語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】貧乏とは何か、貧乏の原因は何か  ~『貧乏物語』解説(1)~

2016年09月21日 | ●佐藤優
(1)性悪説のピケティと性善説の河上肇
 ①河上肇『貧乏物語』も②トマ・ピケティ『21世紀の資本論』も、「絶対的貧困」を再分配(富裕層に集中する富を貧困層に移すこと)によって解決しようとしている点で共通している。
 違う点がある。①は性善説に立ち、自覚した富裕層が良心に従い再分配を行う主体となるとした。
 ②は性悪説に立つ。資本家が自発的な再分配を行うとは考えず、分配の主体を国家(官僚)とした。累進的な所得税、相続税に加え、資本税の導入も唱える。さらにグローバル化に対応するために、超国家的な徴税機関の創設も視野に入れる。
 ②の議論に従えば、強力な国家と多大な権限を持った官僚群が資本家を抑えるという、イタリアのファシズムに親和的なモデルになる。国家が加速度をつけて肥大していく可能性が高い。

(2)働いても貧乏から脱出できない--『貧乏物語』(上編)解説
 テーマは、どれほど貧乏があるか、貧乏はなぜよくないか、だ。「貧乏」には三つの意味がある。
  ①他の誰かよりも貧乏な人。
  ②生活保護などの公的扶助を受けている人。
  ③身体を自然に発達させ維持するのに必要なものすらも十分に得られない人。
 『貧乏物語』でいう貧乏は、基本的には③を指す(絶対評価の貧乏)。ただ、ほんとうは「身体」を維持できるだけの所得では足りないと考えている。現代の生存権の思想につながる。
 その上で「貧乏線」を定義する。一人の人間が生きていくのに必要な栄養を摂取できる最低限の食費に、被服費、住居費、燃料費、その他の雑費を計算して合計したものだ。貧乏人とは、次の二つを合わせたものだ。
  (a)貧乏線より下にある人
  (b)貧乏線の真上に乗っている人
 (b)は、ふだんはどうにか生活が回っているように見えても「溜め」がまったくないので、身体の健康を維持する以外の出費があったりすると、すぐさま真っ逆さまに(a)に落ちてしまう。<例>親の介護などをきっかけに離職してしまうと、貧乏の連鎖からなかなか抜け出せない。
 ちなみに、現在、相対的貧困率を出す指標として用いられる貧困線(Poverty Line)は、等価可分所得の中央値の半分の額とされる。2012年の貧困線は122万円、相対的貧困率は16.1%。これ以下の層は、婚姻、子育てが難しい。
 『貧乏物語』は、イギリスを例にとる。全人口の65%にあたる「最貧者」がイギリス全体のわずか1.7%の富しか有していないという統計を紹介する。ヨーク市のデータでは、全体の半数以上が毎日規則正しく働いているにもかかわらず、貧乏線以下、身体の健康を維持するだけの衣食すら得られない暮らしをしていることを示している。
 貧乏を精神論で何とかせよという議論は、現在に至るまでよく見かけるが、パンが先だと『貧乏物語』は論じる。
 そして、伝統的に自力救済をよしとするイギリスにおいてすら、学校給食法や養老年金がつくられている、と例を紹介している。日本においては、慈善事業でもいいから、早くこうした給食施設ができるのを切望しているという。
 ちなみに、現代ではフードバンクや「子ども食堂」の試みが広がっている。

(3)貧乏の原因は何か--『貧乏物語』(中編)解説
 テーマは、貧乏の根本的な原因だ。
 動物社会からジャワ原人を経て、人間が人間として生きられるようになったのは道具のおかげだ。近代になって道具がさらに発展して機械となった。産業革命を経て、便利な機械がたくさん発明され、生産性が何千倍にも高まった。
 マルサス『人口論』は生産の増加は人口の増加にかなわないと説いた。貧乏の原因は、生産可能な物量が足りないからだと。
 これは『貧乏物語』の立場ではない。ではなぜ、いまだに貧乏が存在するのか。それは機械などの生産力を十分に活用できていないからだ。つまり、貧乏の問題は、生産(物量)の問題としてはすでに解決の道筋が見えている。あとは、もっぱら分配の問題だ。マルサスの議論では、人間全体が貧乏しなければならないことの説明はできる。しかし、ある者はテーブルに山ほど料理をならべ、別のある者はひどく粗末な食べ物すら手にできない、ということの説明はできない。
 『貧乏物語』でいう分配は、マルクス『資本論』で展開する資本家と地主間、資本家間の利潤の分配とはまったく異なる概念だ。分配には
  ①どのような商品をどれくらい生産するかという分配
  ②生産された商品を人びとにどのように分配するかという分配
の二つがあり、『貧乏物語』でいう分配は(a)、つまり生産計画の問題だ。一部の富裕層が「贅沢品」を求めるあまり、多くの機械が「贅沢品」の生産に奪い去られているために、生活必需品が十分に生産されていないと。①にこだわったところが、『貧乏物語』の特徴なのだ。
 このように、『貧乏物語』には抜け落ちている議論がある。「労働力の商品化」だ。なぜ多数の人びとが貧乏しているか、という本質を掴むに至っていない。これはピケティ『21世紀の資本論』においても同じだ。

□河上肇/佐藤優・訳解説『貧乏物語 現代語訳』(講談社現代新書、2016)の「おわりに 貧困と資本主義」
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 【参考】
【佐藤優】河上肇の思考実験を引き継ぐ
【佐藤優】貧富の格差が拡大した100年前と現代
【佐藤優】いくら働いても貧乏から脱出できない
【佐藤優】教育の右肩下がりの時代
【佐藤優】トランプ、サンダース旋風の正体 ~米国における絶対貧困~
【佐藤優】「パナマ文書」は何を語るか ~資本主義は格差を生む~
【佐藤優】訳・解説『貧乏物語 現代語訳』の目次

 





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