- - 「あんた、カリョウビンガ知らんの。」
「はあ。」
「へえ、生島さんでも知らんことあるんやね。」- -
車谷長吉、『赤目四十八瀧心中未遂』
- アクバルの居城、ファテープル・スィークリーにて - (本文と全然関係なし)
■ラジオを聞いていると、カリョウビンガは源氏/紫式部、あるいはその周辺にも出ているのだと知った。 Google; 迦陵頻伽 紫式部 つまり、カリョウビンガという言葉は古くからの日本語なんだ。知らなんだ。
■おいらはこれまで2度カリョウビンガに「出会い」かつ記憶に残っていたので今調べた。記憶に残った理由のひとつは、音/語感が変だから。
初めて知ったのはがきんちょのころで「レコード」出してた人たちのグループ名。KARYOBIN。 パープルモンスーンという曲が当時とても新鮮だった。
2ちゃんねる、 上田知華+KARYOBINについて語ろう
当時ラジオ番組で上田知華が「KARYOBINは名前を覚えてもらえず、かつ間違えられやすく、火炎瓶、と間違えらたこともある」と言っていたことを思い出した。
今CDとても高い; Amazon, KARYOBIN
ちなみにYouTUbeにアップロードはない模様。 たくさんある。
●で、2度目が20年たっての上記の車谷長吉、『赤目四十八瀧心中未遂』。アヤちゃんの背中に彫ってあったのがカリョウビンガ。このときはじめて、カリョウビンガというのは鳳凰のような壮麗な鳥とわかる。
今、生まれて初めてカリョウビンガをちゃんと調べた。
ウイキペディア; 迦陵頻伽
サンスクリット語起源なんだ。kalavinka。kalavinka → 迦陵頻伽。
これは、7世紀に儀浄はナーランダで10年勉強して、たくさんのサンスクリット文献を母国・唐に持ち帰る。これを契機にサンスクリット語→漢語の大翻訳時代が始まり、多くの漢語(概念)がシナで作られた。の一環でのことらしい。(拙記事:『議論好きなインド人』 アマルティア・セン その3 )
つまり、支那知識人の大暴走族時代でのことである。迦陵頻伽! パーラ、パーラと聞こえそうである。元祖暴走万葉仮名に他ならない。
そして何より、『赤目四十八瀧心中未遂』でアヤちゃんは、「へえ、生島さんでも知らんことあるんやね。」と言って、手提げから手帳を出して、迦陵頻伽、と書いてみせるのである。「アマのバタ屋で育ったような女やのにな」と自称する女が、迦陵頻伽、と書いちゃう。不思議だ。でも、そうなのだ、彼女も族あがりなのだ。