JR北鎌倉駅から鎌倉駅まで(結果的に)散歩した。当初の目的は建長寺の見物。これまで、おいらは、つくば時代からたびたび鎌倉を訪れている。一方、鎌倉に限らずおいらは神社仏閣には興味がない。だから、鎌倉仏教の寺院など行ったことがなかった。しかし、ここ1週間、鎌倉仏教の建長寺はシナ(当時は宋)から来た僧侶(集団)がつくった一大文明センターだったらしいと知った。すなわち、鎌倉「仏教」と云うが、禅宗・仏教に限らず儒教を文明的背景としての文明集団の拠点だった。坊主に限らず、世俗行政官や外交官とかの養成の役割も担っていたらしい。 なにより、「公用語」がシナ語だったとのこと。
蘭渓道隆(建長寺をつくった僧)って初めてしった。という背景で、建長寺を見物することにした。
そのあと、銭洗弁天へ行こうということになり、向かったが、思いがけず2つの切通しを通過。
図1
1 → 2 北鎌倉駅 ⇒ 建長寺
北鎌倉駅
北鎌倉駅から県道21線を南下。横須賀線を渡る。
上画像ではわかりづらいが、こちらがびびるほど車体を傾むかせて通過。
車体傾斜の理由はカーブ対策で線路面に傾斜がついていた。
↑ 正面、 ↓ 庭から裏面
この庭は建長寺創建当時からあるとされている。
正直、ただの大きなお寺。何より、僧侶をひとりも見なかった。
鎌倉時代の建長寺と蘭渓道隆については、本読む。
2 ⇒ 3 建長寺から亀ヶ谷坂切通を経て、横須賀線をくぐる
亀ヶ谷坂切通 wiki
3 ⇒ 4 扇ガ谷・横須賀線 ⇒ 化粧坂切通し、 峠、 ⇒ 源氏山公園 ⇒ 銭洗弁天 4
図2 (図1の一部拡大)
↓
源氏山公園。 平坦地。
下る。
華人さまが多かった。紙幣(おそらく、ユーロ)を洗っていた。 彼らには、名所なんだろうか?
4 ⇒ 6 銭洗弁天 ⇒ 鎌倉駅
佐助という地名を通る
鎌倉駅に向かう傾斜も相当緩くなったところで、ばったり、鎌倉市役所に出くわす。あー、ここか!と思う。
鎌倉市役所: 名所旧跡:: 鎌倉市民・江頭敦夫 (筆名 江藤淳)さん御活躍の場所。
念願の鎌倉に自宅を構えたあと、市役所の役人の勤務実態に憤慨し、週刊誌でその実態を告発したことがあった。12時に職場を抜け出して、昼食を取る職員が多いのはけしからんというのである。
東工大の教授はほとんど、朝から晩まで研究室に張り付いているから、ウイークデーの昼間に市役所で見張りをしている暇はない。学内では、他人の勤務実態はともかく、自分はどうなんだという声が多かったが、本人は"人間と社会を観察して、それを文章にするのが文学者の仕事だ"と反論した。
今野浩、『すべて僕に任せてください―東工大モーレツ天才助教授の悲劇』
スーパー紀伊国屋は初めて見た。
鎌倉駅
藤沢へ。帰途につく。