alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

印象派とパリのカフェ

2014年02月02日 | パリのカフェ的空間で

「印象派たちもカフェに集った」そんな言葉を耳にしたのは
留学中のことだった。それはモネの美術館として知られる
マルモッタン美術館で 一緒に行った人から聞いたのか
そこでパラパラめくった本にちょっと書かれていたのか
そこまではよく覚えていない。
だけど印象派たちもカフェに集った、私の大好なパリのカフェに。
その2つが突然結びついたこと それは間違いなく研究のきっかけだった。


 「僕がパリにいた時はね フランス語がわからないから
美術館にばかり行っていたんだ。それでね、あんまりも
通ったもんだから サインの場所の違いなんかも覚えたよ」と
かつてフランスに3年程住んでいたという知り合いが 留学前に
教えてくれた。辛かった留学時代 私はその言葉を胸に刻んで
すきをみては美術館に通ってた。ルーブルの年間パスも買い
大した用もないのにルーブルに行っては絵を見るよりも館内のカフェで
お茶したり、ぼーっと彫刻を眺めたり。あの広い空間が好きだった。

 印象派が大好きだった私がジャポニスムを知ったのはいつのことだろう。
印象派も浮世絵も好きだったけど その2つが結びついた時
嗚呼なるほどな、と深く納得したものだ。ルーブルにある絵の
重厚な雰囲気と オルセーの最上階にある印象派の絵の軽やかさ
そして美しく豊かな色合いは あまりにも雰囲気が違う。
日本人で浮世絵に愛着のある私が自然と好きになってしまうのは
どうしたってオルセーにある印象派の絵の方だ。



 それなのに どうして私は少しは知っておきながら
印象派とカフェについての研究をしなかったのだろう?
おそらくそこに大層な理由はなくて、パリのカフェ文化の研究を
始めたら 一番始めに目についたのが有名なサンジェルマンデプレだったとか
それらのカフェに愛着があったからだとか そんな程度の理由だろう。
研究を始めていくと実際にはサンジェルマンデプレのカフェ文化は
想像されているほどのものではなくて、花開いた文化の根っこの多くは
モンパルナスにあることがわかり、そちらに対象が移っていった。
でも今になってよく考えたら もっと興味がある人たちは
エコールドパリの人たちよりも 印象派付近の人たちなのかもしれない。


 昨日偶然電車の中で「北斎展」の広告をみつけ、開催期間が
1週間にも満たないというのでこれは行かねば!と言っていたら
一緒に居た父が「じゃあ今日帰りに寄ったら?」と提案してくれ
大恐竜展を息子と観た後、3世代で北斎展にも行って来た。
デパートの展覧会だというのに相当なボリュームがあり、
それだけでもよかったのだけど、なんと最後にアンリ・リヴィエールの
版画があった。「エッフェル塔36景」というその版画は、
フランス人のアンリ・リヴィエールが北斎の富嶽三十六景に触発されて
建設中のころからのエッフェル塔のある風景を 木版画で刷ったもの。
私はこの版画を観るためだけに展覧会に行ったことがある程だけど
日本橋三越の北斎展ではアンリ・リヴィエールのことはほとんど
宣伝してもいないのに、展覧会にしっかりと含まれていた。


 大好きなパリの風景と木版画の美しさ でも絵の雰囲気は
オルセーで観た印象派を思わせる・・・この絵に出会えてよかったなあと
思っていたらなんと「アンリ・リヴィエールはシャノワールという
週間新聞の編集者でもあった」と書いてある。これ、モンマルトルの
カフェのシャノワールが出してた新聞のこと!?


 家に帰って北斎展の復習をしようと思って、以前もらって読んでいなかった
フランス語の「HOKUSAI」という本をめくると、そこにもアンリ・リヴィエール。
彼は富嶽三十六景だけでなく、およそ800点もの浮世絵を収集していたそうだ。
もうちょっとこの人のことを調べようと思い、印象派、モンマルトル、
ジャポニスムの周辺の本を読み始めるとやっぱりとても面白い。
印象派とカフェはしっかりと関係しているらしいけど、ジャポニスムと
カフェはどうだろう?いわゆるモンマルトルのカフェ文化が花開く
ちょっと前の時代に 印象派達はモンマルトルの麓のカフェ・ゲルボワや
ヌーベル・アテネに集ってた。そこはまさに、私が「パリで逢いましょう」
で一番始めに担当させてもらったパリ9区周辺で、映像を観てすぐに
「絶対ここに住みたい!」と強く思った地区なのだった。
なんだか縁があるような・・・


 大好きだけど 雲の上 で 遠かった人たちがいた。
モネ、マネ、ドガにピッサロ、セザンヌたち。
絵の前から動くことができないような、
そんな素晴らしい作品を残した人たちもカフェに来て、お互いに議論していた。
のちに印象派展と言われることになる、第1回目のグループ展の発想も
まさにカフェから生まれたらしい。


 以前の研究対象には 19世紀もモンマルトルも入ってなかった。
でももしかすると やっと私は そこに至れるようになってきたのかもしれない。
私の家には翻訳で真っ赤になった本もあるけど まだ真っ白で、でも
ものすごく面白い本もある。やっとフランス語がわかるようになってきた今
もっと彼らの世界に近づきたい。

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