語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【原発】雨宮処凛の、デモのある生きづらくない街

2012年08月27日 | 震災・原発事故
 今までさんざん「生きづらい」とかそんなことばかり書いていたが、現在、ほとんどまったく生きづらくない。「人間」というものを初めてと言っていいくらいに信じることができているからだ
 生きづらさは、人間への不信感、己の無力感といったものに彩られていた。さまざまな矛盾や不条理に溢れた世界の中で、多くの人がそれに目を背け、見ないふりをし、時には「自己責任」と突き放し、そして時には「どうせ自分たちが何をしても変わらない」と諦めている。そんな人が多数派だと思うと、もう自分が何をどうしようとも1ミリも世界を変えられない気がしてくる。そして変えたいと願う自分が「おかしいのではないか」なんて疑問さえ湧いてくる。
 3・11後の日本で、「お上に従順」「行動しない」と言われてきたこの国の人々が、続々と路上に繰り出している。この1年4ヵ月、人間の持つ根源的な「力」に圧倒されてきた。
 人が立ち上がっている社会は、なんと息がしやすいことだろう。

 今何が起きているか。
 <20年も経済が停滞し、不満や政治不信がたまっていたところに、原発事故と再稼働で政府への不信が臨界点まで上がった。それで何か起きなかったら、その方がおかしい。(中略)『再稼働反対』という声には『日本のあり方』全体への抗議が込められていると思います>【注】
 2008年、韓国では巨大デモが相次いでいた。きっかけは、イ・ミョンバク大統領が米国産牛肉の輸入を解禁したこと。BSE問題への不安を発端としたデモは、「キャンドルデモ」と呼ばれ、数ヶ月にわたって続いた。参加者の「デモに来る動機」に驚いた。
 多くの若者が、格差・労働問題について答えた。高校生に至っては、「教育のネオリベ化」を上げた。「建設政府」と言われるイ・ミョンバク政権による再開発への怒りを口にした人もいた。
 米国産牛肉の輸入解禁問題は、ひとつのきっかけ、起爆剤だったのだ。それ以前から人々の間には政治への不信・不満が渦巻き、BSE問題をきっかけに巨大デモになった。
 今、日本で起きていることもこれに近い。原発は、日本の矛盾をすべてを孕んでいる。戦後の自民党政治的なもののすべてが凝縮されている。そんな大矛盾をあからさまに突きつけられ、多くの人が立ち上がったのだ。

 3・11以前から、主に格差や不安定さ、新自由主義といったものに疑問を持つ人が「新しいデモ」を広めていった。2000年代なかばに登場したサウンドデモのように。そして、そんなノウハウが、3・11以降、これ以上ないほど役立つことになった。

 昨年4月10日、高円寺の「原発やめろデモ!!!!」に15,000人が集まった。レベルの高いコスプレの人たちもたくさんいた。「福島第一原発コスプレ」の人も複数。「デモを楽しむ気持ち」やコスプレを忘れないド根性の一方、深刻なプラカードもたくさんあった。「私は福島から来た“原発難民"です」「俺の双葉町を返せ!」
 「悲しみをシェアし、率直な言葉え原発について語り合う場」としてのデモ。
 震災後、初の巨大デモを主催したのが「素人の乱」だったのが、またよかった。デモへのハードルを限りなく下げた彼らの功績は大きい。
 そして、各地でデモが頻発していった。4月末には、ツイッター発のデモが開催された。呟きは拡散され、当日には1,000人が集結。 
 名古屋の女子高やおばちゃんグループが、9月には在日イタリア人による「東京に原発を!」デモが、新手の「怒りのドラムデモ」が、とにかく全国にありとあらゆるデモが開催されていった。
 今年2月の地域住民による「脱原発杉並」デモには、カラオケカーが世界で初めて登場した。6月24日には、「そうだ、船橋に行こう。電車でGO! 野田退治デモ! 再稼働はダメなノダー」デモ。
 現在までに「原発やめろデモ!!!!」は6回開催され、延べ8万人近くを集めている。
 ちなみに、デモの警備にあたる警察も若干変化している。「俺は福島出身なんだ! デモしてくれてありがとう」と主催者に握手を求めた公安とか。

 この動きがどこに着地するか、もはや誰にも予測不可能だ。
 私たちは今、人類の誰もが経験したことのない原発事故の渦中にいて、その中で壮大な直接民主主義を実践している。
 官邸前には多くの民主党議員も訪れる。野田首相が再稼働を明言した6月から、どっと人が増えただけでなく、プラカードの言葉も変わってきた。「政権打倒」を掲げるものが如実に増えた。この1ヵ月で、「行動する人々」は確実にパワーアップしている。
 あの事故で、私たちはこれまでにないくらい後悔した。原発が何となく怖いと思っていても、黙っていたら自動的に「容認」「賛成」の方にカウントされてしまうのだ。そして、そのことが確実に原発の安全神話を補完していた。
 おかしいと思ったら、声をあげること、黙っていないこと。この1年4ヵ月で、「声をあげること」が当たり前の作法になった人たちはたくさんいるのだ。これが希望でなくて、何なのだろう。
 だから、私は今、これまでにないくらいに、生きやすいのだ。

 【注】インタビュー記事「金曜の夜、官邸前で 小熊英二さんと歩く」【朝日新聞デジタル記事2012年7月19日03時00分】

 以上、雨宮処凛「デモのある生きづらくない街 ~壮大な直接民主主義の実践に寄せて~」(「世界」2012年9月号)に拠る。

 【参考】
「【原発】「【原発】「さようなら原発」17万人集会の記録
【原発】情報は「拡大」から「拡散」の時代に ~金曜日の人々~
【原発】遅れてやってきたマスメディアの人々 ~NHKとテレビ朝日~
【原発】10万人集会とウォール街占拠 ~メディアのあり方~
【原発】紫陽花革命が大手メディアを揺さぶる ~正しい報道ヘリの会~
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