昨日は新書と文庫が1冊ずつ読めた。
1冊目は、佐藤優さんの「嫉妬と自己愛 『負の感情』を制した者だけが生き残れる」(中公新書ラクレ)。
帯には「職場で、家庭で、人間関係に苦しんでいるあなたに-“困った人”への対処法を伝授 相手のコンプレックスに触れるな! 一人の部下をみんなの前で褒めるな! 『嫉妬をしない人』ほど気を付けろ!」と何やら穏やかでない字が躍っている。
そして、人間関係に強くなるには優れた小説を読め!とある。さらに“「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」で自己愛を学び、「いなか、の、すとーかー」でストーカーの怖さを知り、「それから」で男の嫉妬を理解し、「ナイルパーチの女子会」で友情について考え、「伊藤くんAtoE」でダメ男に憤り、「コンビニ人間」で自己愛ゼロ人間に出会う”とある。
外交官時代に見聞きした「男の嫉妬」、作家として付き合う編集者たちに感じる「自己愛の肥大」。自分自身を制御できない人たちは、やがて周囲と大きな軋轢を起こす。彼らにどう対処すべきか。自分がそうならないためには何をすべきか。小説や、専門家との対論などを通じた嫉妬と自己愛の読み解きである。
1時間半ほどで一気に読み終えた。佐藤さん節全開でテンポよく、実に面白かった。今回紹介されていた本は全て読んでいるわけでないが、なるほどな、と思うことがあちらにもこちらにも。こうして長くブログを書いていることで経験したこと(ストーカーとまではいかなかったけれど)でも思い当たることが多かった。
ヨーガの学びを続けることで色々なネガティヴな感情がなくなっているのだが、かえって注意しなければならないこともあるということにも改めて気づかされた。
2冊目はH.S.クシュナー著/松宮克昌さん訳の「私の生きた証はどこにあるのか 大人のための人生論」(岩波現代文庫)。
帯には「『なぜ私だけが苦しむのか』の著者が生きる意味に飢え乾く人に贈る名著」とある。裏表紙には「私がこれまでしてきたことには、どんな意味があったのだろうか?-人生後半にさしかかった人々がしばしば襲われる、こうした空虚感を埋めるには、どうすればよいのか。世界的ベストセラー『なぜ私だけが苦しむのかー現代のヨブ記』の著者が、旧約聖書、ゲーテ、ユング、ピアジェ、・・・など古今の名著や数々の実例を引用しつつ、真に充実した人生とは何かを問い直し、生きる意味に飢え乾くすべての人々の悩みにこたえる。現代文庫オリジナル版」とある。
これまでの12年余にわたる病との共存生活は、自分としてはその時その時を精一杯、後悔することなく進んできた。そして、今はヨーガとの出会いにより生きる意味を問いつつ飢え乾くわけでもない。けれど、だからこそ、あえて手に取った。
訳者の松岡さんがあとがきで書いておられるが、本書は1985年に著者が50歳の時に書かれたもの。ちょうど私が働き始めた年だ。「今の時代には古すぎる」と少なからぬ出版社から翻訳を断られ続け、十年余の年月が流れたという。今回、岩波現代文庫として我が国でもようやく日の目をみることになったことを嬉しく思う、とある。そして「本書が取り上げるテーマは決して日本人の読者にとって縁遠い、いわゆる『あちらの古い話』ではなく、むしろ、今日を生きる人々の思いに重ね合わせることが出来る」と書かれている。
そう、全く古びていない。それどころか充分に今に通じるものだった。1985年、大学を卒業したばかり、希望通りの職を得て働き始めた23歳の私がこの本を手に取ったとは思えない。今だからこそ、こうして長く病と共存し、当初は迎えることが出来なかったと思っていた55歳という年齢を重ねることが叶った今、人生の後半というか、むしろ終わりの時間に差し掛かっている今だからこそ、出会えた1冊であり、心に染み渡る1冊だったのだと思う。
昨夜はだるさと熱っぽさのためブログをアップした後、すぐに入浴。べッドになだれこみ、明け方まで目覚めることなく5時間ほど連続で眠ることが出来た。さすがに夕食抜きだったので、空腹感はあったが、朝食は普段の半分程でやめておく。アロキシのおかげで、吐き気止めを飲まなければとても食事が摂れないというわけではないが、前回同様早くも便秘である。こちらがなんとも気持ち悪い。
朝は会議のため2時間以上電車に揺られて出張先へ直行。午前中に会議と打ち合わせを終え、途中乗換駅でランチ。空腹だが、やはり気持ち悪さが勝る。ナウゼリンを飲んで落ち着かせてからリゾットをお腹に入れる。食後はマグラックス。職場に戻り、昨日から今日にかけて溜まったメールを大車輪で処理。夕方からもう一つの会議に出る。
夫が午後休暇を取って確定申告に行ってくれた。昨年の我が家の医療費総額は3割負担で240万円弱。そのうち私の支払い分が210万円を超え、9割を占める。けれど、昨年は夫の入院・手術があったからで、これがなければ例年9割5分が私、である。先日7割を負担してくれている共済組合からも支払総額通知が来て、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
そんなわけで夫が早めに帰宅して、夕食の支度は任せてと言ってくれたので、1時間ほど残業して帳尻を合わせた。だるさがあり、なんとなく熱っぽくて顔がほてっているのは前回と同じ。
夕飯は夫特製の煮込みうどんをちょっぴり。やはりナウゼリンとマグラックスを食前食後に内服。お腹も出していいのか止めていいのか、どうしていいのやら大変である。
毎度のセリフだけれど、明日を乗り切れば、土日に突入である。
1冊目は、佐藤優さんの「嫉妬と自己愛 『負の感情』を制した者だけが生き残れる」(中公新書ラクレ)。
帯には「職場で、家庭で、人間関係に苦しんでいるあなたに-“困った人”への対処法を伝授 相手のコンプレックスに触れるな! 一人の部下をみんなの前で褒めるな! 『嫉妬をしない人』ほど気を付けろ!」と何やら穏やかでない字が躍っている。
そして、人間関係に強くなるには優れた小説を読め!とある。さらに“「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」で自己愛を学び、「いなか、の、すとーかー」でストーカーの怖さを知り、「それから」で男の嫉妬を理解し、「ナイルパーチの女子会」で友情について考え、「伊藤くんAtoE」でダメ男に憤り、「コンビニ人間」で自己愛ゼロ人間に出会う”とある。
外交官時代に見聞きした「男の嫉妬」、作家として付き合う編集者たちに感じる「自己愛の肥大」。自分自身を制御できない人たちは、やがて周囲と大きな軋轢を起こす。彼らにどう対処すべきか。自分がそうならないためには何をすべきか。小説や、専門家との対論などを通じた嫉妬と自己愛の読み解きである。
1時間半ほどで一気に読み終えた。佐藤さん節全開でテンポよく、実に面白かった。今回紹介されていた本は全て読んでいるわけでないが、なるほどな、と思うことがあちらにもこちらにも。こうして長くブログを書いていることで経験したこと(ストーカーとまではいかなかったけれど)でも思い当たることが多かった。
ヨーガの学びを続けることで色々なネガティヴな感情がなくなっているのだが、かえって注意しなければならないこともあるということにも改めて気づかされた。
2冊目はH.S.クシュナー著/松宮克昌さん訳の「私の生きた証はどこにあるのか 大人のための人生論」(岩波現代文庫)。
帯には「『なぜ私だけが苦しむのか』の著者が生きる意味に飢え乾く人に贈る名著」とある。裏表紙には「私がこれまでしてきたことには、どんな意味があったのだろうか?-人生後半にさしかかった人々がしばしば襲われる、こうした空虚感を埋めるには、どうすればよいのか。世界的ベストセラー『なぜ私だけが苦しむのかー現代のヨブ記』の著者が、旧約聖書、ゲーテ、ユング、ピアジェ、・・・など古今の名著や数々の実例を引用しつつ、真に充実した人生とは何かを問い直し、生きる意味に飢え乾くすべての人々の悩みにこたえる。現代文庫オリジナル版」とある。
これまでの12年余にわたる病との共存生活は、自分としてはその時その時を精一杯、後悔することなく進んできた。そして、今はヨーガとの出会いにより生きる意味を問いつつ飢え乾くわけでもない。けれど、だからこそ、あえて手に取った。
訳者の松岡さんがあとがきで書いておられるが、本書は1985年に著者が50歳の時に書かれたもの。ちょうど私が働き始めた年だ。「今の時代には古すぎる」と少なからぬ出版社から翻訳を断られ続け、十年余の年月が流れたという。今回、岩波現代文庫として我が国でもようやく日の目をみることになったことを嬉しく思う、とある。そして「本書が取り上げるテーマは決して日本人の読者にとって縁遠い、いわゆる『あちらの古い話』ではなく、むしろ、今日を生きる人々の思いに重ね合わせることが出来る」と書かれている。
そう、全く古びていない。それどころか充分に今に通じるものだった。1985年、大学を卒業したばかり、希望通りの職を得て働き始めた23歳の私がこの本を手に取ったとは思えない。今だからこそ、こうして長く病と共存し、当初は迎えることが出来なかったと思っていた55歳という年齢を重ねることが叶った今、人生の後半というか、むしろ終わりの時間に差し掛かっている今だからこそ、出会えた1冊であり、心に染み渡る1冊だったのだと思う。
昨夜はだるさと熱っぽさのためブログをアップした後、すぐに入浴。べッドになだれこみ、明け方まで目覚めることなく5時間ほど連続で眠ることが出来た。さすがに夕食抜きだったので、空腹感はあったが、朝食は普段の半分程でやめておく。アロキシのおかげで、吐き気止めを飲まなければとても食事が摂れないというわけではないが、前回同様早くも便秘である。こちらがなんとも気持ち悪い。
朝は会議のため2時間以上電車に揺られて出張先へ直行。午前中に会議と打ち合わせを終え、途中乗換駅でランチ。空腹だが、やはり気持ち悪さが勝る。ナウゼリンを飲んで落ち着かせてからリゾットをお腹に入れる。食後はマグラックス。職場に戻り、昨日から今日にかけて溜まったメールを大車輪で処理。夕方からもう一つの会議に出る。
夫が午後休暇を取って確定申告に行ってくれた。昨年の我が家の医療費総額は3割負担で240万円弱。そのうち私の支払い分が210万円を超え、9割を占める。けれど、昨年は夫の入院・手術があったからで、これがなければ例年9割5分が私、である。先日7割を負担してくれている共済組合からも支払総額通知が来て、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
そんなわけで夫が早めに帰宅して、夕食の支度は任せてと言ってくれたので、1時間ほど残業して帳尻を合わせた。だるさがあり、なんとなく熱っぽくて顔がほてっているのは前回と同じ。
夕飯は夫特製の煮込みうどんをちょっぴり。やはりナウゼリンとマグラックスを食前食後に内服。お腹も出していいのか止めていいのか、どうしていいのやら大変である。
毎度のセリフだけれど、明日を乗り切れば、土日に突入である。