いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ぐるっとパス使用記録6;臨海エリア、葛西臨海公園、そして、九段下・昭和館

2015年05月05日 19時51分41秒 | 東京・横浜

ぐるっとパス使用記録1; 新宿方面、 
ぐるっとパス使用記録2;目黒方面、  
ぐるっとパス使用記録3; 多摩方面、 
・ぐるっとパス使用記録4; 渋谷・日本橋方面、
・  ぐるっとパス使用記録5; 上野方面、(+旧江戸城方面: 片岡球子展)

に続く第6弾。

▼60; 葛西臨海公園

▼22; 昭和館

公式サイト; 昭和館

7・6階の常設展示室では「母と子の戦中・戦後」をメイン・テーマとして、昭和10年頃から昭和30年頃までの国民生活向上の労苦を伝える実物資料を展示 しています。昭和館には現在約4万3500点の実物資料が収蔵されており、常設展示室にはそのうちの約700点が展示されています。

大政翼賛会のポスター。 「家庭も小さな鉱山だ」、ってなんか聞いたことあるぞ。

wikipediaの「都市鉱山」の項には、「1980年代、東北大学選鉱製錬研究所の南條道夫教授らが提唱したのが最初である」、とある。

「都市鉱山」の発想(元ネタ)は大政翼賛会時代にあったのだ。

■ 特別企画展 戦後70年 よみがえる日本の姿 ~オーストラリア戦争記念館 所蔵写真展~ (web site

このたび昭和館では、「戦後70年 よみがえる日本の姿~オーストラリア戦争記念館 所蔵写真展~」と題し、特別企画展を開催する運びとなりました。
オーストラリアの首都・キャンベラにあるオーストラリア戦争記念館は、主に第一次世界大戦から近年に至るまでの戦争に関する資料を所蔵・展示しています が、オーストラリアが主要国として英連邦占領軍に参加し、日本に進駐したことから、日本国内の写真や映像を多く所蔵しています。

たまたま、「オーストラリア戦争記念館所蔵写真展」をやっていた。敗戦後日本を占領したのは連合国軍であるが、ほぼ米軍、そして英軍もいたことは知っていた。四国、中国地方に英軍は進駐した[1]。江藤淳の本のどこかに広島は、原爆のことがあるから、イギリス軍占領下になった、みたいことが書いてあったと記憶している。なお、中国軍(蒋介石軍)が政治的パフォーマンスのため来たけど国共内戦ですぐ帰った、と何かで読んだ気もする。

[1] イギリス連邦占領軍は山口県、広島県、島根県、鳥取県、岡山県と四国4県の占領を担当、残りの都道府県はアメリカ占領軍が担当することとなった (wikipedia)

なので、下記呉で撮影された写真は上記の記述と調和的である。でも、この写真の説明が「子供たちと遊ぶ英連邦兵士」なのである。おいらは、豪兵なのに、なぜ「子供たちと遊ぶオーストラリア兵士」と書いてもらえないのか不思議。このslouch hatは、彼が豪(オーストラリア)兵であることを示している。当時はオーストラリア国軍はなくて、英連邦軍の一組織に過ぎなかったのだろうか?なお、オーストラリアは国として極東委員会のメンバー国。

恵比寿(今の防衛庁の目黒基地)が豪軍のキャンプであったと知る。

Camp Ebisu [Google画像]

■ 関連愚記事; シンガポール住民の前で道路を掃除させられる豪兵。



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