(1)内閣官房副長官補をやっている兼原信克【注】という人がいる。1959(昭和34)年1月22日生まれだから、高校までの学年は佐藤優より1年先輩だ。外務省の超出世頭だ。
で、問題は兼原の書いた『戦略外交原論』という本だ。この中にこういう記述がある。
<宗教改革は、イタリアから始まった。15世紀には、スフやサヴォナローラという改革者が火炙りにされた。しかし、一度燃え上がった宗教的覚醒の火は消えない。やがて16世紀になると、ドイツにルターが出て、フランスにカルヴァンが出る。この2人が当時の欧州に与えた衝撃は大きい>
これはおかしい。宗教改革はドイツから始まっている。これは多分ルネサンスと宗教改革を混同している。それから「15世紀には、スフやサヴォナローラ」とあるが、「スフ」はおそらくフスの誤植か誤記だ。
ヤン・フスはチェコ、ボヘミアの人。イタリアとは関係ない。
サヴォナローラはルネサンスを弾圧して、その反動で火炙りにされたドミニコ会の修道士だ。火炙りにされたところは合っている。さらに次のところ。
<ロックの活躍した17世紀の英国では、清教徒革命以降に政治が混乱していた。日本では、徳川幕府が立ち上がる頃である。当時英国では、宗教改革のうねりの中で、ヘンリー8世の国教会創設があり、清教徒革命があり、それに対する反革命が生じ、ついに名誉革命によって頑迷なジェームズ2世を追放して大陸からオランダのオレニエ公を迎えるという事態に発展した>
名誉革命は1688年から89年だ。続ける。
<英国貴族議会は、王位に就けたとはいえかつての宿敵であるオランダ領主を兼ねた新英国王の権限に厳しい制約を課し、マグナ・カルタを作成した>
<今日から見れば、民主主義の奔りであるが、当時の常識からすれば下克上もいいところである>
マグナ・カルタは1215年だ。すると、1688年から89年の名誉革命の結果、1215年のマグナ・カルタができたと書いてあることになる。日本の感覚で言うと、明治維新1868年のあと、御成敗式目1232年ができたっていうような記述。
この本の信用性はゼロだ。
しかし、この人は現実に、今の日本の外交戦略を立てている人だ。内閣官房副長官補で、安倍総理の一番のブレーンだ。
(2)この状況を国際的にどう考えたらよいだろうか。宗教改革がイタリアから始まり、名誉革命のあとにマグナ・カルタができたと考えている人が、日本の外交戦略を立てている。しかも、彼はこの本を教科書にして早稲田大学で講義をしている。早稲田の学生は、こういう講義を聴いて国際政治について勉強した。この本は日本経済新聞社から出ているから出版社の校閲を通っているはず。なのに、どういうことか。
東京大学を卒業して優秀な成績で外務省に入ったような、日本でもトップクラスのエリートが間違えた記述をするはずがないと考えて、出版社はチェックしていないのだ。権威に惑わされているのだ。
実はこれ、外国人が指摘した。「大丈夫か?」と言っていた。
これは歴史認識が異なるとか、解釈が違うとか、そんな問題じゃない。事実関係の間違いだ。400年も時代を間違えるっていうのは、相当難しいことだ。でも、この本は現実世界では権威あるものとして通用してしまっている。
(3)以上は、なぜこんなことがまかり通るのかという一例として挙げた。高校や大学で勉強したことが、何の意味も持たない。でも、これが今の日本の一つの側面なのだ。こんなふうに知識をいい加減にとらえ、軽く見ることが、今の日本の外交や知性の弱さに繋がっているんじゃないか。
そういう人が「地政学的に沖縄に米軍は絶対に必要だ。海兵隊の辺野古新基地も必要なんだ」と言ったって説得力がない。官僚はまず結論を決めておいて、それに合うように都合のいいデータをパッチワークしていく。あとは、自分の優秀なキャリアを見せつければ説得できると、そうタカをくくっているわけだ。
(4)どうしてこういうことが起きるのか? 人はなぜ権威を信用してしまうのだろうか?
(a)ニクラス・ルーマンは『信頼-社会的な複雑性の縮減メカニズム』という本の中でこのメカニズムを説明している。複雑なシステム、つまり複雑系の中でわれわれは生きている。この自分を取り巻く複雑な事柄を一つ一つ解明するために割く時間やエネルギーはない。でも、複雑性には縮減するメカニズムがある。法律を作る、あるいはマニュアルを作るなんていうのもその一つ。そして人間が持つ、一番重要かつ効果的に複雑性を縮減するメカニズムは「信頼」だというのがルーマンの仮説だ。信頼によって、相当程度、判断する時間と過程を省略できる。ワイドショーのコメンテーターがなんであんなに力を持っているのか。それは視聴者から信頼されているからだ。
(b)ユルゲン・ハーバーマスも『晩期資本主義における正当化の諸問題』の中で「順応のメカニズム」ということを言っている。世の中の複雑さを構成する一つ一つの要素を一から自分で集め、理屈を調べ、解明していくと時間が足りなくなってしまう。もちろん、面倒くさくもある。だから、自分に納得できないことがあるとしても、「誰か」が発した「これはいいですね」「これは悪いですね」という意見をとりあえず信頼しておく。それが続くと「順応の気構え」が出てきて何事にも順応してしまう。
順応と信頼はコインの裏表だ。一度信頼してしまうと「これ、おかしいんじゃないの?」と思っても、なかなかそこを突き詰めることができなくなってしまう。なぜかというと、信頼した人に裏切られたという意識を持つことによって、なんてつまらない人を信頼してしまったのかと自分で自分が情けなくなるからだ。
【注】2012(平成24)年から内閣官房副長官補。2014(平成26)年から国家安全保障局次長兼務。
□佐藤優『君たちが知っておくべきこと 未来のエリートとの対話』(新潮社、2016)の「真のエリートになるために 2013年4月1日」
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【参考】
「【佐藤優】ギリシャ的伝統を引き継いだドイツ ~ライプニッツと帝国主義~」
「【佐藤優】民主制の起源 ~中学や高校の教科書が教えないこと~」
で、問題は兼原の書いた『戦略外交原論』という本だ。この中にこういう記述がある。
<宗教改革は、イタリアから始まった。15世紀には、スフやサヴォナローラという改革者が火炙りにされた。しかし、一度燃え上がった宗教的覚醒の火は消えない。やがて16世紀になると、ドイツにルターが出て、フランスにカルヴァンが出る。この2人が当時の欧州に与えた衝撃は大きい>
これはおかしい。宗教改革はドイツから始まっている。これは多分ルネサンスと宗教改革を混同している。それから「15世紀には、スフやサヴォナローラ」とあるが、「スフ」はおそらくフスの誤植か誤記だ。
ヤン・フスはチェコ、ボヘミアの人。イタリアとは関係ない。
サヴォナローラはルネサンスを弾圧して、その反動で火炙りにされたドミニコ会の修道士だ。火炙りにされたところは合っている。さらに次のところ。
<ロックの活躍した17世紀の英国では、清教徒革命以降に政治が混乱していた。日本では、徳川幕府が立ち上がる頃である。当時英国では、宗教改革のうねりの中で、ヘンリー8世の国教会創設があり、清教徒革命があり、それに対する反革命が生じ、ついに名誉革命によって頑迷なジェームズ2世を追放して大陸からオランダのオレニエ公を迎えるという事態に発展した>
名誉革命は1688年から89年だ。続ける。
<英国貴族議会は、王位に就けたとはいえかつての宿敵であるオランダ領主を兼ねた新英国王の権限に厳しい制約を課し、マグナ・カルタを作成した>
<今日から見れば、民主主義の奔りであるが、当時の常識からすれば下克上もいいところである>
マグナ・カルタは1215年だ。すると、1688年から89年の名誉革命の結果、1215年のマグナ・カルタができたと書いてあることになる。日本の感覚で言うと、明治維新1868年のあと、御成敗式目1232年ができたっていうような記述。
この本の信用性はゼロだ。
しかし、この人は現実に、今の日本の外交戦略を立てている人だ。内閣官房副長官補で、安倍総理の一番のブレーンだ。
(2)この状況を国際的にどう考えたらよいだろうか。宗教改革がイタリアから始まり、名誉革命のあとにマグナ・カルタができたと考えている人が、日本の外交戦略を立てている。しかも、彼はこの本を教科書にして早稲田大学で講義をしている。早稲田の学生は、こういう講義を聴いて国際政治について勉強した。この本は日本経済新聞社から出ているから出版社の校閲を通っているはず。なのに、どういうことか。
東京大学を卒業して優秀な成績で外務省に入ったような、日本でもトップクラスのエリートが間違えた記述をするはずがないと考えて、出版社はチェックしていないのだ。権威に惑わされているのだ。
実はこれ、外国人が指摘した。「大丈夫か?」と言っていた。
これは歴史認識が異なるとか、解釈が違うとか、そんな問題じゃない。事実関係の間違いだ。400年も時代を間違えるっていうのは、相当難しいことだ。でも、この本は現実世界では権威あるものとして通用してしまっている。
(3)以上は、なぜこんなことがまかり通るのかという一例として挙げた。高校や大学で勉強したことが、何の意味も持たない。でも、これが今の日本の一つの側面なのだ。こんなふうに知識をいい加減にとらえ、軽く見ることが、今の日本の外交や知性の弱さに繋がっているんじゃないか。
そういう人が「地政学的に沖縄に米軍は絶対に必要だ。海兵隊の辺野古新基地も必要なんだ」と言ったって説得力がない。官僚はまず結論を決めておいて、それに合うように都合のいいデータをパッチワークしていく。あとは、自分の優秀なキャリアを見せつければ説得できると、そうタカをくくっているわけだ。
(4)どうしてこういうことが起きるのか? 人はなぜ権威を信用してしまうのだろうか?
(a)ニクラス・ルーマンは『信頼-社会的な複雑性の縮減メカニズム』という本の中でこのメカニズムを説明している。複雑なシステム、つまり複雑系の中でわれわれは生きている。この自分を取り巻く複雑な事柄を一つ一つ解明するために割く時間やエネルギーはない。でも、複雑性には縮減するメカニズムがある。法律を作る、あるいはマニュアルを作るなんていうのもその一つ。そして人間が持つ、一番重要かつ効果的に複雑性を縮減するメカニズムは「信頼」だというのがルーマンの仮説だ。信頼によって、相当程度、判断する時間と過程を省略できる。ワイドショーのコメンテーターがなんであんなに力を持っているのか。それは視聴者から信頼されているからだ。
(b)ユルゲン・ハーバーマスも『晩期資本主義における正当化の諸問題』の中で「順応のメカニズム」ということを言っている。世の中の複雑さを構成する一つ一つの要素を一から自分で集め、理屈を調べ、解明していくと時間が足りなくなってしまう。もちろん、面倒くさくもある。だから、自分に納得できないことがあるとしても、「誰か」が発した「これはいいですね」「これは悪いですね」という意見をとりあえず信頼しておく。それが続くと「順応の気構え」が出てきて何事にも順応してしまう。
順応と信頼はコインの裏表だ。一度信頼してしまうと「これ、おかしいんじゃないの?」と思っても、なかなかそこを突き詰めることができなくなってしまう。なぜかというと、信頼した人に裏切られたという意識を持つことによって、なんてつまらない人を信頼してしまったのかと自分で自分が情けなくなるからだ。
【注】2012(平成24)年から内閣官房副長官補。2014(平成26)年から国家安全保障局次長兼務。
□佐藤優『君たちが知っておくべきこと 未来のエリートとの対話』(新潮社、2016)の「真のエリートになるために 2013年4月1日」
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【参考】
「【佐藤優】ギリシャ的伝統を引き継いだドイツ ~ライプニッツと帝国主義~」
「【佐藤優】民主制の起源 ~中学や高校の教科書が教えないこと~」