語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】玉村豊男の、東京の隠れ家 ~都市の中の自由とその代償~

2011年01月28日 | ●玉村豊男
 玉村豊男は、大学を卒業してしばらくの間ツアーコンダクターを勤めたことがある。この時の体験から、みんなの手伝いをして少しでも楽しい時間を過ごしてもらおうとするのがツアコンの精神だ、という。
 そして、ツアコン精神で文章を書いている、ともいう。「ゼロから物語を創造する小説家ではなく、原資料に当たって研究する学者でもなく、自分の体験したこと考えたことを土台にさまざまの情報をつけ加えて、読者にわかりやすく解説する雑文ライターがぼくの仕事だ。読んだ人はそれでいくらか知識が増えるか、新しいモノの見方を知るか、あるいはそのどちらの役に立たなくてもとにかく読んでいるうちは楽しい、エンターテインメント」
 そういう文章を目指している、と。

 玉村は、1945年生まれ。1983年に東京から軽井沢に引っ越した。
 しかし、物書きとして、しばしば東京に出かけねばならない。今なら新幹線で1時間余り、往復1万円ちょっと。一杯やって真夜中近くになっても十分日帰りできるのだが、玉村は1ヵ月に5、6泊、ホテルを利用した。
 ホテルの利点は、次の三点が重要だ、と玉村はいう。
 (1)調度が快適で、とくにバスルームが広く心地よい。自分で掃除する必要もない。
 (2)火の元だの戸締まりだのを気にする必要がない。管理責任がない。
 (3)フロントをはじめとするサービス機能を利用して、事務所と同じように使うことができる。
 ホテル内レストランがあるが、高価だ。ルームサービスもあるが、自分でコーヒーを入れる設備があると、そのほうが便利だ。
 かといって、街に出ていこうとすると、案外これがたいへんなのだ。大型のシティーホテルはどこでも周囲の都市機能から隔離されて存在するのがふつうだからだ(1986年の話である)。ホテルの玄関先からタクシーに乗り、あちこち出かけては、またホテルに戻る生活を続けているうちに、“ホテルという街”で暮らしている気分になった。東京という都市と物理的かつ心理的にもう少し密度の濃い接触をもちたい・・・・。
 ということで、玉村は自前の部屋をもつ決意をした。

 土地の選択、物件めぐりといった細かい話は本書に委ねる。
 保証人を要求されて奇怪な思いをするのだが、マンションの管理会社の担当者がかなりの老婆で不得要領、契約書の保証人の欄に管理人の名前を書いて捺印したから、結局保証人の手配はしなくてすんだ、といった奇妙な話も省く。
 とにかく、赤坂に7.5坪のワンルームを見つけ、電話の後に“三種の神器”をそろえた。浄水器、空気清浄機、太陽灯である。計6万数千円で、「限りなく自然に近い水と空気と光」を都会の狭いマンションの部屋に導入したわけだ。
 ところで玉村は、この「隠れ家」を出版社にも知友にも、細君を除いて誰にも知らせなかった。玉村は「人と実際に会って原稿を渡したり打ち合わせをしたりするのは非常に煩わしく、時間も無駄になるため大嫌い」な人なのであった。仕事も私用もすべて軽井沢の自宅に電話かファックスで伝えてもらい、その内容を玉村が細君に電話をして確認し、必要がある場合はその相手に玉村から連絡をとる。あまり連絡をとりたくない相手の場合には、うまく連絡がとれなかったことにして済ませる(繰り返しになるが、1986年の話である。今ならメールで似たような対応が可能だろう)。
 かくて、赤坂プリンスホテルで朝食(11時までブレック・ファースト・タイムなのだ)。喫茶店で原稿を書き、午後遅くサウナに入る。汗を流した後は寝椅子で本を読む。韓国料理屋で夕食をとり、帰途デザート用の水ようかんを和菓子屋で買って、部屋でお茶をいれて飲む。夜は遅くまで音楽を聴く。ボリュームを上げても、隣は事務所だから誰もいない。 

 こんな生活も悪くない、と玉村は感想をもらすのだ。「ホテルの部屋には泊まらないが、ホテルの施設とサービスは利用する。/それと同じように、都市に住む人々と深い契りは結ばないが、都市の機能だけは十二分に利用する。そんなことが許されるのだろうか。/もちろんだ。/そもそも、都市というものは、その機能を利用されるためにだけ存在するのではないのか?」
 グランドプリンスホテル赤坂が2011年3月31日に営業終了するのは、玉村のような客が多かったから・・・・か、どうかは、定かではない。
 参加せずに利用する、その代償は何か。
 考えてもよくわからないが、「ひとつだけわかることは、この音楽の音が外に聞こえないのと同じように、この部屋でいくら大声で叫ぼうとも誰も助けには来てくれない、ということだ。そのことだけはたしかだ。しかし、そのことも、誰ともかかわりがなくて孤独だとか淋しいというのではなく、たった一人で誰にも知られずに死んでいく自由があるのだ、と考えれば、代償というよりは特権と考えられないこともない」
 玉村、まだ40代に入ってまもない頃の生活と意見である。

 アルベール・カミュといえば一世を風靡し、ノーベル賞を受賞した小説家だが、その師ジャン・グルニエは哲学者にして作家だ。玉村は、Jean Grenierの“Les Iles”を学生時代から愛読してきたと、その一章を引く。
 「見知らぬ町における秘密の生活についての私の夢にもどろう。私は自分が何者であるかをありのままに語ることはないだろう。そればかりか、異邦の人に口をきかなくてはならないときは、むしろ実際よりももっとつまらない人間であるかのように自分を語るだろう。(中略)パリは、そういう見地からすれば、非常に大きな都市のすべてと同様に貴重な町であり、何かを隠す必要のある人は、そのためにこの町を好むのである。彼らはそこで二重の生活、三重の生活といったものを送ることができる。そればかりか、何ひとつ隠す必要がなくてもただ隠れて暮らすこともできる。アパルトマンの管理人かホテルのフロント係以外とはかかわりを持たずに、あなたがまったく知らないパリのある区域で1ヵ月暮らすことができる。ただし、そうした生活を守りぬくためには、デカルトのように一日に二度は管理人かホテルの使用人とやむなく話を交えることが絶対に必要である。彼らの軽率で危険なおしゃべりに先手を打つために、こちらから先に打ち明け話をしに行くことさえ必要なのである。そしてその打ち明け話は、こちらが秘密の生活をしたいと願えばこそそれだけ腹蔵のない、それだけ深い打ち明け話でなくてはならないだろう。もちろん、そんな打ち明け話の範囲は、隠すべき当の生活とはまったく無関係な領域に限られることはいうまでもないが」

【参考】玉村豊男『雑文王 玉村飯店』(文春文庫、1993)
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