alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

言葉にならない物語

2012年01月24日 | 福島見聞録


 なんだか不思議な夢を見た。

 
 それはどこかの アパートかマンションの何階か で
そこの入り口には大きな焙煎機が置いてあり
そこがその空間の入り口になっていた。どうやらその先は
カフェのような NPO活動を支える部屋のようになっていて
でも原型としてはカフェらしい。そこを運営している
彼女が話をしていた「このカフェが昔どこどこにあったころ、、、」
「あーあのやたら行きにくい場所にあったころ、、、!」



 それとはおそらく違うカフェ で 今度はまた別の人たち
「誰々が違うカフェで働いていたころ、、、それは14年前のこと、、、」
なんだかもうよく覚えてないけど なぜだか私はハッと起き
パソコンの前に向かってる。それはどうしてなのだろう。



 福島のことがあまりに頭に強烈に残り
けれどもこのままでは自分の生活が破綻しそうなほど
頭が苦しくなっているのがわかって どうにか
元の生活やカフェなんかというものと それらを
関連づけられないか 考えていたのだろう。
考えることはなるべくやめよう そう思ってはいたものの
ふとした瞬間誰かの言葉がよみがえる。
「福島のことを 忘れないでくださいね、、、」
そう言った あの人たちは 今もあそこで生きている。
あのやたらと切なくキラキラとしたイルミネーションの光るあの街に。
きっとまた 今でも雪が舞ってるであろう 触れない雪が舞うあの街に。



 カフェ と 福島を考えた時
もちろん福島市にカフェ的な場があればすばらしいのにと思うけど
誰もが来れて 誰もが思い思いに自分の気持や意見を話せて
それが喧嘩になったり誰かとの仲がこじれたりするんじゃなくって
ちょっと自分の気持が言えて ただ店主にうんうん そうだよね
と聞いてもらえる そんな場があったらいい そしてなるべく
飲み物はミネラルウォーターを使ってしかも 身体から放射能を
出すような飲み物とかで でもセンスがよくて誰でも来やすい
そんなカフェ的な ほっとできる場 屋内施設があったなら
そりゃあいいだろうとは思う(西日本からの野菜を扱う
野菜カフェはもる というお店がそのうちカフェをするらしいけれど
そんな拠点がいくつかあったら福島の外から来る人たちにも
とてもいいと思う。ジャーナリストたちも含めて)


 でもそれとはまた別のこととして 
私が個人的 に カフェというテーマと今回行ってみて話を聞いた
福島というので もしかして共通なのかもと思うテーマは
大切なのに こぼれおちてしまう 沢山の物語が紡がれていることかもしれない。


 カフェには無数の物語 が 存在している
それはたった1日の 台風の日の出会いかもしれない。
電車が止まって足止めをくらい 仕方がないから時間を潰したカフェで
出会って時間を聞いていた おじさんとの ささやかな交流かもしれない。
なんだかそこが そこだけが 外の激しい風雨から身を守ってくれる
なんだかノアの箱船みたい と思ったのは 私だけではなかったかもしれない
あの木の空間に身を守られているような感覚だとか 話をするわけじゃないけど
なんとなく このカフェで電車待ちという連帯感を抱えてるような
そんな気になったのは ただの錯覚じゃないかもしれない。


 たまたま仕事の終わったあとで なんとなく
もう少しその場にいたいという そんな気持ちで
ご飯を食べてみることにして そうしたらそのカフェの中を
何時間も転々としてる人に出会って 彼女の話を聞いてしまって
ただの偶然の出会いだというのに なんだか苦しみをわかちあい
同じく本を書くために そしてどこかその先へ向かうため に
今抱えている苦しみを 乗り越えられるといいですね と言い合ったこと
そしたら彼女が 1ヶ月くらいしてみたら その苦しくて
乗り越えられなかったという先のエジプトに また行ってみることにしたということ
そうしてなんだか偶然にも 彼女の出国前にまた少し出会えたことだとか


 カフェには無数の 記録されない物語 が 存在してる。


 私はそれを書くために 何かを書いているのだろうか。


 世の中には 本流の歴史があって 報道されるニュースがある。


 だけどそれらの横でたくさん 大きなニュースには決してならない
だけど誰かにとって大事な なかなかつむがれることのない
小さな物語が進行している。それらは時に感動的で 時に
とても胸を打ち ときに人生に深い刻印を残したりするけれど
それらは名もなき出来事だ。


 でもバタフライの羽ばたきが どこかで大きな風になるように
小さな誰かの「名もなき誰か」の一言が 大きなうねりにつながっていく
そんなことってあるんじゃないか。私にはまだ あの居酒屋で
あまりに寒そうで簡素なつくりで 入る事をためらったあの
雪の日の居酒屋で 結局素敵に歓迎されて 最後は
みんなでオーシャンゼリゼを合唱し そうしてそこにいた
ほぼ全員で 語り合った 福島についての会話というのが
私には忘れられそうにない。彼らはとても率直だった たくさんの
想いがぶつかりあっていた。どうしようもない状況の中
誰もが笑顔を忘れなかった。なんだかそれはとても明るく
でもなんだか切ない そして切ない希望を一人のフランス人ジャーナリストの
胸に託した そんななんとも言えない夜だった。


 「日本からはもう日本は変えられません。ねえお姉さん、言ってやってよ
この人に。日本は黒船の国なんだって。海外から圧力を
かけないと日本は変われないんだって」
この1年 さんざんいろんなことをやってきて 沢山のことに
希望を見いだし さんざん裏切られて来た 福島の人は
最後の希望みたいなものを 海外のメディアに託してた。
それがこれからどうなるのかなんて 誰もわからないけれど
そう 誰にもわからないけれど それもまた バタフライの
羽ばたきのように なってくれたらいいのだれけど。



 こんなにも福島 での 出来事が 胸を打つのは何でだろう?
それはおそらく強いエネルギーがかかっているのもあるけれど
彼らが多分 私が今まで会ったことのないような
率直さ で 自分の持っている想いややるせなさや怒りなんかを
目の前でさらけだしてきたからだろう。多分私は 日本において
そんな経験をあまりしたことがなかったのだろう。
そうだって ここは本音と建前の国だったから。
カフェでは横に座った人たちの本音を耳にすることはあっても
きっとここまでではなかったのだろう。
彼らはまるでタガがはずれたかのように 沢山の気持ちを出して来た
そこに含まれる迷いも怒りもやるせなさも辛い気持ちも
私はやたらとなぜか共感してしまったから 私の通訳にも
熱がこもった。そうそして 私たち2人は ずっと議論を続けてた。


 誰かがこうして 見知らぬ誰かに 想いを打ち明けてくれたこと
そのエネルギーはあまりに強くて 私はそれをどうしたらいいのか
さっぱりわからないけれど そこには沢山の苦悩があって
一人一人の物語 が 決断が 含まれていた
沢山の家族の物語 沢山の つむがれていない物語
書き言葉になっていない物語 それを誰かがつむいでいいのか
何も触れない方がいいのか 私にはよくわからない。
だけど一つだけ言えるのは 私たちが耳にしてきた
偶然出会った沢山の人の話はとても深みがあると思うし
私一人ではなくて 誰かの胸を打つと思う。
そしてそれは きっとバタフライの羽ばたきのように
何かを変えるきっかけとなる そんなぐらいの力をもった
政治家でも運動家でもない名もなき誰かの だけど
本当はそれよりもっと力をもった 一市民の 言葉にならない
本当の声 なんじゃないかと思う。

 

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