いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第406週

2022年08月27日 18時16分14秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第406週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の花

■ 今週の柑橘

タルトの上に載ったオレンジ

■ 今週知った閉店



https://twitter.com/syokujiotaku/status/1210980453038977024

仙台市青葉区川内の養ちゃん食堂仙台参り 【2015】 昭和の生き仏のために)が、2019年末に閉店していたと知る。 コロナ前だ。

■ 今週のアクセスページ

詫 び る 老 「老紅衛兵」、あるいは、“要武”の顛末 この記事へのアクセスが突発した。何かあったんだろうなと思い調べると、すぐにわかった。テレビ番組らしい。みんな、宋彬彬さんを知りたかったのだ。 Twietter[宋彬彬]

「中国 女たちの愛と野望」

初回放送日: 2022年8月22日

中華人民共和国の建国式典に毛沢東と共に天安門に上る女性がいた。「革命の父」孫文の未亡人・宋慶齢である。中国の権力の攻防の陰にはいつも女性がいた。辛亥革命から権力者を支えてきた宋家の三姉妹、「一人は国を愛し、一人は権力を愛し、一人は富を愛した」と言われた。中国を恐怖に陥れた文化大革命を主導した江青、そのねらいはライバルの女性を失脚させることだった。権力の陰で繰り広げられた女性たちの愛と野望の物語。 (NHK site

■ 今週見つけた誤り

山川出版の世界史リブレット13、岸本美緒、『東アジアの「近世」』。図書館から借りた。明日返却。延長不可。次の予約の人がいる。16-18世紀の東アジアの歴史を「世界商品」(銀、生糸、人参、サツマイモ)を軸にみるショート・ストーリー。その中のp28 ;

当時の銀貨の紹介。メキシコの銀貨と香港の銀貨を載せているが、画像と説明文が取り違えられている。見てわかるように、右側の銀貨には漢字で香港と刻んである。左側の銀貨にはREPUBLICA MEXICOとある。

 

まちがい指摘はさておき、この本は「日本銀」についても書いてある。 デニス・フリン、『グローバル化と銀』と同じテーマ。チャイナを中心に、北方の女真族・満州族と南方の倭人・日本(秀吉)との「交通」(っていうか侵略)の原因・駆動力としての「世界商品」、交易を簡略に書いている。


1600年頃の1年間の銀の移動。

「日本銀」が1年間に50-80トン、チャイナに日本から移動している。その対価は生糸など。当時、チャイナに流入した銀は「日本銀」と「スペイン領アメリカ銀」。両者のチャイナへの流入量が下の図。日本とスペインは銀輸出という点で競合関係であった。

「スペイン領アメリカ銀」はメキシコからフィリピンのマニラに太平洋航路で運ばれてきた。マニラがスペイン帝国のアジアでの拠点。1571年にマニラを拠点化。それに先立つ、1557年にポルトガルがマカオに拠点を造る。そして、日本へのやって来て、「日本銀」とチャイナの生糸の交易の仲介を行い、利を得る。さらには、耶蘇、伴天連が日本にやってくる。イエズス会。日本にとってはとんだ厄災であった。なぜなら、日本人奴隷が海外に売られるようになったかたである。岸本美緒、『東アジアの「近世」』にはこの16世紀の東アジアの歴史を変えた「世界商品」を語るが、「奴隷」については一言もない。岸本美緒が語るのは;

本書では、この時期の東アジアの歴史に重要な役割を果たしたいくつかの具体的な物品を選び、その物品をとおして東アジアの「近世」像を描いてみたい。その物品とは、(1)この時期に世界を結びつけた銀、(2)国際交易の花形であった生糸や人参、(3)国家形成に大きな役割を果たした鉄炮などの火器、(4)アメリカ大陸から導入された煙草やサツマイモなどの新作物、である。

▼ 歴史学批判

この82ページの「本」はなかなか難しく、歴史学批判となっている。題名の近世は括弧付きとなっている。これは、「異なる社会のなかで共通の発達段階をみようとする」歴史認識を批判したもの。さらには、現在の国民国家的認識で過去を遡る歴史観も批判している。チャイナでの清朝成立後、南方の旧明勢力残党の鄭成功の反乱戦争について、「満州人の清朝」対「漢人の明朝」の対決として単純に考えることはできないないだろう、として; 

両者はともに、十六世紀以来、生糸や人参といった国際商品をめぐって中国の北と南に成長してきた国際市場から生まれた勢力であり、そのリーダーの身体に流れる血はけっして「満州人」「漢人」のみのものではなかったのである。諸民族の雑居状況を当然の環境として育った彼らの考え方や戦略的視野は、ともすれば国籍や民族を単位に人を区別する今日のわれわれとは、大きく違っていたことであろう。 岸本美緒、『東アジアの「近世」』

この本は1998年刊行。もう四半世紀前なんだ。その頃は、「グローバル・ヒストリー」なんて言葉は一般化していなかったであろう。

▼ 人参と貂(てん)の毛皮

当時の女真経済は、農業と共に狩猟採集に依存していたといわれるが、狩猟採集といっても獣を狩ってその肉を食べたり木の実を取って食べたりする素朴な自給自足経済ではなく、国際交易と深く結びついた貂や人参など特産品の狩猟採集であったことに注目する必要があろう。諸民族のいりまじる市場に若い頃から出入りしていたヌルハチは、有能な武将であると同時にまた「商業資本家」でもあったのである。(岸本美緒、『東アジアの「近世」』)

 うめちゃんと康熙帝(こうきてい)

康熙帝の先祖の初代・ヌルハチが人参や貂で財をなしたとは知らなかった。

「我が国は東珠・人参・紫貂・元狐・獪狸獅など珍奇な物を盛んに産出しており, 衣服や用具を整えるのに十分である。撫順・清河・寛奠・靉陽の四関で互市を行い,商取引を行っている。このため国も民も豊かである」(『清実録』「太祖高皇帝実録」巻二) ソース

▼ 人参屋さんの末裔

ソース

そういえば、人参は目に良いといわなかったっけ



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。