いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

【9月は新入猫歓迎月間】今日も看猫 20120919、あるいは、こだまする愚民の憎悪

2012年09月19日 20時53分18秒 | ねこ



■ 怯える在留邦人「日本語話さないように」「スーツは避けて私服で」

自己責任、自己責任。 支那で資本主義活動することの意味をわかっていない御仁たちが、在留ビジネス邦人。

無定見な資本の手先!

「スーツは避けて」って実感のある"怯える在留邦人"のコメントだ。 約5年前、おいらが北京に行ったとき、その"スーツ"を来て、王府井、つまりは北京の一番の繁華街といわれる街を歩いた。北京っ子はスーツなんか誰もきてなくて、スーツ姿のおいらは、つまりは日本でいうドブねずみファッションのおいらが歩くと、人がよけて道が開けたのだょ。おいらはすごくびっくりした。でも、彼らはおいらがribenrenだってわかっていたのだ。

▲ 石原都知事、「民度が低い」と強く批判した。

おまいの支持者もなぁ~。


【9月は新入猫歓迎月間】今日も看猫 20120918

2012年09月18日 20時48分50秒 | ねこ


   ―  先週末の筑波山 ―

▼ <反日デモ>「反政府」訴える横断幕も出現、矛先はついに中国政府に?―香港紙

 そうか。清朝って、日清戦争で負けて、権威がた落ち。そして、革命へ...だ。

徳川幕府が長州征伐に勝てなかったので、倒幕派の跋扈を許し、維新。

現北京政府も、尖閣戦争で負ければ、中共瓦解。 (関連愚記事;偉大な中国共産党の統治する国

それにしても、内戦がおこるとして、その後のことは考えているんだろうか?

ぬっぽん政府。

そして何より、在留支那人&ぬっぽんの味をしめた支那の人々を組織して、大陸に送り返し、「親日」支那国をつくらせるようつとめないといけない。

そうなったら、おいらも払うよ、支那文字使用料、対支工作資金源として。

だって、支那文字を使わないと まぬけ じゃないか!、ぬっぽん政府。

ところで、石原慎太郎さんは、内戦待望派なんだろうか?

●それにしても、尖閣戦争が始まると一番あらわになることは、日米関係の破綻、日米安保の虚構性の顕在化である。

おいらは知っていたよ、米中って仲良しだって。(ここで、自由の女神は仏⇒米亡命女神だよ)

But if you go carrying Statue of Libertypictures ( in the front of the Chaiman Mao)
You ain't going to make it with anyone anyhow

but you are going to make  the bondage of U.S.A & China !

 

 

 


暴支慫慂 (ぼうし しょうよう)、そして、いざ帰りなん、村の居酒屋へ

2012年09月17日 20時01分47秒 | 中国出張/遊興/中国事情

 しかし阿Qの今回の帰村は、これまでと大違いで、まさに驚異にあたいするものだった。そろそろ日が暮れるころ、彼は酔眼朦朧として居酒屋の門口にあらわれた。彼はスタンドに歩み寄ると、腰につっこんでいた手をつき出した。銀貨や銅銭がいっぱいに握られている。それをスタンドにほうり出すと、「現金だ、酒をくれ」と言った。着ているのは新しいあわせの上着で、見れば腰には巾着までさがっていて、腰帯にずっしり目方がかかり、たわんで弧を描いている。
   魯迅、『阿Q正伝』、第六章、中興から末路まで


   -そして、いざ帰りなん、村の居酒屋へ

すごいな、支那の暴動。 阿Q噴出。 やはり、伝統的社会なのだ。

暴支の諸君には何もいうことはない。そこは君たちの国なのだ。そしてその国は君たちのものだ。

そして、君たちは約100年も前に記述されていて、50年前には文革での紅衛兵として大活躍したのだ。

本質は現象する。 そして、人間の本性をあらわにするのだ。

▼1966

 

▼2012

 

 ■ 暴支慫慂 (ぼうし しょうよう)

でも、よかった。 嘘で固めた40年の日中平和友好の本性があらわになったのだ。

支那で金儲けをしている日本人もその非道義性に気付くべきなのだ。

なぜなら、支那では自由経済の前提となる社会的、文化的諸条件がないからだ。

■しかしながら、中華人民共和国は資本主義の国ではない。共産党が1党支配する独裁国である。資本主義の大前 提として、せめて、 自由! 平等! 所有! そして ベンサム! がなければならない。ところがどうだい。支那は共産党支配下にある。おいらは、ここで はロジックとして、「共産主義」が悪いと主張したいのではない。資本主義を否定するはずの共産主義を建前とする中国共産党が 資本制 をやるのがおかしい といいたい。

そして、何よりナイ―ブだったぬほんじん[1]が用済みになったのだ。

資本家は儲けのためならば、自分の首を絞めるロープまで売る」 by レーニン(今でも支那では元気

原発が止まり、中国ビジネスからも撤退して、ぬほんは「びんぼー」になればいいのだ。

そのとき、ぬっぽんずんの本性があらわになるのだ。

▼1937

近衛の顔怖いね。 暴支膺懲(ぼうし ようちょう)。
昭和12年9月5日の朝日新聞、号外。 

もちろん、現在において、暴支膺懲には反対だ。日系企業には「自己責任」で対処してもらいたい。つまりは、阿Q王国できっちり自分でケツを拭いてほしい。がんばってね。

 

[1] 「井戸掘った人忘れない」の心は失われたか パナソニックなど日系企業襲う中国暴徒

中国と同社の関係は、まだ松下電器産業だった昭和53年にさかのぼる。当時、副首相だった[トウショウヘイ]●(=登におおざと)小平氏が大阪府茨木市のテレビ工場を訪れた際、出迎えた松下幸之助氏(当時相談役)に「中国の近代化を手伝ってくれませんか」と頼んだのが発端だ。

 幸之助氏は「できる限りのお手伝いをします」と返し、翌54年には北京に駐在員事務所を開設。62年にはブラウン管製造の合弁会社を北京に設立し、日本企業では戦後初めて中国に工場進出した。その後も次々と合弁会社の設立を進めた。

 


【ヨタねた】 技術の殿様?@しかも西国外様大藩ばかり、そして、ぎょっとしたのは、2回

2012年09月16日 11時10分08秒 | 日本事情

 

death valley でがんばっているおいらは、日に日に、技術文書に目を通さなければいけない。

ブログのことなぞ忘れて賃金労働に励まなければいけないのだが、脳内の<ブログ野>、つまりは常にネタを求め続ける部分がつい作動してしまう。

見つけたよ、ある技術文書に引用されていたある文献の著者たちが、西国有力戦国大名の名前だって。

しかも、3れんちゃん。 まず、びっくり。

でも、よくみると、さらにびっくり。 というか前記発見を覆すものかもしれない。

須賀。     蜂須賀ではなくて。 2回目の、ぎょっ

   

あー、そうか。残念だった。蜂須賀って姓もあれば、蟻須賀ってのもあるんだろうな。しかも、3番目の池田はありふれた姓だ。 西国有力戦国大名3連ちゃんなんてのは、幻なのだと。

確認のため、須賀をググってみた。 

ない!

須賀なんて姓はないのだ。 つまりは引用者が誤記したのだ。失礼な話だ。

そして、島津、蜂須賀、池田の連名の特許の原本を調べた。 

あった↓

やはり、蜂須賀だったのだ。  西国有力戦国大名3連ちゃんだったのだ。

もっとも、彼らがホントに西国有力戦国大名の末裔なのかは、まったくわがらない。

■ 蛇足

さて、島津、蜂須賀、池田の大名家の正嫡は、今でもどこかで正嫡であることを自他認して生きているはずだが、その内、蜂須賀家と池田家(岡山、鳥取の両家)は、戦国時代の藩祖とはDNAのつながりはない(註1)。島津は、おいらには、わからない。

これは史実である。蜂須賀、池田は江戸時代の途中で、徳川家から養子を迎え、当主としたからだ。
(13代藩主の蜂須賀斉裕の実父が徳川家斉)

幕末までに外様の大藩の多くが徳川家の血筋(註2)となっていたのである。

例えば、幕末の(嘘か本当かわからない)逸話に、山内容堂が当時の蜂須賀家当主に向かって、おまえんちの祖先は泥棒だろうとからんだという話がある。もちろん、これは、蜂須賀小六が野武士集団=盗賊の頭目であった史実を聞きかじった容堂のからみである。半分、まつがい。蜂須賀当主は"隠れ"「徳川将軍」なのだ。

註1: ただし、男系は徳川家でも嫁の女性が池田恒興、蜂須賀小六のDNAをもっていたことはありうる。
註2: 江戸時代、外様大名は嫁を徳川将軍家からもらうことがあったので、そもそも徳川家の血筋となっているわけだが。

(追記; 元鳥取県民であったおいらは、鳥取・池田家の殿様はあの水戸のキチガイ大名の息子である 斉昭 の息子と知っていた。つまりは慶喜の兄弟だ。今日知ったょ。岡山も9代藩主・池田茂政が水戸藩主・斉昭の九男。 そしてすごいや、兄弟に水戸藩主徳川慶篤と昭武、因幡鳥取藩主池田慶徳、土浦藩主土屋挙直、石見浜田藩主松平武聰、下野喜連川藩主喜連川縄氏、そして江戸幕府第15代将軍徳川慶喜らがいる。 すごいや、キチガイ大名・水戸藩主・斉昭。絶倫だな; 例えば、お殿様で、やたら子だくさんの御仁がいる。徳川将軍で言えば、家斉(いえなり)。特定されるだけで16人の妻妾を持ち、男子26人・女子27人を儲けた(wiki) この子だくさんのなかの少なからずが大名家の養子となる。

■ 蛇足2

かの島津家の自称伝説では、「藩祖」が源頼朝である。御落胤が薩摩に流れついたんだとさ。

▼ あわせて読みたい;
『音楽の殿様 徳川頼貞』 Amazon



毎週、ぶどうの木の画像を撮っています; 72週目

2012年09月15日 09時04分35秒 | 草花野菜

 


  ▲ 晩熟派


         ― 今週の筑波山麓、 ある道端 ―

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【9月は新入猫歓迎月間】今日も看猫 20120914

2012年09月14日 21時28分16秒 | ねこ


    ↑ みけちゃん@新入、 ↓ うめちゃん@先住

■ スピリッツとおいら、あるいは、今日知ったこと;

知らなかったょ、あのジンのボトルの赤い服のおっさんが「牛食い」だって。

おいらは、スピリッツ、が好きだ。

毎晩、くらっている。

やはり、distillationだ。

ぬほんしゅ、はだめだ。 甘い。

ワインもだめだ。 いくらでも飲める。

やっぱり、スピリッツ。

でも、絶対、そのまま、あるいは、氷のみ。

ハイボール、とか、死ね!
蒸留酒といえば、サントリーがウイスキーをソーダで割って飲みましょうと販売宣伝をしている(google)。なんか貧乏くさいな。ウイスキーって室温でそのまま飲むのが一番じゃないの? 

distillationを加水してどうする!

本義に反している。

と、偉そうにいっているのだが、おいらはエタノールが濃ければ、それでいいのだ。

ゥヲッカでも、ジンでも、バーボンでも、スコッチでも、焼酎でも。

ノルウエー@オスロでの、じゃがいもからのスピリッツのアクアビットは忘れられない。

のどを越して、胃に入るあの感覚。食道や胃が、熱きものを感じるあの感覚。

そして、びっくりするほど素早く、脳に回るあの感覚。

大好き、スピリッツ。

ワインやぬほんしゅ(日本酒)では、味わえないのだ。

beef・eaterから、すごい話が飛んだ。

なぜなら、酒っこくらって、いかれちまっているからだ。

beef・eater=牛食い=ビーフ・イーター@漱石の記載

リエゾンかけろよ、漱石!

で、あのジンののボトルの赤い服のおっさんが「牛食い」だって、今日知ったよ。

そして、倫敦塔のビーフ・イーター@漱石も、今日知った。

やはり、「江戸から」は 牛食い はわからないのだ。


【9月は新入猫歓迎月間】今日も看猫 20120913

2012年09月13日 20時39分07秒 | ねこ


    ― 新入猫を歓迎するのは先住猫です。 ―

■ 猫じゃ猫じゃ踊り、 原文は;猫ぢや猫ぢや踊り(をどり)

知らなかった。 猫じゃ猫じゃ踊り。

漱石の『吾輩は猫である』にある;

舶来の猫が四、五疋ずらりと行列してペンを握つたり書物を開いたり勉強をして居る。そのうちの一疋は席を離れて机の角で西洋の猫ぢや猫じやを躍っている。

イメージがわかない。

調べた。ネットで。

ありがとう! ネット。

こういうイメージらしい。

全体図↓

パクリなので小さくしました。 出典は⇒こちら

猫ぢや猫じや躍り、って"文政11年頃に江戸で流行した俗謡"の派生物らしい。

やはり、漱石は江戸から読まないといけないのだ。 新しいcatと古い猫の視点から。

恐るべき、漱石。

古文盲のおいらには、道は遠いのだ。

 


【9月は新入猫歓迎月間】今日も看猫 20120912

2012年09月12日 19時30分00秒 | ねこ


          ―おいらの、三毛子(みけこ)―

 

おいらは、漱石の『吾輩は猫である』を読んだことがない。

読み始めた。

出てくる。

三毛猫が。 しかも、複数。

そして、知らない日本語。

白君は軍人の家に居り、三毛君は代言の主人を持って居る。

わからなかった。

代言

文の前後から職業であることはわかった。

あと、名無しの吾輩の家は教師である。

そして、軍人、教師は中産階級の職業であるから、代言もその視点から推定できる。

ここで、「中産階級の職業」などという大仰な言葉が出てくるのは、漱石が参照:reference として配置した「車屋の黒」の記載がもたらしたものだ。 でっぷりと太った黒猫は車屋の猫。胃弱の教師の家の猫が名無しの「吾輩」猫。

ちなみに、車屋とは昭和後期になっても、「漫才師」に「お前ら、今でこそ運転手と呼ばれとるが、昔で言えば駕籠かき雲助やないか」に連なる職業である、と野暮な解説を中二病に感染したばっかりの君のために付け加える。 (今でも、インドでは車屋さんが、がんばっている。)

代言に、戻る。

代言、と聞いて知ってる日本語は、三百代言

頭に浮かんだ;

果たして、ググッてみると、やはり、代言は弁護士のことだった。

もっとも、こんなこと調べなくても、漱石の『吾輩は猫である』を読みすすめるためには、直ちに問題となることはないのだ。

さて、代言んちの猫は三毛君である。一方、二絃琴(にげんきん)の御師匠さんちの猫は三毛子(ふりがな[ルビ]は;みけこ)である。

代言んちの猫の三毛猫はオスなんだろうか? (野暮な解説だが、三毛猫のオスはめずらしい)

漱石マニアに尋ねたい。

 


9.11 11年

2012年09月11日 19時40分26秒 | その他

パリのモンマルトルの坂で見た壁画、今年4月。ピレネーを越える前に―

11年か。おいらの個人的感覚ではもっと昔のように感じる。

米ソ冷戦が終わったのが1989年。日本の没落が始まった。でも、その当時は日本人は気付いていなかった。
米ソ冷戦の終結で、米国が安心して日本を敵視できるようになった。

それから約10年の2001年。冷戦終結後の米国一極支配が極限に至り、窮鼠・イスラム勢力が反撃。

一方、1989年の米ソ冷戦終結の時点の視点から、その約10年前を振り返れば、

ソ連のアフガニスタン侵攻。

このソ連のアフガニスタン侵攻こそ、タリバンやビン・ラディンを生み出した歴史的事象だ。

彼ら、タリバンやビン・ラディンこそ、モスコー・ワシントン体制、すなわち、ヤルタ・ポツダム体制打破!を目指し、実践し続けたのだ。  列島で失われた ぬっぽん・ウヨ の真髄は、そこにあったのだ。