いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

東京・埼玉散歩;地下鉄光ヶ丘駅 / Grant Heights跡⇒ 和光樹木公園 ⇒ 朝霞駐屯地 / Camp Drake跡⇒ 東武朝霞駅

2020年11月29日 15時45分45秒 | 日本事情


1;地下鉄光ヶ丘駅、2;光が丘公園、3;米軍通信施設、4;和光樹木公園、5;朝霞駐屯地、6;東武鉄道朝霞駅

■ 1;地下鉄光ヶ丘駅 ⇒ 2;光が丘公園

▼ Grant Heights 跡地

光ヶ丘団地、光が丘公園は Grant Heights 跡地は看板にあった(上図)。ただし、遺構など痕跡はなさそう(ない)。Grant Heights =グラント・ハイツ ⇒ wikipedia。 グラント・ハイツについては、「参観者たちにはその日本人の小娘まで、まるで天国の住人のように思われる」というくだりを含む小島信夫の小説「アメリカン・スクール」は小島信夫のグラント・ハイツでの体験があることを、かつて愚記事で書いた( 札幌郊外の「アメリカン・スクール」(1946-1958))[1]。

1942年(昭和17年)、日本陸軍は帝都防空を目的に成増飛行場をこの地に建設した。戦後になって同飛行場を接収した連合国軍は、この地にアメリカ陸軍家族宿舎を建設した。

その後、1958年(昭和32年)にはアメリカ空軍第5空軍が管理を引き継ぎ、後に、アメリカ空軍第34空軍の家族宿舎 (Grant Heights 34th Air Base Housing Area) となった。wikipediaより

1967年(ベトナム戦争が激化していた頃)の Grant Heights 。YouTube(Aerial tour of Hikarigaoka (Grant Heights))より。 Grant Heightsは、米空軍のための住宅。ということは、立川や横田で勤務している米兵の住宅なのだろう。下の航空写真はその頃(1960年代)。この時代、敷地・施設が最大。

▼ グラント・ハイツ敷地の時代変遷。戦前(左上)⇒1945-1950年(右上)⇒1960年代(左下)⇒現在。

Grant Heights-Hikarigaoka - Google Earth Tour (HD)

[1]  グラント・ハイツ内の「アメリカン・スクール」=Narimasu Elementary Schoolの映像があった。ただし、時代は占領が明けた時代。小説・「アメリカン・スクール」の時代設定は敗戦直後の占領下。

Narimasu Elementary School/GH School Bus 1953

 ▼ 光ヶ丘公園続き

■ 2;光が丘公園 ⇒ 3;米軍通信施設


土支田交叉点


右折して、笹目通を北上。

▼ 武蔵野台地のひとつの成増台を下り、白子川がつくった谷を下る


白子川


谷底から、朝霞台へ上る。

▼▼ この先、後出の「朝霞郵便局前交差点」まで、Camp Drake跡地。

ここ「諏訪原団地」から「朝霞郵便局前交差点」まで、直線距離で3.3km。現実に道を通って歩いた距離は5.3km。Camp Drakeの広大さがわかった。


諏訪原団地

AFN Tokyo 810kHz 和光ラジオ送信所(google)。つまり、米軍領。

軍犬隊により巡回されている。軍犬隊= military working dog teams.  ⇒ google  、同画像

■ 3;米軍通信施設 ⇒ 4;和光樹木公園

▼ 和光樹木公園

和光樹木公園から出る

■ 4;和光樹木公園 ⇒ 5;朝霞駐屯地


朝霞駐屯地正門


自衛隊駐屯地の角地に埼玉県新座防災基地

再び、自衛隊

右折する。東京朝霞線(旧キャンプ・ドレイク内を南北に縦断する道)を北上する。

▼ Camp Drake、キャンプ・ドレイク

キャンプ・ドレイク(英: CAMP DRAKE)は、埼玉県の和光市・朝霞市・新座市、東京都練馬区にまたがる、アメリカ陸軍第8軍団隷下部隊や第一騎兵師団(en:ウィリアム・チェイス将軍)が駐屯していた基地の名称である。旧米軍朝霞(あさか)キャンプ。施設番号はFAC 3048。

キャンプは「キャンプ・ノース(英: CAMP North)」「キャンプ・サウス(英: CAMP South)」から成る南北2つのエリアで構成されている。基地面積は約4.5平方キロ。一部地域を除き返還済みである。なおドレイクとは、1945年(昭和20年)マニラの戦いにて戦死した同騎兵師団大佐であったロイス・A・ドレイクに因む。

   wikipedia[キャンプ・ドレイク]

● 敗戦時、旧軍施設を接収してキャンプ・ドレイクとしたのが、米国第1騎兵師団。1950年の朝鮮戦争の時、15,000人がここキャンプ・ドレイクから出兵。関連愚記事;マ元のペット;第1騎兵師団 (1st cavalry division)、朝鮮戦争で苦戦(一部壊滅)し、主なき東京ではなく、札幌へ帰還

https://www.pinterest.jp/dafunerabbit/camp-drake-asaka

■ 5;朝霞駐屯地 ⇒ 6;東武鉄道朝霞駅

この通りは、旧キャンプ・ドレイクの北地区。

▲▲ 朝霞郵便局前交差点:ここまで、Camp Drake跡地

まとめ

東京都練馬区: 光ヶ丘、 旭町

埼玉県和光市: 白子、 南、 広沢、 岡、 溝沼、 栄町、 青葉台、 本町