いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

山形のさくらんぼ狩りはまだでした。

2009年06月09日 20時57分04秒 | 仙台・竹雀・政宗


6/7仙台から関山峠を越えて、山形県に入った。仙台市と山形市は隣接しています。

国道48号線沿いのさくらんぼの産地では、まだ佐藤錦のさくらんぼ狩りは始まっていなかった。

しかたがないので、google 紅秀峰を直販店で買う。700円。

ただし、帰りの東北自動車道のサービスエリアで佐藤錦がひとパック1500円で売っていた。


花嫁衣装は俺が着る

2009年06月08日 20時41分22秒 | 日本事情
警視庁 観閲式


■毎晩、毎晩『抜刀隊』をYouTubeでいろんなバージョンにて見聞するのだが、警視庁のはこれだけ。

いみじくもこのYouTubeのコメントにもあるのだが;

・自衛隊の行進見たあとだからかもしれないけど、申し訳ないけどか なりショボく見えるのは気のせいかな・・・

・悲しくなる程に弱そうだ

・やっぱ自衛隊の行進のがかっこいいな


とある。 しかしながら、『抜刀隊』、つまりは西南戦争で反乱した西郷軍を白刃を振りぬいて、肉弾戦で討伐し、行進曲『抜刀隊』で謳われているのは警視庁の抜刀隊。したがって、行進曲『抜刀隊』で行進すべき正嫡は警視庁の諸君に他ならない。

そもそも、西南戦争で抜刀隊を投入せざるを得なかったのは庶民から成る皇軍が弱っちいので、苦肉の策として士族出身者の多い警視庁の人員が動員された。責任者は山縣有朋。山縣は明治新政府軍は庶民から構成されなければならないという建前を守るため、旧士族を新政府軍ではなく、警視庁という組織に入れて出兵させるという建前に反した状況を容認せざるを得なかった。

■さて、うわさでは国内治安の担当について警察と自衛隊ではなわばり争いがあると聞く。戦前では警察と軍隊が覇権争いをした。Wikipedia:ゴーストップ事件

そんな警察も軍隊も大日本帝国創立からしばらくは安定した関係にあった。なぜなら、あるひとりの人の統括下にあったから。山縣有朋。軍部と内務省こそ山縣閥のふるさとである。軍部と内務省の対立なんていうのは、政府内の内ゲバである。そんな国の崩壊は必至であったのだ。

警察と軍隊がひとりの専制的人物の統括下にあったうちはよかったが、山縣が死んで(1922年)たががはずれたように、割拠主義(セクショナリズム)と縄張り争いが始まり、上記のゴーストップ事件(1933年)へと進んでいく。日帝瓦解の12年前だ。



仙台参り【2009】 川内・宮城県立美術館

2009年06月07日 19時38分09秒 | 仙台・竹雀・政宗


6月6日(土)、高速道路1000円策に便乗して、仙台参り。

川内・宮城県立美術館の州之内コレクション展に行く。天気予報通り、雨。

州之内コレクション展の詳細はこちら:Amazon: 洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵

(州之内って、転向した元アカで、戦時中は満州でintelligent serviceに従事、という典型的近代日本知識人なんだよね。 『とにかく、コレクターと画商の二重人格というものは、もう迷惑千万』って隠喩深長。隠れアカで帝国主義者って、今も、多いよね。)

■常設展で気づいたことは、鮭図の高橋由一が、仙台と松島関連の作品をのしていると初めて知った。(竹雀おたくずっぽりの話で恐縮ですが)藩政時代、仙台伊達家の藩校は養賢堂といった。その建物は維新後県庁になったらしいのだが、その県庁として養賢堂の建物絵が残っている。これ→~高橋由一(1828~1894)~『宮城県庁門前図』おいらは本で見たことがあった。それが高橋由一のものとは知らなかった。

■県立美術館を出たあと、激しい雨の中ずぶぬれになりながら、澱橋を渡り、木町通りまで散歩。木町通りの48(よんぱち)より北側の道路拡張に驚く。

散歩して、変わった場所は変わったことはわかるが昔はどうであったか?思い出せないことが多い。

四半世紀前と変わらない風景はこれだ↓

カンバンの電話の局番が2桁。

それでも、おいらは、毎週梅の木の写真を撮っていきます。72

2009年06月06日 07時57分01秒 | 筑波山麓


【いか@ 筑波山麓 『看猫録』】のアクセス・ランキング

アクセスとランキングの状況を表示します。
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2009.06.05(金) 506 PV 131 IP 9564 位 / 1240619ブログ
2009.06.04(木) 395 PV 134 IP - 位 / 0ブログ
2009.06.03(水) 356 PV 137 IP - 位 / 1240065ブログ
2009.06.02(火) 511 PV 154 IP 9018 位 / 1239306ブログ
2009.06.01(月) 421 PV 138 IP 9910 位 / 1238770ブログ
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2009.05.30(土) 674 PV 155 IP 8338 位 / 1237540ブログ
過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)
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2009.05.24 ~ 2009.05.30 2799 PV 725 IP - 位 / 1237540ブログ
2009.05.17 ~ 2009.05.23 2758 PV 754 IP - 位 / 1233760ブログ
2009.05.10 ~ 2009.05.16 3342 PV 698 IP - 位 / 1229853ブログ

収穫された後のねぎ畑

2009年06月04日 20時30分27秒 | 草花野菜



1989/6/4 天安門事件なんて「無かった」説って、あるんだね。 

▼1989/6/4の事は覚えているのだけれど、人民 弾圧軍 解放軍が出動する前の、"民主化"運動を見ながら、おいらは違和感があった。特に「自由の女神」像を掲げてのデモ。



日本の"民主"運動史で、「自由の女神」像を掲げてのデモなんて見たことないよね。

●今日の報道でも、天安門事件の想起を一番恐れているのは中国共産党、という中国知識人のコメント。

思えば、この1989の天安門事件を契機とする中国共産党の強硬保守化でとばっちりを受けたのは日本。小平→江沢民の「中国人民の敵はファシズム日本」という反日路線。敵は半世紀前にいなくなったのに、現在の日本にどうしても「ファシズム日本」に似て欲しかった。なぜなら、敵がいないと支那はひとつにまとまらないから。

日本政府も、「ファシズム日本」認定を逃れたかったので、あきひとさん訪中などで媚中した。これは天安門事件で世界的に孤立した中国共産党の策略だったことは今では公知。

今の体制、胡錦濤・温家宝は、表面上は江沢民路線をやめている。これに至った経緯を考えると、感慨深い。つまり、とぼけて、小泉さんが、靖国参拝で「ファシズム日本」ぶった結果、江沢民路線を建前としなければいけない中国が対日関係がどんずまりとなり、困った。だから、江沢民路線を、今のところ、やめている。

● 蛇足;
産経新聞「遙かなる天安門」 20周年の記念日が近づいてきた。北京市中心部の天安門広場には毎日、日の出になると数万もの人が集まってくる。中国国旗の掲揚を見るためだ。日没にはその国旗を降ろすところを見ようと再び多数の人が集まる。

:日没にはその国旗を降ろすところを見ようと再び多数の人が集まる。:↓これだ↓
愚記事: 中国⑳ 紅旗撤収

すでに死んでいるに等しい退嬰的民族、それが日本人である。

2009年06月01日 20時57分10秒 | 
- - すでに死んでいるに等しい退嬰的民族、それが日本人である。- -

中川八洋 『地政学の論理』p244




■日曜日、吾妻の友朋堂に行く。つくばには友朋堂が何軒かあり、かつ品揃えが微妙に違う。吾妻店の品揃えが気に行っているので、店は小さいけど、結構行く。(今ネットでしらべたら、吾妻店が本店だと知る。)特に気にっている点は、中川八洋センセの新刊が出ると平積みになること。つくば市内のある大型書店では、刊行されたはず新著を見つけられないこともしばしばだった(くまざわ書店だよ)。そんな時も、吾妻の友朋堂に行けばよかった。『山本五十六の大罪』も刊行の報せを受けて、買いに行った。買えた。

■そんな昨日、ふらりと、吾妻の友朋堂に行くと、中川八洋センセの新刊が平積みにしてあった。出たなんて知らなかった。当然、購う。テーマは、最近勃興の支那帝国の大脅威では全然なくて、八洋センセの仇敵たるロシア。サブテーマとしての同業者への乱射も、いつもどおり、圧巻です。

■この本の刊行日は、2009年5月31日となっている。刊行当日。それにしても、いつも謎なのが、八洋センセの本が出るとすぐにアマゾンに書評が付くということ。今回も:Amazon:『地政学の論理』。いつも同じ人のわけでもなさそうである。八洋センセの本よりよっぽど売れているはずの本でもひとつも書評のない場合もあるのに。やっぱり、人気者なんだね、八洋センセは。

■ ちっぽけな、つっこみ。

 この意味で、昭和天皇の偉大さは、わが日本国の皇統二千年史における”史上稀なる大帝”であられただけでない。国際政治を透視する炯眼の精密性と広域性は、高感度の人工衛星から地球を鳥瞰するがごとくで、天才政治家W・チャーチルをも超えておられたともいえよう。また昭和天皇がもし軍人であられれば、(意略:ロシアから自国フィンランドを)奇跡的に守ったマンネルヘイム元帥をも凌いでおられたかもしれない。


大元帥だよ。

▼ -おまけ-

- - 蛇足だが、六十歳を越えてなお、学術業績ゼロの中西輝政の、....(以下略)『地政学の論理』p240 - -

どうでしょう?
Google scholar: Terumasa Nakanishi

Google scholar: Yatsuhiro Nakagawa