いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

栄華の巷低く見て、あるいは、ターナー展

2008年06月22日 11時47分56秒 | 東京・横浜
とびかん・『芸術都市パリの100年展 ルノワール、セザンヌ、ユトリロの生きた街 1830-1930年』の後は、ターナー展の見物に行きますた。

筑波山麓→華のお江戸へのお上りさんのおいら、タワーにも登ってしまいますた。マンセー!

■ターナー展
  

もちろん、たんなる見物ぬんなので、よくわかりませんでした。 ちびっと気づいたことは、作品「スイス花崗岩の輪」の石は、どうみても花崗岩ではなく、おそらく片麻岩、緑色片岩と見えましたが、そういうgapが現代アートであるなら、野暮なおいらは、口を挟む隙はもとよりあらず。 それにしても、分断される母と子がなぜ牛なのでしょう? 簡単です、オブジェが簡単に食肉加工工場で調達、作製できるからですし、みんなが日常、牛肉を食べるからです。 もしこの、「母と子、分断されて」が犬や猫だったらどうなるでしょう? 非難go! go! です。 もちろん、その方が、「衝撃的」になったでしょう。 でも、そうはしなかった。 なぜなら、ターナー賞というのは結構小心翼翼たる小市民的感性に包まれているからに他ならないからです。 秀才ちゃんが、「ボクちゃん、マリファナ吸っちゃった」みたいです。 結構、嗤えますね、 ターナー賞。

ゲロの巷 栄華の巷低く見て

おいら、はずめて、  ゲロの巷 東京を見下ろしました。 一高生でもないのに、「栄華の巷低く見て」というコスプレをさせてくれた、「栄華」の極みの森ビル、六本木ヒルズ!、ありがとう!



われらが筑波山は、曇天にて、見られませんでした。 残念でした。

▼ぶわぁっーと、行け! 秀吉風。



六本木ヒルズの地上階では、ペチュニアをべらぼうに'生やして'いました。

いなかもののおいらは、びっくりすました。さすが、おかねもちはつがうなとすっかり感心しますた。

でも、いやみな、利休みたいヤツが、ちょっきん・ちょっきん花を落としていたら、そいつこそ秋葉原に続くテロリストに他ならない。 気をつけろ!