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語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『スローカーブを、もう一球』

2010年03月26日 | ノンフィクション
 1979年の日本シリーズ第7戦、広島が1点リードの9回裏、地元の近鉄はリリーフ・エース江夏豊を攻めて無死満塁とした。
 『江夏の21球』は、この緊迫した場面を緻密に描く。21球の計算された球種とコース。その計算を実行できるだけのコントロールと速球をもつ球界屈指の投手の動作、その微妙な心理の襞。

 たとえば、救援の切り札の江夏がマウンドに立っているのに、ダッグアウトの古葉監督は次の救援投手を手配する。
 それは万一同点となった場合、つまり延長戦にはいる場合を想定した指揮官の、当然といえば当然の措置なのだが、マウンドに立つ江夏としては見限られた、との思いに駆られる。
 その反撥を読みとって近寄る衣笠一塁手。衣笠は戦友として、守備する者同士として一言ささやく。
 こうした力学が鮮やかに一筆書きされる。

 その場で思いつくままを記録したかのようにさりげない文章だが、背後に綿密な取材があったはずだ。
 じじつ、両チームの選手たち、最終打者となった石渡選手やほぼ手中にしていた日本シリーズ優勝を逃した西本監督の証言さえ盛り込まれている。
 直線的に時間が流れる映像ではとらえきれない多角的、多層的なアプローチと構成が言葉で築かれている。

 かくて、固唾をのんで見つめるファンたちの姿さえ見えてくるような散文の傑作が生まれた。感嘆するしかない。
 たかが野球、されど野球・・・・いや、第8回日本ノンフィクション賞を受賞した短編集『スローカーブを、もう一球』は、分野を野球(『江夏の21球』)に限定しない。
 シングル・スカル(『たった一人のオリンピック』)から、ボクシング(『ザ・シティ・ボクサー』)、スカッシュ(『ジムナジウムのスーパーマン』)に棒高跳び(『ポール・ヴォルター』)まで。
 いずれもスポーツする人たちの、ひとたび去ってもはや帰ることのない煌めく一瞬を簡潔かつしなやかな文章で見事に定着する。

 山際淳司は1948年生。1980年に発表の『江夏の21球』で一躍ひろく知られるようになり、以後スポーツ分野で優れたノンフィクションを次々に発表した。
 小説にも手を染めたが、惜しくも1995年病没。胃癌であった。享年46。長寿社会の今日、夭折といってよい。

□山際淳司『江夏の21球』(『スローカーブを、もう一球』所収、角川文庫、1985)
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【言葉】高校野球と精神主義

2010年03月26日 | 社会
 日本の社会では、すでに指摘されてきたとおり権力と道徳とがつねに結びついてきたので、勝敗が善悪を意味する傾向があった。「勝てば官軍」である。世俗的成功者が精神的優越者とみなされた。だから、野球においても勝たなければならないのである。そのうえ、日本の社会では、個人は集団を、集団はもっと大きい集団を代表する仕組みになっている。大はオリンピックから小は高校野球にいたるまで、人は国家のために、母校や郷土の栄誉のために、どうしても勝たなければならない。私たちはいつも、家族や職場や組合の代表者としての責任を重く背負ってよろめいている。

【出典】作田啓一『高校野球と精神主義』(『恥の文化再考』、筑摩書房、1967、所収)
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