『古今』にせよ『新古今』にせよ、代々の勅撰和歌集と恋とは切ってもきれない関係だった。和歌の根本は恋である。
これが変質したのは、明治時代にはいってからだ。
明治天皇は、なにかにつけて歌を詠んだ。毎月歌会があって、その季節ごとの題がでて、くりかえしでもなんでも年中行事的に歌を詠んだ。
ところが、明治10年、明治維新の元勲たちは天皇に恋歌を禁じた。ヨーロッパから帰ったのちの岩倉具視は、宮廷での百人一首も禁じた。
かくて、明治の宮廷の歌は、第一、恋歌を省いている(軍国主義的恋愛排斥)。第二、雑の歌の散文性が極端に拡大している(西洋文明的リアリズムの詩の影響)。第三、物事をすべて道学的に把握するという態度がある。
宮中は、いまでもこうした態度によって歌を詠む。あれはダメ、これもダメ、で題材が限定されているから、詠むのはモラルか、四季である。それ以外は詠めない。
ちなみに、落としどころを俗流の倫理にもっていくと歌が成立しやすい。日本の文芸評論と同じである。日本の文芸評論には、妻子をなげうっても文芸に尽くすべしという、市民道徳を裏返した、やはり俗流倫理もある。
【参考】大岡信・岡野弘彦・丸谷才一「新聞短歌に恋歌がないのはなぜ?」(丸谷才一ほか『丸谷才一と22人の千年紀ジャーナリズム大合評』、都市出版、2001、所収)
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これが変質したのは、明治時代にはいってからだ。
明治天皇は、なにかにつけて歌を詠んだ。毎月歌会があって、その季節ごとの題がでて、くりかえしでもなんでも年中行事的に歌を詠んだ。
ところが、明治10年、明治維新の元勲たちは天皇に恋歌を禁じた。ヨーロッパから帰ったのちの岩倉具視は、宮廷での百人一首も禁じた。
かくて、明治の宮廷の歌は、第一、恋歌を省いている(軍国主義的恋愛排斥)。第二、雑の歌の散文性が極端に拡大している(西洋文明的リアリズムの詩の影響)。第三、物事をすべて道学的に把握するという態度がある。
宮中は、いまでもこうした態度によって歌を詠む。あれはダメ、これもダメ、で題材が限定されているから、詠むのはモラルか、四季である。それ以外は詠めない。
ちなみに、落としどころを俗流の倫理にもっていくと歌が成立しやすい。日本の文芸評論と同じである。日本の文芸評論には、妻子をなげうっても文芸に尽くすべしという、市民道徳を裏返した、やはり俗流倫理もある。
【参考】大岡信・岡野弘彦・丸谷才一「新聞短歌に恋歌がないのはなぜ?」(丸谷才一ほか『丸谷才一と22人の千年紀ジャーナリズム大合評』、都市出版、2001、所収)
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