語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『盲人の国』

2010年08月26日 | ミステリー・SF
 SF短編集である。
 たとえば、表題作の『盲人の国』では、主人公ヌネスはアンデス山脈の某所に迷いこむ。
 そこでは、代々すべての住民が盲人であり、壁の塗り方や衣類の繕い方にチグハグな一面があるものの、総じて安定した社会生活が営まれている。この国では、見える人とか盲人という言葉はない。ヌメスは、目で見えるものを住民に解説すると、正気ではない、劣っている者とみなされた。恋におちるが、視覚を取り除く手術を受けることが結婚の条件とされた。ヌメスは、「盲人の国」から脱出する・・・・。

 わが国に似た噺がある。落語『一眼国』は、『盲人の国』よりももっと辛辣である。
 ある香具師が一眼国のうわさを聞きつけ、教えられた方角へ道を辿った。数日歩くと、果てが知れない原っぱにさしかかった。大木が一本、どうやら例の場所がここらしい。木の下まで行くと「おじさん」と声がかかる。見ると、一眼の子どもだ。シメタ、と追いかけ、捕まえたと思ったら、真っ暗な穴に墜落してしまった。正気づいたところはお白州。「面をあげよ」の指図に顔をあげると、正面の奉行も一眼。いわく、「御同役、これは珍しい、こやつ二ツ目である。さっそく見せ物にいたそう」

 これら寓意性にみちた小説/噺にはいろいろな解釈をほどこすことができる。
 第一は、ストレートに解釈するなら、視覚が欠損してもそれなりに普通の生活を営むことができる、という思想である。事実そうなのだ。ただし、H.G.ウェルズ(1866年生、1946年没)の生きていたころにはノーマライゼーションという言葉はなかったし【注】、当然その思想は普及していなかった。ましてや、バリアフリーもユニバーサルデザインも登場していなかった。この意味で、『盲人の国』はSFであり、しかもH.G.ウェルズらしく当時としては先進的な思想を盛り込んだ、ともいえる。
 第二は、価値の相対化でもある。視覚的欠損のある集団の中では、視覚をもつ人はマイノリティになり、「劣っている者」となる。要するに、人数の多寡が正否を決める。視覚的欠損を別のものの寓意、例えばソクラテスを死刑にしたアテネの住民とするならば、「劣っている者」はソクラテスとなる。H.G.ウェルズの現実観察の眼のたしかさを示すが、これはこれで怖い思想である。

 【注】デンマークで、世界で初めてノーマライゼーションという用語をもちいた法律ができたのは1959年である。

□H.G.ウェルズ(阿部 知二訳)『盲人の国』(『ウェルズSF傑作集2 世界最終戦争の夢』所収、創元文庫、1970)
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