夫は息子の小さかった時のビデオを見るのが好きだ。
これを見始めると、あっという間に何時間も経ってしまって何も出来なくなる。だから私は、よほどのことがない限り腰を据えて付き合うことはない。
たまたま昨日はのんびり過ごせたので、ダイニングテーブルで用事をしながら、なんとなくチラチラと見ていたら、いつのまにかついつい見入ってしまった。
息子が2歳半前後のもの。おむつはしているが、片言のお喋りがずいぶん上手になり、大分人間らしくなって実に面白い。喜怒哀楽が激しく、嫌なものは嫌、もはっきりしている。
今は亡き父や母と小旅行に行ったものも含まれていた。父は退職して10年ほど、すっかり好々爺になっている。母はまだ60代で髪の毛も真っ黒。ずいぶんと若い。まあ今の私と10歳も違わないので当然か。
私は出産後、今の職住近接の職場勤めにはなっていたが、昇任後で繁忙職場にいた。一方、夫は本庁勤めで平日は毎晩帰りが遅かった。だから、保育園の送迎は私の仕事で、どんなに仕事が残っていても時間が来ればすべて放り出してお迎えに駆け付けなければならなかった。そんなわけで、帳尻合わせのために土日に出勤するのは日常茶飯事のことだった。
昨日見ていたビデオも、休日に私が仕事に出かけてしまい、それを追って玄関に座り込んだまま短い足をバタバタさせて泣き叫ぶ息子のもの。夫がビデオを回しながら困り果てているのが伝わってくる。どんなになだめてもすかしても、息子の不機嫌は治らない。ひたすら「ママママママママママ・・・・」と顔を真っ赤にして泣いて怒っている。夫は「ママはお仕事に行ったけど、またちゃんと帰ってくるからそれまでパパと遊ぼうよ」と言っているのだけれど、涙声で「パパバイバイ(パパはいなくなっていい)」を繰り返すのみ。「本当にパパもいなくなっちゃっていいの?」と訊くが、お構いなしでギャオギャオと泣き続ける映像が延々と続く。
ああ、こんなもの見せないで欲しい。
20年以上経っても、こんな切ないものを見せられれば、自然と泣けてくるではないか。
もちろん、息子はこんなことはもうすっかり忘れているのだろうけれど。
こんなに掛け値なしに人から全面的に頼られて、必要とされて、なんと幸せなことだろう。
先日、瞑想ヨーガの師匠であるSさんがスタジオをクローズさせる時のご挨拶で、「自分を必要としている息子が可愛くてたまらない。自分の仕事は、誰かが悲しい時、その人の話を聞いて、誰かが嬉しい時、その人とともに喜ぶことで、子育てと同じことをしていることに気が付いた。誰かを悲しませてまで場所を変えて同じこと(仕事)を続けることが自分にはどうしてもしっくりこなかった。だから暫く仕事のペースを落とす決意をしました。」と仰っていたことを思い出した。
それほど恋い焦がれられていたのにも関わらず、私はその息子を振り切って仕事を続けてきた。それが良かったのかどうか今もわからない。
それでも、その時に出来る精一杯の愛情を持って息子に対峙してきたつもりだ。だから、今そのことについて仕事を辞めて息子と付き合えばよかった、と後悔しているわけではない。が、やはり20年以上経ってもこういうものを見せられれば、どうしても涙がこぼれてしまう。胸がチリチリと痛むのである。ああ。
今朝、早起きのお花屋さんから今月2回目のお花が届いた。深紅が2本、橙が3本の薔薇、白い星のような形をした花が愛らしいオーニソガラムが2本、名前の通り淡い青の星型の花、ブルースター、ユキヤナギが1本ずつとミスカンサスの葉。折り悪くその時間はまだかつらを装着しておらず、身支度途中だったので、申し訳ないけれど、玄関まで出られず居留守を使う羽目になった。出勤前に玄関に置かれた花を取り込んで、水につけて家を出た。
花言葉はそれぞれ「愛らしい」、「潔癖」、「信じあう心」、「愛らしさ」、「変わらぬ想い」だという。前回のお花はちょうど昨日処分したところで、玄関がまた華やかになった。
さて、新しい1週間が始まった。母は午後から退院後初めての泌尿器科の診察だった。付添が出来なかったが、暖かかったし、ゆっくり歩いて一人で行ってきたそうな。特に問題はなく、安心したそうだ。
少しずつ今までの生活のペースを取り戻していってほしい。