KONA WIND-南の風- iBS学院長・南 徹ブログ

アメリカ人に英語を教えていた日本人が外語学院を作った。その学院長が、日本を、世界を斬るブログ!!

間違った信頼

2008-03-26 16:40:13 | インポート

日本の国権の中心にいるはずの
福田総裁や町村官房長官が
国会の崩壊だと報道していた。
自分で自分が崩壊だといっているような国が今の日本だ。
政治に限らず、経済、教育と至る所で、信頼が崩壊している。

春は、新卒就職の季節だ。
優れた人材であっても、特に公務員の場合、
新規採用の職員は、大学を卒業していなければ、
給与や身分を冷遇される。
職場に貢献するか否かの判断は、
いまだに、大卒という肩書きの信頼で成り立っている。
愚かなことだ。
大学というのは、自己研鑽のため、自分の能力を磨くため、
哲学構築のための学府であり、
職場の就業能力に正比例するわけではない。
下手な大学の専門よりもコンピュータが教える知識の方が、
実践に携わるプロの世界に、早い時期に入るほうが、
遥かに優れている場合がほとんどだ。
公が、こんな処遇をするために、
どんな大学でもいいから、何をしてもいいから、
とにかく大学には入学し、
卒業しなさいということになる。
無意味だ。

熊本県知事に選任された蒲島郁夫氏は、
高校でも成績は振るわず、日本の大学には合格できなかった。
アメリカに留学を試み、
アメリカで大学を卒業した。
そして、帰国して、東京大学の教授となった。
もし、留学しないで、職に就けば、
高卒の安月給取りとなる。
東京大学の教授はもとより、
熊本県知事に選ばれることもなかったと思う。
彼の能力を評価するのではなく、
学歴で評価するからだ。
間違った評価だ。

医者、弁護士、会計士など、特殊な技術を要する職業の場合は、
職に携わる前にそれ相当の技術を
学ばなければいけないのはよくわかる。
いずれにせよ、公や私に関係なく、学歴に関係なく、
能力のある人材、一生懸命頑張る人材は、
給与や身分が優遇されるのは当たり前だ。
そうすることで、新しい時代の日本が豊かになる。
能力の是非は、実践の舞台で証明、評価するしかない。
間違った評価がまかり通ってはいけない。
発展途上の時代に考えられてきた学歴の在り方は、もう通用しない。
旧態依然だ。間違った信頼だ。

豊かな自分、豊かな故郷を思うなら、
真剣に考えていただきたい。
若者が、本当に学ばなければいけない学問とは何かを。

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2 コメント

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院長! (Susan***)
2008-03-26 21:58:22
院長!
Susanです~(^^)
明日から東京に行ってきます☆
やる気十分!元気十分!!今からワクワク・ドキドキです。
東京に来るときはぜひ御一報くださいm(_ _)m
マリ子先生にもよろしくお伝えください~(^v^)
( shiori1109hej@hotmail.com )
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春ですねえ~別れと出会いの季節がめぐってきました。 (Connie)
2008-03-30 08:57:32
春ですねえ~別れと出会いの季節がめぐってきました。
先日ある20代の娘さんを持つお母さんとお話していて 今「どこでどんな暮らしをしているのかわからない。。。」という残念な現実をうかがい、私も胸が痛みました。でもママのほうも明るく「時がくるのを待つしかないですよね」とその瞳の奥には、苦しい感情を日常的に押し込めた切ない輝きを感じました。
 この「待つ」という作業には忍耐力もさることながら、相手への深い愛情なしにはできません。先に転ぶであろうと知りながら、その子をしばらく「困った・・・」という状況に直面させる、そこにはある意味危険が伴うことさえあるものです。今の若者の起こした問題の数々も然り、親が放任であったのか、時代の落とし子として生まれるべくして生まれ私たちの今に警鐘をならす存在として現われているのかここにも切ない親子のすれ違いがあります。
 さて うちの場合はどうでしょう・・・私も時に厳しく「困らせる」ということを子供たちに試みることはあります。お陰さまでこの春次男慎太郎も晴れて南院長の後輩として甲南高校デビューさせていただきます。しかしこの子はまた「困った」という局面をものともしないヤツでございまして(笑)それでも最大のつっぱっていた中学二年のころ、ほとほと手を焼いていた私はもうここまでと10年前に離婚して離れて暮らす父親に彼を委ねようとまで気弱になっておりました。そのことを息子に伝えると「嫌だ!」と涙をこぼし私も長男も三人で泣いた日がありました。それからスイッチがはいったのか「結果をだせばいいんだろ」とがんばり始め、今ではあの日のこともいい思い出に変わりつつあります。この場をお借りして「子供たちよ、ごめんなさい。ああするしか他に方法がみつけられず、私も必死だったのです(笑)」
 10年前うちに元夫がゲーム機を持ち込んで 三歳の子をひざに抱きながら夜中まで彼が熱中し始めたころ、私のほうはなぜか仏教書をよみふけり 子供の教育に今なにが必要なんだろうと深く考えるようになりました。私が「ゲーム機なんてうちには要らない」と投げ出した日、お互い不干渉でママゴトのようであった暮らしは終わりましたが、今の若者を多くうみだしているのは、間違いなく私たち世代の親たちであるとあらためて肝に命じるところです。今となっては子供に「りょうま・しんたろう」と名前をつけてまで、いい時代を願ったのだろうと彼らの父親にも感謝し懐かしい思い出の日々mも振り返れるまでになりましたが・・・人が人となるには 時間がかかるものですねえ。このごろつくずくそう思います。
 桜満開、皆様も新しい門出の季節いい春をお過ごしくださいませ。
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