いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

賃金奴隷 財産 利子生活 佐藤ゆかり

2005年08月28日 20時43分50秒 | 日本事情
経済のグローバリゼイションに伴うニューエコノミーの進展は、賃金労働者の賃金低下と雇用の不安定を生じさせている。特にいわゆる終身雇用・長期安定雇用(いわゆる正規労働雇用)が高度成長期で当たり前であった日本では、最近では20-40%程度の賃金労働者がパートや派遣などのいわゆる非正規労働者となっているらしい。おいらもその一員である。いわゆる非正規労働者のなにがつらいかというと、雇用に期限があるので次の職へと「命がけの飛躍」をしなければならないことである。この連続は賃金労働者というより賃金奴隷といった方がよい。

さて、ニューエコノミー状況下でうまくやっていこうとする佐藤ゆかり候補は政策提言において、ビジネスモデル上、企業の利益最大化の答が固定費削減である限り、人件費は今後も抑制傾向が続くと前提した上で、家計は所得を株式投資してその配当で収入をあげるべき、と主張している。政策の大前提で日本の法人は貯金を積み上げているが法人税率は欧米並み以上に上げられないとしている。この主張は、日本の資本制を維持する立場からすれば当然である。これまでの自民党にない明確な資本制擁護のイデオローグの出現と言えるであろう。

これは、日本の賃金労働者たちは「利子生活者」としても生きよ、と言っているのである。もちろん利子生活者と生きるためには利子を生む元手の財産を保有していなければならない。したがって、財産のない賃金労働者は賃金奴隷として生きるよりない。まあ、これこそ資本制の本義であろうが。

問題は賃金奴隷になりたくないなら、つまり自由を得たいなら、まず財産をもつべし、ということである。財産こそが自由を保障する、と。

渡部昇一、『続知的生活の方法』の4 知的独立 についてにおいて財産と自由の問題が論じられている。その章内の見出しは、恒産なくして自由なし、などを含む。その中で本多静六の『私の財産告白』が言及され、財産を築くことの重要性をまじめに論じた本多を賞賛している。この本は昭和25年の本と渡部には紹介されている。ずいぶん絶版だったのだろう。その本が最近再版された。おいらはまだ読んでいないが、雪斎さんのブログで内容が紹介されている。雪斎さんは大学教官らしいので時間がそもそもある職種とのこと。普通の賃金労働者も自分の経済的安全保障には財産があれば望ましい。

それにしても、堀江貴文さんや佐藤ゆかりさんの立候補に「金儲け」嫌悪ヒステリーともいうべき批難が多い。これは、日本はこの地球上で最も資本制が発達している地域のひとつなのに不思議である。みんなお金のお世話になって暮らしているのに。お金・資本にちゃんと対峙しないのが現代日本の問題のひとつではないかと思う。

ただ皮肉なことにこの『続知的生活の方法』の4 知的独立において渡部は「疑似恒産としての就職」として現代日本は就職することが恒産をもつことと等しいと主張している。1979年のことである。 今やむかし、である。



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