いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

今年2022年は、1868年に始まり77年続いた大日本帝国が1945年に亡びて77年目

2022年09月02日 18時45分10秒 | 日本事情

「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。 すると、かの男は、すましたもので、「亡びるね」と言った。   夏目漱石、『三四郎』、1908年


降伏する松平容保(左絵)、ミズーリ号の日本全権団(右画像)[関連画像]


1868年 明治維新
 ↓ 77年
1945年 大日本帝国滅亡
 ↓ 77年
2022年 今年

■ 戦後体制が77年続いたことになり、大日本帝国と同い年になった。さらに続く。戦後体制の国家の種類を政治概念的としてどう分類するか?いわゆる「普通の国」=主権国家ではない。だから、昔、「普通の国」へ、といわれた。最近も、安倍元首相による「戦後レジームからの脱却」も日本が普通の主権国家ではないという前提があるからであろう。

それでは、現在の日本の国家状態は何か?それは「保護国」(protectorate)という説や制限付き主権国家という説(制限されているのは交戦権)がある。この主権国家ではない日本の国家状態は、端的に、旧戦勝国の米軍や国連軍の現在に至る駐屯と日本国の交戦権の、占領憲法による、剥奪にある。

これは占領政策の結果である。何より占領を終わらせる講和条約が占領政策の「成功」であることが肝心である。

ポツダム宣言全13項のうち、第12項にある;

十二 前記諸目的が達成せられ且日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立せらるるに於ては、聯合国の占領軍は、直に日本国より撤収せらるべし。

しかし、サンフランシスコ講和条約ではこうなった;

第六条

 (a) 連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。但し、この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん{前2文字強調}又は駐留を妨げるものではない。 

占領が終わっても安保条約でそのまま米軍は駐屯し続けている。首都圏でも、横田、横須賀、座間、六本木など、77年たってもずっといるのだ。

上記、占領政策の「成功」とは、日本人が外国軍隊が駐留していても、どうとも思わないということである。

▼ 軽武装経済発展路線(戦後日本の生存策)の欺瞞と破綻

戦後日本は経済的資源を軍備にではなく経済に注いだので「繁栄」できたという説が昭和や20世紀には唱えられ、通説となっていた。

たしかに、俗に吉田路線といわれ、「保守本流」政治といわれた軽武装経済発展路線(戦後日本の生存策)は冷戦終了までは有効であったと日本人の少なからずに思われてきた。終戦直後の困窮生活と比較すれば夢のような生活だ。ベトナム戦争にだって出兵しなくて済んだ。

日本が「繁栄」を極めた1990年、バブル経済絶頂の時、米国はゴルバチョフ・ソ連と和解した。冷戦の終結。その翌年の米国の世論調査で「米国への死活的脅威」は何か?のアンケートに対し有識者の回答は1位・日本の経済力(63%)、2位ソ連の軍事力(20%)、3位中国の大国化(16%)であった。

今から見るとこの米国の対日脅威論が、このあとの半導体協定、スーパー301条の発動を示唆した恫喝などという具体策を以って、「日本弱体化」政策は実行された。米国の外交戦略的には中国に接近しGATT,WTOに入れ中国を世界の工場にすることを行った。つまり、軽武装経済発展路線の吉田路線こそが対日経済包囲網を惹起したことになる。

さらに、軍事力を当の経済の競争相手である米国の軍隊に頼っているので、経済の外交交渉など最初から勝負がついている。米国のいいなりになるしかない。

米国による日本封じ込め戦略の実現。

もし、戦後日本が1990年のようなバブル経済にはならない程度に軍備に国家予算を使用すればよかったのではないか。今のロシアの経済は韓国並みの規模であることが指摘されている。在日米軍を代替するくらいの軍事力の経済負担なぞ1960年の日本できたはずだ。それがなぜできなかったのか?それは米国が日本の自主防衛を容認しなかったからである。日本の交戦権の取得に反対していた/今もしているからだ。そもそもそのためにマッカーサー憲法を占領下日本政府に制定させたのだ。もちろん、在日米軍はマッカーサー憲法に拘束されず、日本を出撃基地としてアジア、さらには世界に外征していった。戦後の77年というのは、日本列島を米軍が自由に活動できる体制のことである。さらには、御丁寧に日本政府は米軍に「思いやり予算」を献上している。これが戦後77年だ。

現在、米国が中国に当たりがきついのは、中国が大国化して「気に入らない」からである。でも、中国は、日本と違って核武装しているので、日本のように赤子の手をひねるように扱えるものではない。

戦後日本は、核武装もしないで、経済大国になったので、現在、停滞し、衰退しているのである。軽武装経済発展路線の欺瞞と破綻は明らかである。

と原理・原則を書いてしまった。

■ 「敗戦利得者」

自称「保守」の人たちが繰り出す言葉で「敗戦利得者」というのがある。ここ10年くらいのことだと思う。昭和にはそんな言葉を聞いたことがない。そして、「敗戦利得者」と聞くと苦笑してしまう。なぜなら、おいらは「暖衣飽食」に与かっているからだ。戦前の華族さまより、ある面、安楽に暮らしている。ただし、特に今年の夏は、「衣飽食」がありがたかった。連日35℃以上の猛暑でクーラーがなければとても暮らしてはいけなかった。戦前、敗戦後・高度経済成長完成前にはクーラーなど夢であった。そんな「涼衣飽食」に与かって戦後77年を愚痴るのは、とんだ、罰当たりだ。

さて、あの麻生太郎さんは昭和15年生まれ(母・麻生和子が吉田茂の娘;父娘でサ講和会議に参加)で、子供のころの夢を語っている。「腹いっぱい、食いたいなあ」。当時の「えすたぶりっしゅめんと さま」でさえこうなのかと、驚いた。「進駐軍」「アメリカ兵にもらった」「甘い菓子」などビンゴ・ワード満載;

https://www.youtube.com/shorts/yXp_TDYhJfY

なおYouTubeのショートはgoo blogに埋め込めない。

 



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