いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

天を目指す洞窟

2010年08月03日 21時03分10秒 | 欧州紀行、事情


雑誌を見ていたら、NTTコミュニケーションズの広告で外尾悦郎さんという人がサグラダ・ファミリアの主任彫刻家であることを知る(wiki)。 行ったことあるだょ、サグラダ・ファミリア。エレベーターでかなり上の方まで運んでもらえる。その後は歩いて降りることができる。そのらせん階段の中心は空孔が地上まで突き抜けている。元来高踏派であるおいら(しつこいな)も、これにはびびった。

↓画像の露出制御が悪いけど掲載。これを撮るときもびびっていた。


↓階段は肩幅+α程度。同然人はすれ違えない。


●今読んでいる本(『天使はなぜ堕落するのか』)に書いてあった。

 いささか同情すべきことかもしれないが、じつはキリスト教にはカルトの性格をもちやすい歴史的原因がある。それはキリスト教布教の初期にあった長い迫害の歴史であり、それをあえて記憶にとどめてきた歴史である。(中略)
 キリスト教の教会の建物の内部を思い出していただいてもよい。イスラム教と同じく砂漠の天幕を模した側面もあるが、同時に、ローマ帝国時代に迫害を受けていたキリスト教の信徒たちが、隠れて祈ったカタコンベ(地下墓地)の歴史を受け継いでいる。つまり外に迫害者(怨敵)の姿を想像している信徒の集団意識があの大聖堂に受け継がれているのである。人々はそこに入り込んで、自分たちの救いを求めて、祈り、歌う。したがって、そこにあった音楽も、教会という閉鎖空間に響く音楽として発達している。
 わたしたちは、ヨーロッパは開放的で明るい文化を築いてきたと思いがちであるが、それは少し遠い歴史を見直しみると間違いであることに気く。
 じっさいわたしたちが美しいと思っているクラシック音楽は、洞窟のような閉鎖空間に響くことを前提に発達している。そういう音楽は、ヨーロッパ音楽以外に見つけるのがむずかしい。じっさい室内楽があっても、洞窟に響くほどの音響を前提としている音楽はほかにないのではないか。つまりそれほどヨーロッパは暗い閉鎖空間から始まっているのである。


さらにキリスト教は今のヨーロッパ中部、北部に原住していた"未開人"であるケルト人に布教されていった。この布教を森を切り開く過程であると『天使はなぜ堕落するのか』の著者八木雄二センセは指摘する。そしてこの布教のキリスト教の"コロニー"(耶蘇小宇宙)が教会である。のちゴシック建築などで象徴されるキリスト教会。天にそびえてはいるが、実は内部は洞窟なのだ。洞窟は迫害されていた時の記憶ではあるが、じっさい外でやっていることは布教という植民活動・洗脳活動である。被害者意識をもった加害者というのは一番厄介である。被害者意識は洞窟で象徴され、加害者意識は天にそびえたいという拡張意識に現れている。

大聖堂内部;天を目指す洞窟


■今どきの大聖堂(cathedral ←発音めんどくさいよね)はゴシック時代と違って鉄骨入り!


▼今日、欲しくなった本;
木の文明に生まれたのに、石の文明へって何だろう?

Amazon; ガウディの伝言 (光文社新書) [新書]


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