いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

北鎌倉⇒鎌倉;建長寺、亀々谷坂切通、化粧坂切通、銭洗弁天 

2018年03月04日 13時17分21秒 | 東京・横浜

JR北鎌倉駅から鎌倉駅まで(結果的に)散歩した。当初の目的は建長寺の見物。これまで、おいらは、つくば時代からたびたび鎌倉を訪れている。一方、鎌倉に限らずおいらは神社仏閣には興味がない。だから、鎌倉仏教の寺院など行ったことがなかった。しかし、ここ1週間、鎌倉仏教の建長寺はシナ(当時は宋)から来た僧侶(集団)がつくった一大文明センターだったらしいと知った。すなわち、鎌倉「仏教」と云うが、禅宗・仏教に限らず儒教を文明的背景としての文明集団の拠点だった。坊主に限らず、世俗行政官や外交官とかの養成の役割も担っていたらしい。 なにより、「公用語」がシナ語だったとのこと。 

蘭渓道隆(建長寺をつくった僧)って初めてしった。という背景で、建長寺を見物することにした。

そのあと、銭洗弁天へ行こうということになり、向かったが、思いがけず2つの切通しを通過。


図1

1 → 2 北鎌倉駅 ⇒ 建長寺


北鎌倉駅


北鎌倉駅から県道21線を南下。横須賀線を渡る。

上画像ではわかりづらいが、こちらがびびるほど車体を傾むかせて通過。

車体傾斜の理由はカーブ対策で線路面に傾斜がついていた。

↑ 正面、  ↓ 庭から裏面

この庭は建長寺創建当時からあるとされている。

正直、ただの大きなお寺。何より、僧侶をひとりも見なかった。

鎌倉時代の建長寺と蘭渓道隆については、本読む。

2 ⇒ 3 建長寺から亀ヶ谷坂切通を経て、横須賀線をくぐる

亀ヶ谷坂切通 wiki

 

3 ⇒ 4 扇ガ谷・横須賀線 ⇒ 化粧坂切通し、 峠、 ⇒ 源氏山公園 ⇒ 銭洗弁天 4


図2 (図1の一部拡大)

源氏山公園。 平坦地。

下る。

華人さまが多かった。紙幣(おそらく、ユーロ)を洗っていた。 彼らには、名所なんだろうか?

4 ⇒ 6 銭洗弁天 ⇒ 鎌倉駅

佐助という地名を通る

鎌倉駅に向かう傾斜も相当緩くなったところで、ばったり、鎌倉市役所に出くわす。あー、ここか!と思う。

鎌倉市役所: 名所旧跡:: 鎌倉市民・江頭敦夫 (筆名 江藤淳)さん御活躍の場所。

念願の鎌倉に自宅を構えたあと、市役所の役人の勤務実態に憤慨し、週刊誌でその実態を告発したことがあった。12時に職場を抜け出して、昼食を取る職員が多いのはけしからんというのである。
 東工大の教授はほとんど、朝から晩まで研究室に張り付いているから、ウイークデーの昼間に市役所で見張りをしている暇はない。学内では、他人の勤務実態はともかく、自分はどうなんだという声が多かったが、本人は"人間と社会を観察して、それを文章にするのが文学者の仕事だ"と反論した。

今野浩、『すべて僕に任せてください―東工大モーレツ天才助教授の悲劇』

 

スーパー紀伊国屋は初めて見た。

鎌倉駅

藤沢へ。帰途につく。