▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第385週
■ 今週の武相境斜面
■ 今週の草木花実
■ 今週の購書
下の2冊が428円。上の8冊が100円。
買った1冊が『将軍と側近 室鳩巣の手紙を読む』。将軍と側近は抽象的たが、室鳩巣(むろきゅうそう)。
室鳩巣は少し知っていた。愚ブログに出てくるのはこの話;
八代将軍・吉宗が大奥の大整理・大量解雇をした。その時、当初、解雇目的をいわず、美女を選べと指示、選ばれた「美女たち」が解雇された。
吉宗の侍講である室鳩巣が、享保五年十一月二十九日付で弟子の青地礼幹たちにおくった書状の中に、このことが記されているのである。 (笠谷和比古、『徳川吉宗』)[愚記事;芝居のような史実;その伝承経路:大奥大量解雇事件の例]
この吉宗の時代は、「将軍原理主義」が復興した時期。こういう時代だ;
さて、七代将軍・家継の死により、織田系徳川将軍の系統は絶えた。このあと将軍になった吉宗はもちろん家康の血統を引き継ぐものであり、家康の安全装置設置がまさに効果をあげ、御三家の紀州から将軍になった。この徳川家での系統の変換が、徳川幕府に与えた効果は、結果として、むしろ絶大であった。病弱の将軍、幼い将軍が名目上将軍職に就くより、実力のある御三家の大名が将軍になったことで、幕府での将軍の求心力が強まり、それまでの側近政治を廃止し、将軍と老中による家康時代の本来の幕府運営が行われることとなった。(愚記事; 今度、吉宗クンと竹田クン。)
この時代に新井白石もいた。室鳩巣もいた。その室鳩巣の話の本らしい。ざっと、みたら、大奥解雇の話は出てこない。
■ 今週の繕い
手袋に穴があいたので、繕った。
■ 今週の値上げ前
現在のうまい棒の卸値は7円50銭と知る。google。
■ 今週の いか
【富山県産】生ほたるいか軍艦 (魚屋路)
■ 今週の家風; 「両岸」性
判断のむずかしい問題について、岸は賛成・反対の意志を明言せず、風見鶏的な対応を取ることも多かったので、よく「両岸」と揶揄された。しかし岸は、「党内をまとめていくのに、いっぽうの『岸』だけ好いて、他方の『岸』を押さえつけるわけにはいかない」と語り、さまざまな立場の人々を調和させることが、難題を解決するには必要なのだと考えていた。 (出典;岸信介の人間力)
■ 今週の「ウィキペディアの死神」が来る前に
3/24早朝のwikipedia
(よりによってこの時期に)24日の早朝、オルブライト死去のニュースをtwitterでみた。河野太郎のtwitterやwikipediaを見ても、確認できなかった。wikipediaは、「ウィキペディアの死神」(google)が来る前にみたことになる。
Google [オルブライト NATO 東方拡大を推進]
由木通信所(ゆぎつうしんじょ、Yugi Communication Site)は、東京都八王子市別所にある、元在日米軍施設である。 2016年7月1日に敷地の全てが日本側に返還された。
敷地面積は、3891平方メートルで、横田飛行場(横田基地)と同じく米第5空軍第374空輸航空団が管理をしていた。
全て国有地となっており、敷地内には、47メートルの通信鉄塔のみが建ち、極超短波通信中継施設として機能している。 (wikipedia)
レコンキスタ史跡といったが、この施設は、1954年に日本政府から米軍に提供されたらしい。つまり、サンフランシスコ講和条約締結以降なのだ。つまり、占領された区域ではない。でも、講和を締結しても、実際は、保護国なので、事実上の強制接収だったのだろう。
おいらは、電波塔を見ることができなかった。おいらが歩いた経路からは死角になっていたのであろう。
↓ おいらが見られなかった風景
■ 今週(<荊の簪を挿す御方様>が)借りた本;あるいは、「ヤソ」(耶蘇)、「ケトウ」(毛唐)
愚ブログでは、耶蘇、毛唐という語彙が使われている。(愚ブログ内の耶蘇、毛唐)
荊の簪を挿す御方様が借りて読んでいる佐野洋子のエッセイ。又借りして、見てみた。
彼女の父親(佐野利一[1])についての話が書かれている。
▼「ヤソ」(耶蘇)
「うちもクリスマスやろうよ」
と夕飯の時、私は言った。
「馬鹿野郎、お前はヤソか」
と父は間髪を入れずにどなった。私はおそれ入った。
「日本人が何でクリスマスをやるんだ。馬鹿な野郎ばかりふえやがって」
子供の私はクリスマスがヤソのお祭りかどうかは知りもせず、キラキラと光るロマンティックな素敵なことでしかなかった。 (佐野洋子、『ふつうがえらい』、お前はヤソか)
▼「ケトウ」(毛唐)
私の父は、外国人のことをケトウと呼んだ。マッカーサーもケトウで、ベートウベンもケトウだった。
「日本はいつ発見されたの」
と父に聞いた時、
「日本は発見されなくてもちゃんとあった。ケトウのいいそうなことだ」
とはきすてるようにいった。
そして父は、学校で西洋史を教えていた。 (佐野洋子、『私の猫たち許してほしい』)
[1] 佐野洋子の父は、埼玉の農家の七男で、東大を出て、北京大や満鉄に勤めていた。(愚記事)
満鉄調査部出身で東洋史が専門と書いていた。戦後は、三木氏の入学した静岡高校で世界史の先生をしていたという。また、洋子の『シズコさん』によると、利一は浦高、東大卒。洋子が19歳の時、50歳で亡くなったという。「支那に於ける封建語義の変遷」『歴史学研究』昭和8年11月号などを書いているよう であるとのこと。(ソース:ブログ 神保町系オタオタ日記 様記事; 佐野洋子の父、満鉄調査部の佐野利一)
■ 今週気付いたこと; 米国の保護国・日本のソヴィエト化
愚記事より。多摩ニュータウンの団地
多摩ニュータウンに代表される「団地」の風景は、アメリカ人にとっては「ソヴィエトの街」の象徴であると上のYouTubeのサムネからわかる。 一方、下の画像は日本占領米軍の住宅地の風景だ。とても「疎」。
愚記事より グラントハイツ、現在、光が丘団地
↓ ソヴィエト化。現在の光が丘団地
「滝山コミューン一九七四」というのも、(造成、建築という)物質的背景の元での出来事か?
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