▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第52週
1年365日を、1週間の7日で割ると、52となります。すなわち、1年間は52週。今週は第52週目であるので、満1年となります。今季もちゃんとブドウさんの芽が出てくれることを祈ります。
■ 今週のよその猫
■ 今週の筑豊境
■ 今週の花
■ 今週の巻物
2月1日に言及した、ふるさと納税、北海道 平取町。北海道民おすすめ『ラムしゃぶ』 の残りを食べた。食べ方の紹介にあったわさび醤油でいただくというのに従う。よかったが、やはり、ベルのたれが欲しかった。
■ 今週の訳なしリンゴ
青森産、王林。訳ありの王林はこちら。
⚽ ⚽ ⚽ 今週は大分県の杵築に行きました。⚽ ⚽ ⚽
杵築は2度目。1回目は、去年の7月(愚記事:散歩:大分県杵築 [きつき]、重光葵 [まもる]・無迹庵 [むせきあん]⇒城下町域:酢屋の坂)
以下は、杵築での出来事です;
■ 今週の尾頭付き
■ 今週の御膳
お食べ家 円 (食べログ)
■ 今週の止め石
■ 今週のアカの生家からみた(耶蘇学校)「セミナリオ」
大分県杵築市の佐野家(市のweb site)から見える日本基督教団杵築教会(web site)
アカとか耶蘇とか必ずしも上品ではない物言いで恐縮ではあるが、愚ブログで言いたいことのひとつは「(かなり絶望的はわれらが祖国)日本の希望がある属性はアカと耶蘇が蔓延しなかったことである」ということだ。もちろん、ここでアカとは共産主義であり、耶蘇はキリスト教だ。
前回杵築に来た理由は重光葵の家を訪れるため。その時、佐野学も杵築の出身と知った。重光葵も佐野学もおいらは10代の頃から知っていた。佐野学を知ったのは、1983年刊行の中公新書『近衛新体制』を読んだからだ。読んだ動機は、当時1980年代初頭、日本共産党神話は瀕死の状態ではあったが、未だ日本共産党は戦争に反対した政党であるという1970年代の共産党の宣伝の余韻があった中で、実は、日本共産党に参加していた人の少なからずが、転向して田舎に帰って只の人になって黙って過ごしたということではなく、日本の対支那戦争を合理化、支持する考えを訴えたことに関心があった。佐野学(wiki)はその筆頭であり、「1933年、鍋山とともに獄中から転向声明「共同被告同志に告ぐる書」(wiki)を出した」。
その佐野学が杵築の出であり、実家は名家なのだ。代々医者。その生家が現在公開されている。その家の庭から耶蘇の教会が見えるのだ。
佐野学は直系嫡子ではないようだ。写真はあったが、特に説明はなかった。当代当主さまの紹介は詳細があった(web site)。
■ 今週の錦旗
■ 今週のお城:杵築城
▼ お城の中の展示:杵築出身者の紹介
豊田副武が杵築出身(市のweb site)と知る。
重光葵の展示。
■ 今週、知ったこと
慶応の福沢諭吉は大分県の中津、早稲田の大隈重信は佐賀県の佐賀の出身であることは知っていて、九州の人材輩出はすごいなと思っていたのであるが、法政もそうであった。
伊藤修、金丸鐵(まがね)。
創立者2人を介してつながった縁大分県杵築市(HOSEI ONLINE)
1880(明治13)年4月10日、『東京日日新聞』に本学の前身である「東京法学社」の設立広告が掲載されました。この広告に発起名義人として名を連ねているのが、東京法学社の3人の創立者のうちの2人、金丸鉄(かなまるまがね)と伊藤修(おさむ)です。金丸は法律専門出版社・時習社の社主、伊藤は代言人(弁護士)でした。
金丸と伊藤は、共に豊後国杵築藩(現・大分県杵築市)の下級武士の家の生まれです。譜代大名・能見松平家を領主とする杵築藩では早くから学問奨励の気風があり、藩校「学習館」では西洋医学のほか、当時はまだ珍しいフランス語も教えられていました。
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