正論です。人間は正論を踏み外してはいかんのです」
だが上坂氏は疑問を抱く。「組織の一角に拍車がかかって個人をひねりつぶして驀進(ばくしん)するような事態はいつの時代にもあり得ることだが、そんなとき個人はどんな方法で対処せよというのであろう」
そして思わず「ああするよりほかに仕方なかったのではないか」と問い直すと、鳥巣氏は遮るように言ったそうだ。
「それをいうてはいかんのです」
「どんな事情があろうと、仕方がなかったなどというてはいかんのです」
権力の暴走から命を守れなかったことへの悔恨。鳥巣氏の言葉は、新型コロナウイルス禍の我々に問いかける。正論を踏み外してはいないか、と。
東京五輪開催に為政者らがばく進し、批判した医師らの声はひねりつぶされた。費やされたカネと選手の汗に「仕方がない」のムードが高まった。「命こそ宝」の正論は踏み外され、その結果は予想通りの感染拡大と医療危機。程度の差こそあれ、そこに連帯責任を感じる市民もいる。
五輪の負のレガシー(遺産)があるとすれば、その一つは正論を踏み外したことへの後ろめたさかもしれない。(専門記者)
(転載終了)※ ※ ※
五輪のレガシーがあるとすれば、正論を踏み外したことへの後ろめたさ・・・。なんということだろう。
誰もがおかしいと思っている方向へ、なぜ突き進むのだろう。
中止するのは簡単だと言い放ちつつ、57年前のノスタルジーに浸って強硬開催の決断をするなんて、あまりにナンセンスだ。
そもそも嘘で塗り固めた文言で、わざわざ東京の一極集中を加速するようなオリンピックを招致してきたのは、当時のあの高揚をもう一度、というもはや老害とも言える為政者に他ならない。
これは76年前、かの敗戦に突き進んでいった戦時中と同じ状況だ、と言う人の声も何度も耳にする。まさしく国民の命がなおざりにされている中で、私たち大人は未来を担う子どもたちに今の状況をなんと説明したらよいのだろう。現政権を直接支持はしないけれど代わりを担う人たちがいないから、という状況にまた臍を噛む。
こうして取り返すことの出来ない2021年の夏が終わっていくとしたら、あまりに悲しすぎる。
政治についてはこのブログでは書かないと決めているのだけれど、60年生きてきて、今ほど強く選挙に行かなければと思ったことはない。
若い人たちにはどうか諦めずに、是非とも投票に足を運んでほしいと思う。私たちが汗水たらして働いて納めている税金が、こういう使われ方をしていることには絶対におかしいのだと、為政者に伝えるのはタックスペイヤーとしての務めなのではないかと思う。