前々回のブログで「愛される資格」と題して文を演じた
反響がかなりあった
結局そこには
自分が見えない自分がいた
自分が思う自分と
周囲360度の鏡に映る自分とは別人だ
人は自分が見る自分以上に
他人が見る自分によって生かされている
人は、自分が傷つきたくないから
君に何等かの問題があっても
本心はなかなか教えてくれない
自分が見えない人は
他人の箴言を嫌うからだ
嫌うどころか
怒りの感情までも表に出す
逆切れだ
こんなに一生懸命頑張っているのに
なぜ理解してもらえないんだろう
なぜ認めてもらえないんだろう
自暴自棄と絶望の淵に立たされることが多い
自分がやりたいことをどんなに頑張っても
周囲の望むことと共鳴しない限り
認められることはない
頑張っているというのは
誰のためでもない
自分のためだからだ
そんな君を見抜かれたとき
人は君の周囲から去っていく
自己中心的である自分が見えないからだ
献身、犠牲、忍耐、そして惻隠の情がないからだ
自分が可愛いのは当然だ
でも、それ以上に相手のことを思える自分がいたら
君はもっと美しくなる
母親が無欲で子供を育てる時
自分を忘れて育てる時
母の姿は世界一美しい人となる
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