今年度も余すところ1週間余となった。
都心では桜の開花も発表された。こちらは都心より2,3度気温が低いから、1週間ほど遅い開花になる。桜並木の蕾はまだ堅い感じに見えるけれど、それでも少しずつ色が変わってきている。植え込みの沈丁花の香りは馥郁と鼻をくすぐっているし、雪柳の眩しいほどの白い小花も可憐だ。コブシの花も元気に開きだしている。そう、世はSpring has come! 春なのである。
そんな中、今週はちょっと受難続きである。
もろもろの薬の副作用が溜まり、足の裏を中心とした痺れが常態化して久しいが、本当にちょっとした拍子になんでもないところで躓く。足裏の感覚がかなり鈍っているので、ヒールの高い靴を履くのは諦めて、カバさん靴がデフォルトなのだけれど、それでも平らな歩道のちょっとした縁にひっかかってこける。
今回も右足首の軽い捻挫を起こしてしまった。その時はなんとか大丈夫だと思って特に手当をしなかったのだけれど、一晩眠って朝起きたら結構症状が酷くなっていて、丸一日以上湿布をして足を引きずって歩くハメになった。
さらには記憶にある限り10年近く前に、友人とお昼に摂ったシラス丼でノロウィルスに罹患して以来の嘔吐。夕食後4時間近く経って、急に胃の痛みが襲った。胃薬を飲み、休んでいると今度は腹痛も。様子を見てお風呂で温まった途端、今度は生唾が止まらなくなった。お風呂から出るなりお手洗いに駆け込んで嘔吐。食後時間が経っていたわりには、何故か吐しゃ物は殆ど未消化だった。
私はもともと嘔吐にあまり免疫がない。大人になって記憶にあるのは、悪阻の時を除けば数えるほど。抗がん剤投与の後でも、高性能の吐き気止めのおかげで気持ち悪さはあっても実際に嘔吐することはなかった。それなのに、何故、今?である。結構凹む。
嘔吐したら気持ち悪さは解消してスッキリはしたものの、その影響で胃の痙攣が続き、痛みも継続して不調。翌日も終日胃が重苦しく、食事を摂る度に胃がその存在を主張して地味に痛むのに悩まされた。
こう調子が悪いと、心穏やかに潔くというスローガンはどこへやら、情けなくも心がざわつく。この2か月近く通院等でほぼ週4日勤務だし、治療週の金曜日は体調が悪く、ギブアップして早退させて頂くこともある。こんな調子でいったいいつまでフルタイム勤務が続けられるものか、とも思う。
そんな中、春の声とともにゴールデンウィークや5月から6月の集まりの楽しいお知らせなどが次々と届く。
行きたいのは山々、それでも体調次第と答えるしかない。それもあくまで今の状況が続けばということだから、私の日程に配慮して頂いて、結局その日でもダメになるとなればまたまたご迷惑をおかけすることになる。だから軽々しく返事が出来ない。
かつてはこうした集まりには無理をしても駆けつけていた。けれど、最近はその無理がしにくくなっている。なんといっても疲れやすいし、一度リズムを崩すと体調を戻すのに時間がかかる。治療週の土日、都心まで出向いて会食するのは諦めるほかないのかなと思っている。
とはいうものの、今後投与のスケジュールと体調が安定すれば・・・と願うのだけれど、冷静に考えれば休薬週には好中球の値が低いのは自明の理だから、そうそうウキウキと自分から人混みに行くのも賢くはないだろう。こうして引き篭もってしまうとそれはそれで免疫力が下がりそうだけれど。
そして、先日「芥川症」の次に読みたいと書いた久坂部羊さんの「悪医」を読んで、なんとも身につまされた。
患者は52歳の男性。2年前に早期胃がん手術をしたものの、1年経たずして肝転移。抗がん剤が効かなくなり、若い外科医からもはや治療が出来ず余命三ヶ月と告げられる。
その後、セカンドオピニオンを取り、転院して別の腫瘍内科医にかかり、大枚はたいて免疫細胞療法も試して最後はホスピスへ・・・と、奔走する患者と、いかにしたら(もはや命を縮めることになる)積極的治療をせずに残された日々を穏やかに過ごしてもらえるか、と主治医が苦渋する様子が交互に描かれる。
こうして9年以上再発治療で命を繋いでいる身、どちらの気持ちもリアルに分かる。それだけに色々考えさせられた。
この若き外科医は、テーマパークの閉園を例に患者に説明しようとした。なるほど、と思った。
閉園時間のないテーマパークはない。どんな素晴らしい楽しい人生(時間)も終わらないものはない。だからこそ、閉園時間までどうすれば楽しく過ごせる(ここぞと思ったら積極的治療を止めて穏やかに過ごす時間を大切にする)か。あるいは、何とか閉園しないように事務所に掛け合い続ける(最後まで積極的治療を望んで穏やかな時間を失くす)のか。
この本では、がん患者は閉園しないテーマパークで遊びたいと思っている、と書かれている。
けれど、私はさぁどちらを選ぶかと問われれば、前者なのだろうなと思う。筆者は、その状況を分かっている筈の医師でさえも、実際に自分がその場になれば、あれこれ藁にもすがる思いで治療をしてしまうというみっともない最期になるかもしれない、とも書いている。だから、私もその時が来た時に、その決断をきちんとくだすことが出来るか、自信はない。
卒業生から思いもしない感謝の手紙やメールを頂いた。こんなポンコツの私でもまだ若い力のお役に立てている、まだ働いていてもいいのだ、ともったいなくも有難く思う。
心のざわざわを体調復調とともに少しずつ落ち着けていきたい年度末である。
都心では桜の開花も発表された。こちらは都心より2,3度気温が低いから、1週間ほど遅い開花になる。桜並木の蕾はまだ堅い感じに見えるけれど、それでも少しずつ色が変わってきている。植え込みの沈丁花の香りは馥郁と鼻をくすぐっているし、雪柳の眩しいほどの白い小花も可憐だ。コブシの花も元気に開きだしている。そう、世はSpring has come! 春なのである。
そんな中、今週はちょっと受難続きである。
もろもろの薬の副作用が溜まり、足の裏を中心とした痺れが常態化して久しいが、本当にちょっとした拍子になんでもないところで躓く。足裏の感覚がかなり鈍っているので、ヒールの高い靴を履くのは諦めて、カバさん靴がデフォルトなのだけれど、それでも平らな歩道のちょっとした縁にひっかかってこける。
今回も右足首の軽い捻挫を起こしてしまった。その時はなんとか大丈夫だと思って特に手当をしなかったのだけれど、一晩眠って朝起きたら結構症状が酷くなっていて、丸一日以上湿布をして足を引きずって歩くハメになった。
さらには記憶にある限り10年近く前に、友人とお昼に摂ったシラス丼でノロウィルスに罹患して以来の嘔吐。夕食後4時間近く経って、急に胃の痛みが襲った。胃薬を飲み、休んでいると今度は腹痛も。様子を見てお風呂で温まった途端、今度は生唾が止まらなくなった。お風呂から出るなりお手洗いに駆け込んで嘔吐。食後時間が経っていたわりには、何故か吐しゃ物は殆ど未消化だった。
私はもともと嘔吐にあまり免疫がない。大人になって記憶にあるのは、悪阻の時を除けば数えるほど。抗がん剤投与の後でも、高性能の吐き気止めのおかげで気持ち悪さはあっても実際に嘔吐することはなかった。それなのに、何故、今?である。結構凹む。
嘔吐したら気持ち悪さは解消してスッキリはしたものの、その影響で胃の痙攣が続き、痛みも継続して不調。翌日も終日胃が重苦しく、食事を摂る度に胃がその存在を主張して地味に痛むのに悩まされた。
こう調子が悪いと、心穏やかに潔くというスローガンはどこへやら、情けなくも心がざわつく。この2か月近く通院等でほぼ週4日勤務だし、治療週の金曜日は体調が悪く、ギブアップして早退させて頂くこともある。こんな調子でいったいいつまでフルタイム勤務が続けられるものか、とも思う。
そんな中、春の声とともにゴールデンウィークや5月から6月の集まりの楽しいお知らせなどが次々と届く。
行きたいのは山々、それでも体調次第と答えるしかない。それもあくまで今の状況が続けばということだから、私の日程に配慮して頂いて、結局その日でもダメになるとなればまたまたご迷惑をおかけすることになる。だから軽々しく返事が出来ない。
かつてはこうした集まりには無理をしても駆けつけていた。けれど、最近はその無理がしにくくなっている。なんといっても疲れやすいし、一度リズムを崩すと体調を戻すのに時間がかかる。治療週の土日、都心まで出向いて会食するのは諦めるほかないのかなと思っている。
とはいうものの、今後投与のスケジュールと体調が安定すれば・・・と願うのだけれど、冷静に考えれば休薬週には好中球の値が低いのは自明の理だから、そうそうウキウキと自分から人混みに行くのも賢くはないだろう。こうして引き篭もってしまうとそれはそれで免疫力が下がりそうだけれど。
そして、先日「芥川症」の次に読みたいと書いた久坂部羊さんの「悪医」を読んで、なんとも身につまされた。
患者は52歳の男性。2年前に早期胃がん手術をしたものの、1年経たずして肝転移。抗がん剤が効かなくなり、若い外科医からもはや治療が出来ず余命三ヶ月と告げられる。
その後、セカンドオピニオンを取り、転院して別の腫瘍内科医にかかり、大枚はたいて免疫細胞療法も試して最後はホスピスへ・・・と、奔走する患者と、いかにしたら(もはや命を縮めることになる)積極的治療をせずに残された日々を穏やかに過ごしてもらえるか、と主治医が苦渋する様子が交互に描かれる。
こうして9年以上再発治療で命を繋いでいる身、どちらの気持ちもリアルに分かる。それだけに色々考えさせられた。
この若き外科医は、テーマパークの閉園を例に患者に説明しようとした。なるほど、と思った。
閉園時間のないテーマパークはない。どんな素晴らしい楽しい人生(時間)も終わらないものはない。だからこそ、閉園時間までどうすれば楽しく過ごせる(ここぞと思ったら積極的治療を止めて穏やかに過ごす時間を大切にする)か。あるいは、何とか閉園しないように事務所に掛け合い続ける(最後まで積極的治療を望んで穏やかな時間を失くす)のか。
この本では、がん患者は閉園しないテーマパークで遊びたいと思っている、と書かれている。
けれど、私はさぁどちらを選ぶかと問われれば、前者なのだろうなと思う。筆者は、その状況を分かっている筈の医師でさえも、実際に自分がその場になれば、あれこれ藁にもすがる思いで治療をしてしまうというみっともない最期になるかもしれない、とも書いている。だから、私もその時が来た時に、その決断をきちんとくだすことが出来るか、自信はない。
卒業生から思いもしない感謝の手紙やメールを頂いた。こんなポンコツの私でもまだ若い力のお役に立てている、まだ働いていてもいいのだ、ともったいなくも有難く思う。
心のざわざわを体調復調とともに少しずつ落ち着けていきたい年度末である。