いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

精神科医へものを書くとき

2012年04月01日 12時35分47秒 | プロフィール

 ―わかりすぎるカラクリの中で、おいらはけたたましく狂っていった―

 

先生、お久しぶりです。

先週の先生の最終講義は、講堂の隅にて聴かせていただきました。

おいらに関する実践症例、「ネットによる キチガイ の遠隔管理の試みの事例」をわずか数分ではありましが、報告されました。

先生の偉大なる症例業績においては極めて些細な事例ではありますが、紹介していただいたおいらにとってはうれしかったです。

当該患者の説明の、出世しそこなった出世主義者、人生を棒に振った、社会に対する怨念、過剰なる表現衝動などなど、いたみいりました。

さて、先生が御紹介されたように、このブログは社会に対する怨念を持つ潜在的に反社会的行動を起こしうる キチガイ の管理の一策の試みです。

すなわち、ずっと収監するわけにもいかないキチガイをいかに管理するか?という問題です。

先生は発案されました。

猫を看させよう。猫を看て、自分を看病しなさい!

そして、その報告をブログでさせて、監視する。最初は毎日更新させる。更新しないと、収監する。

それが、筑波山麓、『看猫録』の縁起。

ただし、それではキチガイの精神の発露がない。へたにルサンチマンを抑圧してはこじらせて、さらに悪化した状態で発露してしまう恐れがある。

ここで、取引だ。著しく逸脱しない程度で社会への呪詛は看過しよう。ただし、そのルサンチマンをできるだけわかりやすく説明することで発散させなさい。

ただし、その分量と同じだけ、猫の画像、そしてお花の画像を掲載しなさい。解毒のために!

そして、あなたの近況を報告しなさい。

そういうことでしたね、先生。

2004年に始まって、はや8年。

この8年での最大の肉体的病理の危機は、アトピー噴出

略) 「アトピーは自己破壊疾病だ」といわれる一面がたしかにありそうに思えた。彼はその後、皮膚科の治療を再開し、多少の改善があったが、家族への無理難題と 暴力、社会へのいやがらせは止まなかった。彼はある時いった、「身体のアトピーは治っても心のアトピーは治りません」。名セリフである。彼はまさに自分の 過去の心の傷のかさぶたを日々ひんめくりかきむしっているのだ。私も彼の「心のアトピー」は治せなかった。 (愚記事)。

このあとあっけなくアトピーはひいてしまいました。もう少し進行すれば、神と話ができたかもしれませんでした。おしいことをしました。

「神と話したと称する男の症例」というネタを提供できましたのに。

先生もついに退官のお歳。

これからも学外での医療に御活躍ください。 でもセンセだけですよ、キチガイっていうのは。


●ちきりんの還暦もApril foolネタだろう。 最初、えっ!ホントはそんな年だったの?といたいけなおいらは思ってしまった。でも、April foolネタにちがいない、とやっと気付いたょ。

そうだとしたら、還暦ってなんの隠喩なんだ。

けれど一方で、60歳までこうやって元気で楽しくやってこられたことに、ちきりんは心から感謝もしています。18歳で東京に出て来て以来、42年間、やり たいことはすべてやり、これ以上できないというくらい楽しんで生きてきました。恵まれた環境にいたと思うし、幸運でもあったと思います。

 

後述;

還暦ってなんの隠喩なんだ。  サンフランシスコ講和から60年。つまり、日本「独立」60年、ということか?