いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

東宮殿下、スペイン(西国)を南へ北へ;あるいは、マドリ―っ子は、みんな高踏派::東南西北揃ったょ

2013年06月12日 20時14分17秒 | 欧州紀行、事情


 ↑まさこさまもついていけない、東宮殿下のスペイン弾丸ツアーがこれだ!

東宮殿下は今頃、マドリ―だ。今度のスペイン訪問は実に、6回目だという。

(おいらは、4回すか行ったことがありません。 露払いができず、ごめんなさい。)

(2008年の関連愚記事; 東宮殿下の行きなさる Zaragoza サラゴサ I、  東宮殿下の行きなさる Zaragoza サラゴサ II 

東宮殿下は、米国に何度行ったことがあるのだろう?

日本の"いわゆる「保守派」"が、日ごろ、同盟国であると主張する米国を、である。

6回は行ってないだろう。

なぜ、そんなにスぺインに行くのであろう?逆に考えて、なぜそれだけ頻繁に行けるのか?という視点で考える。ひとつはスペインに王室があること。現在のスペイン王室は1975年に王政復古した。たった40年前だ。もうひとつは、1945年9月1日の東京湾上の戦艦ミズーリの上にスペイン代表がいなかったことだ (関連愚記事; 帰路東京湾中より富士見事に見ゆ。) 。つまりは、日本とスペインは交戦関係になかったのだ。先の大戦の対日戦勝に一番効果があったのが米国、ソ連、ついで英国か。中華民国は事実上無力。なのに、敗戦後約70年経って、中国の北京政府や戦争の勝ち負けと関係ない韓国までが、対日勝利に基づく戦後国際環境を、「現在の日本が打ち破ろうとしている」というプロパガンダを発し、世界世論を味方につけて、日本を掣肘しようとしている。米国の一部世論や政治家も中国、韓国に同調しはじめている。こういう日本を取り巻く状況で皇室が訪問できる外国は限られるのだ。

関連愚記事;  マドリードにおいてフランコ総統を始め,多くの人々から温かく迎えられましたが,

▼ 「時」政学、あるいは、「相」政学

地政学をもじって、ヨタ用語を考えた。

20世紀直前から20世紀中ばの約50年の間に、米国を敵としたのが、スペインと日本。

米西戦争(wikipedia)と日米戦争だ。

アメリカ帝国主義は、日西尊王家の共通の敵!なのだ(???)。 

もっとも、日西の方が「帝国性」が高いかもしれないのだが... [1]


革命国家の (=王室、皇室を持たない) 方々

そもそも、今年は日西交流400年記念である (関連愚記事; 大泉光一、『伊達政宗の密使』、あるいは王と坊主の同床異夢の野望の果てに)。

その頃、United States of America なんてものはないのだ!

アメリカさまなんて、ポッと出の「ちんぴら」じゃないか! 憲法つくってもらったけど....

そして、何より、今年、すめろぎさまが、印度に行きなさるのだ! (おいらは、印度は 6回 いきました! 関連愚記事; チャンドラ・ボース;おぼえてね!(^_^)  )

何という、戦略的皇室外交!

● マドリ―っ子は、みんな高踏派

今日滞在しているマドリ―の東宮殿下が心配だ。なぜなら、空気がちょっぴり薄いかもしれない。

アトーチャ駅からプラド術館へ行く道すがらにあった、スペインの「国土地理院」。

マドリ―は、標高が627メートルなのだ。日本の県庁所在地で標高の一番高いのが長野市の372メートル。そして同県の松本市が592メートルだ。

一方、ヨーロッパではアルプスで有名なスイスの首都ベルンの標高は、542メートルだ。 すなわち、マドリ―は高い位置にあるのだ。


[1]

~あわせて読みたい???~

  
西帝               日帝



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