いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第383週

2022年03月12日 17時42分03秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第383

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実と根

■ 今週の芯

バナナを輪切りにして食べようとすると、芯が赤茶色い。

バナナの花が咲いた後、咲いた場所から雑菌が入りバナナの食べる部分に赤褐色や、黒い筋があらわれたり、バナナが空洞になったりする症状をモキリオ病と呼びます。(ソース;バナナの赤い変色(黒い筋)ってこれ何?硬い芯・空洞・茶褐色のやつを調べてみた【食べても大丈夫】

■ 今週のずんだ

先週金曜に買った「ずんだ生どら焼き」(有限会社もちべい)を月曜日に食べた。リンク先では"生どらセット"の商品紹介。池袋の宮城県アンテナショップでは、「ずんだ生どら焼き」をばら売りしていた。味は、ずんだの風味が強くなく、つぶつぶ感がなくクリーミー。ずんだもちの中身を期待したものとは違った。

■ 今週のキリ番

■ 今週の紙屑

ルーブル紙幣。10ルーブル紙幣は10年も前になくなっているとのこと。今、ネットで知った。

ロシアは2度行ったが、もう行けないのだなとおもう

■ 今週の灯油価格

12月は113円だった。

武相境斜面に来て8年目となる。これまでの暮らしと違うことのひとつは、灯油を買うために約1キロメートル先のガソリンスタンドまで歩いていくことだ。灯油は18リットルのポリタンクに入れる。このポリタンクを手にもって1kmを歩くわけにはいかないので、カートに乗せてポリタンクを運ぶ。往復で30分かかる。つくば山麓では車で運んだので、何の苦労もなかった。

仙台に暮らしていた時は手でポリタンクをもって運んだ。

■ 今週気づいた「消えた仙台の米穀店」


2013年撮影

仙台市青葉区広瀬町5-25にあった佐初米穀店(google)が無くなっていた。昔ここで灯油を買っていた。↓ GoogleMapを今週みたら、無くなっていると気づいた。

■ 今週の植民地での日帝婦人(旦那はインテリ)の所業の記録

正気の時は乱暴でがさつでパワフルだった。正気の時は母さんとの確執に苦しんだ。
 母さんは私が在日韓国人と友達になっていると「朝鮮人とつき合っちゃ駄目」と云った。当然のように云った。
 北京や大連に居た時は平気で「チャンコロ」と云っていた。
 正気の時はずーっとそう思っていたと思う。
(佐野洋子、『役ない日に立たない々』2008年)

佐野洋子の父は、埼玉の農家の七男で、東大を出て、北京大や満鉄に勤めていた。著書として、『南満州鉄道』(昭和16年)が認められる。

■ 今週のPX

「私初めてソフトクリーム食べた時、私って夢の中にいるんだと思ったわね。銀座にPXがあったの、そこでしか売ってなかったのよ。私の月給十五円で、ソフトクリーム八円もしたのよ」。モモちゃんは昔っから度胸があったんだ。「こんなもの食っている国と戦争したんだから負けたと思ったわね」。(佐野洋子、『役ない日に立たない々』2008年)

モモちゃん は父方の従妹で、終戦の時十五歳だったそうである。

PXとは、post exchangeの略語。wikipediaに下記のようにある;

アメリカ軍の基地内の売店(post exchange)。
詳細は「酒保」を参照

    日本(とりわけ東京)では戦後の進駐軍によって多数の商業施設が接収され、米兵向けのPXとして使われた。銀座三丁目の松屋や同四丁目交差点の和光も「TOKYO PX」の看板に掛け替えられ、1952年頃まで収用された。

↓ TOKYOの下にPXの文字。左右の「紋」は米第八軍の印章。

■ 今週の「アメリカ人になろうとした」敗残者たちの戦後日本の記録のひとコマ

上のふたつの項も含め、佐野洋子の自伝的本を読んでの話。佐野洋子は日本近代での「インテリ」親子なのだ。ここで、「インテリ」とは知的であるという属性だけではなく、伝統的社会から乖離して、学術とか美術とか学校的文化を身に着けることで社会的に生きざるを得ない人々。特に、佐野洋子の父である佐野利一は農家の七男にして東大を出た後、満鉄調査部。典型的大日本帝国のインテリだ。所を得るのが困難なので、植民地に職を得たのだろうと容易に想像できる。そして、大日本帝国瓦解。この瓦解で一番の「落とし前」を取らされたのが日帝侵略家族だ。佐野洋子は難民化し引揚の中で、内地に帰還した後も、兄弟3人が死んでいる。

そんな日帝敗残者の引揚者の佐野洋子の人生は、子供の頃学校で教師に「引揚者だからといって、遠慮しなくていい」といわれた佐野洋子の人生は、美術"エリート"としての人生だ。何の財産もないので、美術とか学校的文化を身に着けることで生きたのだ。「インテリ」だ。そして、身に着けるもののパクリ先が書いてあった。学校ではなく、世間に出ての話だ。佐野洋子にいわれるまでもなく、戦後日本とはこういうものであったに違いなが、直接の経験談を書いてあるものを、おいらは、初めて見たので、抜き書きした;

 還暦過ぎたので、先が無くて忙しい。
(中略)
 アンディ・ウォーホルだって?
 ああ、そんな時もあった。
 何か、サイケデリックな混乱と異様なエネルギーの時代。
 青春とはなんと恥ずかしい浮ついた狂乱だったのだろう。
 いや、あの時代日本中浮ついて、恥ずかしいのである。しかし、浮ついていない時代を日本は持ったことがあるだろうか。

 私はあの時代一番とんがっていたグラフィックデザイナー集団の中で過ごした。
 (中略)
 しかしその若い集団の気負いと自信とストレートな希望と可能性を未来に託した楽天性は、頼もしいものだったと思う。時代の最先端を突っ走っている自覚は傲慢と同じことであった。
 (中略)
 その集団はどこを見ていたのかまるギョロッついた目は全部アメリカを見ていたのである。彼らはアメリカを何と呼んだか。「アッチ」とか「アチラ」と呼んだ。「コッチ」も「コチラ」も存在しないのである。
 彼らおよび私も「アッチ」の情報のキャッチに血眼であり、それは主に「アッチ」の雑誌を1秒も早く手に入れることだった。
 現実に「アッチ」に飛んで行くことなど夢でありポチポチ「アッチ」に視察旅行に行く人があると、羽田まで見送りが集まり旗を振り「バンザイ」という叫び声に羨望を込めた。何という純情と大真面目。大真面目はどこか滑稽である。
 私は『ヴォーグ』や『バザー』などというファッション雑誌で写真家のアドベンやペンを知る。 (モンローは二度死んだ、佐野洋子、『あれも嫌い これも好き』)

■ 今週の「忌」 Google(東京大空襲から77年)

東京大空襲の忌日のニュースの取り上げが今年は大きいと感じた。毎年気にしてみている(愚記事;夷(えびす)を焼く弾(たま);焼夷弾)。夜のNHKニュースではウクライナ情勢に次ぐ2番目。やはり、戦争のせいか。

■ 今週のマ元の追従者としてのプーチン大統領

民を大量虐殺(ジェノサイド)して、もうこれ以上殺されたくないと考えた民に軍事独裁政権において、大量虐殺を行った米軍が草稿し制定されたのが、現行憲法。清瀬一郎はこれを「マッカーサー憲法」と呼んだ。「マッカーサー憲法」ではゴロが悪いので、おいらは「マ元憲法」と呼んでいる。

「マ元憲法」は、<ジェノサイド憲法>だ、

このジェノサイドの果てにできた法で権利が拡張された人たちは複雑な気持ちを持たざるを得ない。日本の民主制の不幸だ。と思っているのは、おいらだけらしく、今週日曜のNHKラジオでは憲法学者の木村草太が憲法24条について語っていた。憲法学者というのは「理念」が法制化されさえすれば、いきさつにはこだわらないらしい。ただ、憲法の成立過程について「日本人もかかわっていました」といっていた。問題は数人の日本人がかかわっていたことではなく、日本人の多くが参加して、これから自分たちに関わる、憲法を自分たちの脳みそから文言を出し、合意することだ。理念さえ立派であればジェノサイド遂行者の脳みそから文言でよいというのが、現在の憲法学者たちの考えなのだろう。

「法に従う民が、法の制定者でなければならない」という民主制、立憲制の原理が実現されていない。さらに、マ元憲法制定後、占領軍は憲法は占領軍が草稿を書いたことを明らかにしてはいけないという検閲令を出した。現実に検閲を実施した。占領という軍事独裁政権における憲法制定だ。マ元憲法の第9条は武装解除条項である。武装解除された「国」において、占領軍は軍事基地を維持し、絶対的権力となった。日本は少なくとも軍事的には植民地である。実際は、この軍事的従属は、占領時代以来の米軍基地の存続として今日まで続いている。田中耕太郎問題。

ところで、興味深いことが戦後の司法には認められる。つまり、敗戦を挟んで裁判官たちはそのままで、憲法を変えて司法を進めたことだ。思想的に水と油の内容の法をもとになぜやっていけたのか?戦前に「マ元憲法」と同じ思想の法曹者がいて、冷や飯を食っていたけど、戦後、自分が信じてきた思想の法ができたので、司法業務を行うというのならわかる。一方、大日本帝国憲法に殉じて大量の判事が辞めたとも聞かない。これは何なんだろう?

そもそも、配給米だけ食べて餓死した判事がひとりだけって、おかしいよな。

つまりは、奴隷というのは鉄鎖を繋がれた者どもというばかりでなく、死にたくないために何でもするという人々だ。奴隷の存在には常に主に握られた死刑執行がある。戦後日本は、ジェノサイドの後、これ以上死にたくない人々が生きる世界だ。

ところで、プーチンはウクライナ国民にこれを希望している。それが非武装と傀儡政権の要求だ。

今の日本司法は傀儡司法であり、象徴が田中耕太郎

田中耕太郎といえば、砂川事件の裁判について、裁判の処理方針を内密に米国側に説明していた(wikipedia)。つまりは、日米関係=実態は日本が米国の保護国である状態を維持するために、倫理に悖ることを行った最高裁判事である。

■ 今週の虫干し

虫干しとは、虫やかびがつくことを防ぐために風通しをよくし、日に当てることを言います。衣類だけではなく、書物や着物などの調度品に対して、年に3回ほど行うことを総称して「虫干し」と言いました。暦生活

あの日(を報じる翌日)の新聞を、取り出し、干しました;

▶あの日のブログ記事: 【号外】 壊滅したおいらの部屋 (副題、琵琶法師@見習いは泣かない)