いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

自己責任は庶民に

2009年02月22日 19時48分21秒 | ぐち
中川昭一さんの酒乱事件について。

同伴の官僚に責任があるという指摘がある。

なんだかなぁ~。 どういんだろう、そういうの。

天下の大臣様である。役人たるもの従えばいいのである。アル中であろうとも。

国益がどうなるって? アル中大臣は何もクーデターで就任したわけではない。国民さまの御選挙を通じて選ばれたのである。厳密にいうと、国民に選ばれた国会議員の選挙で選ばれた首相から任命された。つまりは、もし国益がそこなわれたとすれば、それは「国民」にふりかかる以外に、論理上は、ありえない。学習しろよ、ぬっぽんずん。

(今回の記者会見そのものや、以前から中川がアル中であることを報道しなかった日本マスコミも、いつもどおり、まぬけだ。)

官僚に責任をなすりつけて、中川をかばおうとする姿勢こそ、日本国民の官僚依存と、その結果の官僚支配の根源である。

ただ、その後のバチカン視察で警報がなったのを知りませんでした、と財務官僚がいけしゃーしゃーというのは最低である。 自分の殿様(バカ殿)から目を離すなよ。

それにひきかえ、もし、派遣社員が酒飲んで仕事場に行ったらどうなるであろう?当然、即刻契約解除。白昼飲酒で失職なぞ、自己責任の極みとして世間からはなんら同情をひかないであろう。自己責任! 自己責任!って叫んでいた中川ら保守派はなぜ、愚民党がへくったとき、自己責任!といわないのであろうか?

よく、日本人の評論家で"ノブレスオブリージュ"とか言って御托を並べるのがいるが、大嗤いである。日本こそ、ピラミッドが下に行くほどオブリージュがきついのであり、かつ、リスクが大きい。現代日本の経済成長のリスクを背負っているのは非正規労働者である。つまり、経済成長の停滞に自分の失業を"供養"する。

ノブレスが義務を果たさないことこそ、G7の中で日本国の特記すべきpropertyではある。


渡辺喜美によれば、公務員改革で役人側にたって役人擁護のため机を叩いて、渡辺の改革に立ち向かった(うちのひとり)のは中川昭一だったそうだ。


どうでもいい話だが、中川一郎は九州大学出の農水の役人だった。大野伴睦に酒の飲みっぷりがいい!と「認めら」れて子分になったといわれる。

つまり、親子2代、酒に始まり、酒に"終わった"もの語りだったのでした。

さようなら! 中川親子。