ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2020.7.26 エンハーツ投与後11日目のこと

2020-07-26 19:44:17 | 日記
 日曜日、4連休最終日。
 昨夜もご飯粒が喉を通らず。22日以来米飯とは遠ざかっている。のど越しの良い麺類しか受け付けない。それでも小児用ロペミンのおかげで下痢はひとまず止まった(というか、もうお腹の中はスッカラカンだ。)。

 今朝も6時間ほど眠ったところで、またしても腹痛で目が覚めた。恐々お手洗いに行ったが、とりあえず緩めの普通便。ほっとした。
 朝食はいまだに普段の半分ほどの量。それでも、治療後初めてナウゼリンを飲まずに食事を摂ることが出来た。今日も不安定なお天気。いきなりざーっと雨が強くなる。

 寝具類を外してベッドメイキングをするだけですぐに息切れがする。脈が3桁だ。何かするたびに休み、休みである。それでも家事をしようという気分になっただけで大分進歩ではないか。
 こんなお天気でもシーツや枕カバーなどを洗濯機に放り込めることが何より有難い。先週も先々週も体調不良で出来なかった拭き掃除を頑張った。といっても30分もしないうちに息切れ。結局水回りのうち、トイレの掃除は夫が引き受けてくれた。有難かった。

 この4日間すっかり飯炊き男(失礼!)と化した可哀想な夫である(私は洗い物担当)。朝食が終わると「お昼何食べる?」、昼食が終わると「夕飯どうする?」と訊かれ、食欲不振の病人としては半ば閉口気味である。が、実際女性はそういう生活をずーっと続けているのよ、と憎まれ口を言ってみたりする。

 思うに人というものは(というか私だけ?)、一生のうち他の人の食事の世話をする上限回数が決まっていて、私の能力からすると結婚生活30年足らずでその限界値に達したのではないかと思うほど、食事の支度をするのが億劫になっている。

 お昼は夫が素麺を茹でてくれたので、有難く頂く。一日3食食べられたのは2日だけか?
 このまま4日間一歩も外出しないでソファと一体化した生活を送ってしまうと、明日8時間もの間、職場で座っている自信がない。

 思い切って寝ポーズと座りポーズだけのリラックスヨガのクラスに出向くことにした。治療の前日に出向いて以来、実に12日ぶりだ。このところ脂汗と冷や汗はたんまりかいたけれど、気持よい汗は一回たりともかいていないことに唖然とする。
 それにしても、駅前まで行くだけで息が切れる。マスクをしたら歩けないのではないかと心配になるほど体力が落ちている。靴を履いて外気に触れるのはおよそ100時間ぶりのことである。

 クラスは男性7人、女性9人で今の17名定員ほゞギリギリである。12日ぶりのクラスは疲れたけれど、とりあえずリタイアすることなくなんとか最後まで参加出来た。レッスン後の10分ヨガはパスしたけれど。
 夫と待ち合わせしてドラッグストアで買い出し。この4日間一歩も外出しなかったせいで、使ったのは新聞代の集金だけ。ああ、やはりこの引きこもりでは経済は廻るべくもないなと思う。

 そのまま帰れば雨に当たらずに済んだけれど、夫が「ちょっと気分転換してお茶していこう、ご馳走するから」と言うのでご相伴した。やはり病み上がりというか抗がん剤副作用中の身、シャバは疲れる。そしてスーパーで果物等買い足しているうちに雨になり、タクシーもお相伴になった。相当疲れていたので、家の前の心臓破りの坂は上れなかったな、と有難く。

 というわけで昨日は本当にどうなることか、と思ったけれど、明日から仕事だ、ということも背中を押して、ちょっとだけシャンとしてきた。
 とはいえ、何をしてもすぐに疲れ、息苦しくなるのは否めない。この後、下痢が酷くなりませんように、再び吐き気やだるさがぶり返しませんように、と願うのみである。

 そして今日も東京は239人、大阪は141人。どこまで第二波ではないと言い張るつもりなのだろう。
コメント
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