「政治主導」は十分な成果を上げたとは言いがたい。他方従来の自民党政権の下では起こりえなかった政策転換や新規政策の形成も進んだ。この意味を過小評価すべきではない。
ここでは税制を取り上げる。このテーマは、環境、産業。社会保険など様々な政策が交錯する分野だ。一分野でありながら、民主党における政策形成の全体像を見ることができる。
(1)租税政策の形成システム
自民党政権時代には、(a)党税制調査会と(b)政府税制調査会の2つの機関が税制に関与していた。特に実権を持ったのは(a)で、各種業界からの陳情を受けて、税の減免を利益政治の道具としていた。
かかる仕組みは不透明で腐敗の温床になると批判してきた民主党は、政権交代後、(a)党税調を廃止し、財務大臣の下に(b)政府税調を置き、(b)に関係閣僚を入れて税制改正の原案を作ることになった。(b)の中に、①納税環境整備、②雇用即税制、③)租税特別措置、④市民公益税制の4つのテーマについて、与党議員からなるプロジェクトチームが置かれた。野党時代から民主党の税財政を専門とする議員は、議論を重ねてきたことが、税財政に係る政治主導を可能にした。
①納税者の権利擁護、課税紛争に係る公正な処理手続きの確立が現実の法改正の課題として提示された。
②企業が雇用を増やすことへのインセンティブを税制面から提供することを課題とした。
③特定業界の利権となった租税特別措置を洗い出し、公平、公正な税制作りは見種痘の租税政策の柱だった。
④NPOなどの一定基準を満たす市民活動に対する寄付金控除の創設を目的とした。
(2)成功事例
(a)NPO法人に対する寄付の優遇税制は、自民党政権下で制定され、2001年10月に施行された。しかし、優遇を受けるための認定条件が厳しく、実際に恩恵を受けられるNPO法人はごくわずかだった(制度創設から1年間に認定を得たのは全国約8,700のうち9件)。また、優遇の規模も、税額控除(納税額から寄付金額を差し引く)を求める声が高かったにも拘わらず、所得控除(課税対象所得から寄付金額を差し引く)にとどめられた。財務省が、歳入の確保を優先し、かつ、予算配分権限を一般国民に分与することに抵抗し、省益を守ろうとしたからだ。
(b)2011年末、税制改正で寄付金の5割を税額控除する新しい税制が決定された。
(c)この外にも、納税者権利憲章の策定、国税通則法の改正による更生や調査手続きの改善についても具体的な成果が上がっている。
(d)(b)の成功の理由
①首相が政権の看板政策と位置づけ、強い決意を持って推進した。施政方針演説での強調、首相直属諮問機関「新しい公共円卓会議」の設置など、政治的キャンペーンを重ね、世論の支持も引きつけた。
②野党時代からの議論の蓄積と、NPO法人との連携。寄付税制の場合、益者はNPO、抵抗勢力は財務省主税局とアクターが限定されている。この構図の中で、官邸は一般的な世論と具体的な運動体という両面のエネルギーを引き出しながら、政策形成の流れをコントロールすることができた。
③なお、(c)についても、利害関係者が納税者と財務省・国税当局という限定されたものであり、民主党が野党時代に培った議論や専門家からの支援が、財務省を動かす際の権力資源となった。
(3)失敗事例
(a)温暖化対策は政権交代のシンボルになった。しかし、具体的な温暖化対策を立案、決定することは困難だった。
(b)民主党は、野党時代から環境分野のNGOと密接な協力関係を持っていた。温暖化対策の目標設定は政治主導で進められた。
(c)他方、民主党はマニフェストで揮発油税暫定税率の廃止を目玉公約としていた。ガソリンを安くすれば当然消費が増え、二酸化炭素排出量が増加する。よって、化石燃料への課税をどうするかは、政治的な難問だった。
(d)加えて、環境関連税制については、産業界、輸送業界、エネルギー業界、およびそれらの分野の労働組合など、利害を異にする多様な利害関係者が存在した。自民党税調とは異なる仕組みの中で、多様な利害をどのように調整し、結論に達するか・・・・2010年度税制改正の作業に関して、すでに民主党流の調整システムの限界を指摘する報道もあった。
そもそも民主党は、温暖化対策として3つの柱を訴えていた。①国内排出量取引制、②地球温暖化対策税(環境税)、③固定価格買取制度。
③は、2011年8月、菅政権の下で成立した。
が、①は産業界から強い判定を受け、推進側の環境省と反対側の経産省の対立も深刻だった。年末まで調整はもつれたが、結局、政府は産業界に配慮して、制度導入を先送りを決定した。
また、②は、2009年11月には環境省が1兆円を超える規模の税創設を提言していたが、2010年秋から暮にかけての税制改正の中では、結局、石油石炭税の税率を5割引き上げ、4,800億円から7,200億円に増税することで落ち着いた。温暖化政策としての性格は希薄になり、民主党を支持していた市民団体から批判を招いた。他方、揮発油税暫定税率が維持されたまま、さらに石油石炭税の増税が決まったことで、燃料関係の税負担が一層増えることに関連業界は強く反発した。
(e)失敗の理由
①温暖化対策の形成過程において、民主党は社会における利害対立に直面し、翻弄された。自民党政権時代とうって変わって、各業界は労組と共同してロビイングを行うようになった。<例>鉄鋼、造船、機械など。また、トラック、タクシーなどの運輸。
②党・・・・支持団体のこうした動きに呼応して、自民党とは異なった意味での族議員が発生した。民主党の政策調査会(参加資格に制約がない)で、環境税など業界の利益に大きく影響する政策の調整作業において、しばしば産別組織の支持を受けている議員が参加し、各論反対を唱えた。小沢幹事長の時代には、自民党と同様に、業界ごとに陳情の受け皿となる議員連盟が整備されていた。各種の議員連盟も、組合出身議員とは別に、エネルギー関係の租税特別措置の維持など個別利益の擁護に向けて動いた。
③政府・・・・省庁横断的な課題の調整は、副大臣級の会議によって行われた。副大臣会議は、自民党政調会議とは異なって、政治家と業界の癒着という問題からは自由だったが、会議は非公開で不透明だった。また、副大臣は各省庁の利益を背負って議論に参加していた。環境対策をめぐる環境省と経産省の対立は、民主党政権でも乗り越えられなかった。
④要するに、民主党自体に業界ごとの縦割り体質が存在し、温暖化対策の強化という理念は浸透していなかった。社会レベルで利害対立をはらむ問題について、陳情や要望の圧力に曝され、それを乗り越えて決着する能力を民主党は発揮できなかった。また、与党内、政府内における政策調整の仕組み、手続きが不明確なことも、議論の混迷を大きくした。
以上、山口二郎『政権交代とは何だったか』(岩波新書、2012)の「第3章 政治主導による政策転換の成否--なぜ失敗し、どこで成功したか」に拠る。
↓クリック、プリーズ。↓
ここでは税制を取り上げる。このテーマは、環境、産業。社会保険など様々な政策が交錯する分野だ。一分野でありながら、民主党における政策形成の全体像を見ることができる。
(1)租税政策の形成システム
自民党政権時代には、(a)党税制調査会と(b)政府税制調査会の2つの機関が税制に関与していた。特に実権を持ったのは(a)で、各種業界からの陳情を受けて、税の減免を利益政治の道具としていた。
かかる仕組みは不透明で腐敗の温床になると批判してきた民主党は、政権交代後、(a)党税調を廃止し、財務大臣の下に(b)政府税調を置き、(b)に関係閣僚を入れて税制改正の原案を作ることになった。(b)の中に、①納税環境整備、②雇用即税制、③)租税特別措置、④市民公益税制の4つのテーマについて、与党議員からなるプロジェクトチームが置かれた。野党時代から民主党の税財政を専門とする議員は、議論を重ねてきたことが、税財政に係る政治主導を可能にした。
①納税者の権利擁護、課税紛争に係る公正な処理手続きの確立が現実の法改正の課題として提示された。
②企業が雇用を増やすことへのインセンティブを税制面から提供することを課題とした。
③特定業界の利権となった租税特別措置を洗い出し、公平、公正な税制作りは見種痘の租税政策の柱だった。
④NPOなどの一定基準を満たす市民活動に対する寄付金控除の創設を目的とした。
(2)成功事例
(a)NPO法人に対する寄付の優遇税制は、自民党政権下で制定され、2001年10月に施行された。しかし、優遇を受けるための認定条件が厳しく、実際に恩恵を受けられるNPO法人はごくわずかだった(制度創設から1年間に認定を得たのは全国約8,700のうち9件)。また、優遇の規模も、税額控除(納税額から寄付金額を差し引く)を求める声が高かったにも拘わらず、所得控除(課税対象所得から寄付金額を差し引く)にとどめられた。財務省が、歳入の確保を優先し、かつ、予算配分権限を一般国民に分与することに抵抗し、省益を守ろうとしたからだ。
(b)2011年末、税制改正で寄付金の5割を税額控除する新しい税制が決定された。
(c)この外にも、納税者権利憲章の策定、国税通則法の改正による更生や調査手続きの改善についても具体的な成果が上がっている。
(d)(b)の成功の理由
①首相が政権の看板政策と位置づけ、強い決意を持って推進した。施政方針演説での強調、首相直属諮問機関「新しい公共円卓会議」の設置など、政治的キャンペーンを重ね、世論の支持も引きつけた。
②野党時代からの議論の蓄積と、NPO法人との連携。寄付税制の場合、益者はNPO、抵抗勢力は財務省主税局とアクターが限定されている。この構図の中で、官邸は一般的な世論と具体的な運動体という両面のエネルギーを引き出しながら、政策形成の流れをコントロールすることができた。
③なお、(c)についても、利害関係者が納税者と財務省・国税当局という限定されたものであり、民主党が野党時代に培った議論や専門家からの支援が、財務省を動かす際の権力資源となった。
(3)失敗事例
(a)温暖化対策は政権交代のシンボルになった。しかし、具体的な温暖化対策を立案、決定することは困難だった。
(b)民主党は、野党時代から環境分野のNGOと密接な協力関係を持っていた。温暖化対策の目標設定は政治主導で進められた。
(c)他方、民主党はマニフェストで揮発油税暫定税率の廃止を目玉公約としていた。ガソリンを安くすれば当然消費が増え、二酸化炭素排出量が増加する。よって、化石燃料への課税をどうするかは、政治的な難問だった。
(d)加えて、環境関連税制については、産業界、輸送業界、エネルギー業界、およびそれらの分野の労働組合など、利害を異にする多様な利害関係者が存在した。自民党税調とは異なる仕組みの中で、多様な利害をどのように調整し、結論に達するか・・・・2010年度税制改正の作業に関して、すでに民主党流の調整システムの限界を指摘する報道もあった。
そもそも民主党は、温暖化対策として3つの柱を訴えていた。①国内排出量取引制、②地球温暖化対策税(環境税)、③固定価格買取制度。
③は、2011年8月、菅政権の下で成立した。
が、①は産業界から強い判定を受け、推進側の環境省と反対側の経産省の対立も深刻だった。年末まで調整はもつれたが、結局、政府は産業界に配慮して、制度導入を先送りを決定した。
また、②は、2009年11月には環境省が1兆円を超える規模の税創設を提言していたが、2010年秋から暮にかけての税制改正の中では、結局、石油石炭税の税率を5割引き上げ、4,800億円から7,200億円に増税することで落ち着いた。温暖化政策としての性格は希薄になり、民主党を支持していた市民団体から批判を招いた。他方、揮発油税暫定税率が維持されたまま、さらに石油石炭税の増税が決まったことで、燃料関係の税負担が一層増えることに関連業界は強く反発した。
(e)失敗の理由
①温暖化対策の形成過程において、民主党は社会における利害対立に直面し、翻弄された。自民党政権時代とうって変わって、各業界は労組と共同してロビイングを行うようになった。<例>鉄鋼、造船、機械など。また、トラック、タクシーなどの運輸。
②党・・・・支持団体のこうした動きに呼応して、自民党とは異なった意味での族議員が発生した。民主党の政策調査会(参加資格に制約がない)で、環境税など業界の利益に大きく影響する政策の調整作業において、しばしば産別組織の支持を受けている議員が参加し、各論反対を唱えた。小沢幹事長の時代には、自民党と同様に、業界ごとに陳情の受け皿となる議員連盟が整備されていた。各種の議員連盟も、組合出身議員とは別に、エネルギー関係の租税特別措置の維持など個別利益の擁護に向けて動いた。
③政府・・・・省庁横断的な課題の調整は、副大臣級の会議によって行われた。副大臣会議は、自民党政調会議とは異なって、政治家と業界の癒着という問題からは自由だったが、会議は非公開で不透明だった。また、副大臣は各省庁の利益を背負って議論に参加していた。環境対策をめぐる環境省と経産省の対立は、民主党政権でも乗り越えられなかった。
④要するに、民主党自体に業界ごとの縦割り体質が存在し、温暖化対策の強化という理念は浸透していなかった。社会レベルで利害対立をはらむ問題について、陳情や要望の圧力に曝され、それを乗り越えて決着する能力を民主党は発揮できなかった。また、与党内、政府内における政策調整の仕組み、手続きが不明確なことも、議論の混迷を大きくした。
以上、山口二郎『政権交代とは何だったか』(岩波新書、2012)の「第3章 政治主導による政策転換の成否--なぜ失敗し、どこで成功したか」に拠る。
↓クリック、プリーズ。↓