不幸せだと思ったら、 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
自分より不幸な人々のことを考えてみたらいい。
思っているほどに不幸ではない事が多い。
人間には欲望という細胞がある。
見境もなく
果てしなく増殖していく癌のようなものだ。
この細胞が豊かな世の中を創ったという人もいるが
この細胞に完成という言葉はない。
この細胞が目指すものは
自分より幸せな細胞を見つけては妬むことだ。
嫉妬することだ。
もっと豊かな社会を
もっと快適な生活をと
勝手気ままに美辞麗句を並べて
健全な肉体を破壊していく。
求める方向を間違えていく。
果てしなく幸せになれない人々になっていく。
もっと気楽にのんびりと
ススキの野原に寝転んで
天高い秋風に叫んでみたらいい。
こんなにたくさんの幸せをありがとうと・・・。
自分はこんなに幸せなんだから
自分より不幸せな人々に
何がしてあげられるんだろうと・・・
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感謝を忘れている時ほどイライラしたり、自分に嫌気がさすことはありません。
今までは、なんかいいことをしたとしても、そのどこかに自分の評価を上げたいという思いがあった気がします。
でも、それはそれでいいのかも知れませんが、そこに見返りを求める自分がいたのは事実です。
だから、いま僕は、ホントに分けたいと思った時にしか分けなくなりました。
そうしたなかで分けあったら、見返りを求める必要がないからです。すごく楽です。
自分をちょっと消して、他の人に幸せを分けてみようと思えるように、練習したいと思います。
燈台下暗し、幸せは足下にもコロコロ転がっているんですね、最近ほんの少しづつですが、見えてきた気がします。∵\(≧▽≦)/∵
不幸であると感じていることを自分よりも不幸である人をみつけて自分は、それよりも幸せなんだと思うようにしていたら、いつまでも自分が不幸であるという思いは消えない。不幸な思いのうえに幸せがあり、又その上に不幸がのり幸せがのっていくということだ。親亀こけたらみなこけた・・・。最初に感じていた不幸であるという思いがどこからきているものなのかを自分自身がみていかないと何も変わらない。
上を見ればきりがないし、下を見ても果てしない。
それでも私は今よりさらに上を目指して進んでいくのは素晴らしいことだと
思っているし、いつも目標や向上心を持つことで人は生きていけるのだと
思っています。
決して人を羨まず、見下さず。
上や下ばかりを見過ぎると自分のいる場所を見失う。
幸せも不幸せも、結局自分の中にある。