『シベリア物語』を持ち出したからには、本書を取り上げないわけにはいかない。スターリニズム下のソ連の、極寒のシベリアのラーゲリにおける囚人の一日が語られる。
日本へ最も早く紹介した小笠原豊樹・訳でまず読んだ。小笠原はマヤコフスキーの紹介者であり、岩田宏の筆名で知られる詩人である。
<朝の五時、いつものように起床の合図が鳴った。本部バラックの脇のレールをハンマーで叩く音。とぎれとぎれの響きが、指二本の厚さに凍りついた窓ガラスを通して、かすかに伝わり、まもなく静まった。この寒さでは、看守も永いこと鳴らすのが億劫とみえる。
音は消えたが、窓の外は、シューホフが用便に立った真夜中とすこしも変わりない、闇また闇だ。黄色いあかりが三つ、窓に映って見える。二つは立入り禁止区域〔有刺鉄線の両側二メートル幅の地帯〕の、一つは収容所《ラーゲリ》構内のあかりである。
なぜかバラックの扉をあけに来る様子がない。当番の者が用便桶に棒をさしこんで、かつぎ出す音もきこえない。
シューホフは、起床合図を聞きもらしたことは一度もなかった。いつも合図と同時に起きる。点呼までの一時間半は、公《おおや》けのものではない、自分の時間だった。収容所《ラーゲリ》の生活を知る者は、つねに内職のチャンスを逃すまいとする。だれかに、古服の裏地で、指なし手袋のカバーを縫ってやってもいい。金まわりのいい班員の寝床まで、乾いたフェルト靴〔膝までの防寒用長靴〕を運んでやってもいい。山と積まれた靴のまわりで、はだしで足踏みしながら、えらび出す手間がはぶけるわけだ。あるいは、衣料配給所をひとまわりして、掃除をしたり、何かを運んだり、相手構わずサービスする。あるいは、食堂へ行って、テーブルの上の食器を集め、見あげるばかりに積みかさねたのを食器洗い場まで持って行く。これをやると、たべものにありつけるが、それだけに志願者が多くて、どうにもならない。しかも、食器に何か残っていたら、つい我慢しきれなくなって、食器をなめてしまうのが問題である。シューホフは、最初の班長だったクジョーミンのことばを、はっきり記憶していた。一九四三年ですでに服役十二年目という、この収容所《ラーゲリ》の古狼は、いつか森の空地の焚火のかたわらで、戦線から引っ張られた新入りたちに、こう言ったのである。
「いいか、ここの掟は、すなわち密林だ。ただし、こんな所でも人間は生きられる。収容所《ラーゲリ》で身をほろぼすのは、食器をなめる奴、医療部に行きたがる奴、それから政治将校《クーム》に密告する奴」
政治将校《クーム》に密告というのは、もちろんクジョーミンの義憤だった。密告する連中は、わが身を守ることが上手なのだ。ただし、他人を犠牲にして身を守る。
いつも合図と同時に起きるシューホフだが、今日は起きなかった。ゆうべから、どうも具合がよくなかったのである。寒気がするかと思えば、体のふしぶしが痛んだ。おまけに一晩じゅう体があたたまらなかった。夢うつつで、ひどい病気になったと思い、またいくらかよくなったかとも思った。朝が来るのがいやだった。
けれども朝はとどこおりなくやって来た。
だいたい、ここで体があたたまろうはずはない。窓には氷がこびりついているし、壁と天井が接するあたりには、バラック中(なんというバラックだろう!)白い蜘蛛の巣が張っている。霜だ。>
最後は次の一行で終わる。
<一日が過ぎ去った。どこといって陰気なところのない、ほとんど幸せな一日が>
□アレクサンドル・ソルジェニーツィン(木村浩・訳)『イワン・デニーソヴィチの一日』(新潮文庫、1963)/(染谷茂・訳)『イワン・デニーソヴィチの一日』(岩波文庫、1971)
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【参考】
「【本】ラーゲリ ~シベリア物語~」
「書評:『鶴』」
「【医療】患者の自己決定権 ~『ガン病棟』~」
「【心理】アニマル・セラピー ~セント・バーナード~」
日本へ最も早く紹介した小笠原豊樹・訳でまず読んだ。小笠原はマヤコフスキーの紹介者であり、岩田宏の筆名で知られる詩人である。
<朝の五時、いつものように起床の合図が鳴った。本部バラックの脇のレールをハンマーで叩く音。とぎれとぎれの響きが、指二本の厚さに凍りついた窓ガラスを通して、かすかに伝わり、まもなく静まった。この寒さでは、看守も永いこと鳴らすのが億劫とみえる。
音は消えたが、窓の外は、シューホフが用便に立った真夜中とすこしも変わりない、闇また闇だ。黄色いあかりが三つ、窓に映って見える。二つは立入り禁止区域〔有刺鉄線の両側二メートル幅の地帯〕の、一つは収容所《ラーゲリ》構内のあかりである。
なぜかバラックの扉をあけに来る様子がない。当番の者が用便桶に棒をさしこんで、かつぎ出す音もきこえない。
シューホフは、起床合図を聞きもらしたことは一度もなかった。いつも合図と同時に起きる。点呼までの一時間半は、公《おおや》けのものではない、自分の時間だった。収容所《ラーゲリ》の生活を知る者は、つねに内職のチャンスを逃すまいとする。だれかに、古服の裏地で、指なし手袋のカバーを縫ってやってもいい。金まわりのいい班員の寝床まで、乾いたフェルト靴〔膝までの防寒用長靴〕を運んでやってもいい。山と積まれた靴のまわりで、はだしで足踏みしながら、えらび出す手間がはぶけるわけだ。あるいは、衣料配給所をひとまわりして、掃除をしたり、何かを運んだり、相手構わずサービスする。あるいは、食堂へ行って、テーブルの上の食器を集め、見あげるばかりに積みかさねたのを食器洗い場まで持って行く。これをやると、たべものにありつけるが、それだけに志願者が多くて、どうにもならない。しかも、食器に何か残っていたら、つい我慢しきれなくなって、食器をなめてしまうのが問題である。シューホフは、最初の班長だったクジョーミンのことばを、はっきり記憶していた。一九四三年ですでに服役十二年目という、この収容所《ラーゲリ》の古狼は、いつか森の空地の焚火のかたわらで、戦線から引っ張られた新入りたちに、こう言ったのである。
「いいか、ここの掟は、すなわち密林だ。ただし、こんな所でも人間は生きられる。収容所《ラーゲリ》で身をほろぼすのは、食器をなめる奴、医療部に行きたがる奴、それから政治将校《クーム》に密告する奴」
政治将校《クーム》に密告というのは、もちろんクジョーミンの義憤だった。密告する連中は、わが身を守ることが上手なのだ。ただし、他人を犠牲にして身を守る。
いつも合図と同時に起きるシューホフだが、今日は起きなかった。ゆうべから、どうも具合がよくなかったのである。寒気がするかと思えば、体のふしぶしが痛んだ。おまけに一晩じゅう体があたたまらなかった。夢うつつで、ひどい病気になったと思い、またいくらかよくなったかとも思った。朝が来るのがいやだった。
けれども朝はとどこおりなくやって来た。
だいたい、ここで体があたたまろうはずはない。窓には氷がこびりついているし、壁と天井が接するあたりには、バラック中(なんというバラックだろう!)白い蜘蛛の巣が張っている。霜だ。>
最後は次の一行で終わる。
<一日が過ぎ去った。どこといって陰気なところのない、ほとんど幸せな一日が>
□アレクサンドル・ソルジェニーツィン(木村浩・訳)『イワン・デニーソヴィチの一日』(新潮文庫、1963)/(染谷茂・訳)『イワン・デニーソヴィチの一日』(岩波文庫、1971)
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【参考】
「【本】ラーゲリ ~シベリア物語~」
「書評:『鶴』」
「【医療】患者の自己決定権 ~『ガン病棟』~」
「【心理】アニマル・セラピー ~セント・バーナード~」