語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】「世直しの罠」に嵌らないために ~『邪宗門』~

2018年01月11日 | ●佐藤優
 (1)<「高橋和巳の小説はどれも面白い。まず、どの作品も徹底的な調査(主として文献資料に基づく)の上、書いているので、小説を読む中で知識がつく。更に、現実には存在しないような観念的な対話が繰り返される。ここに何とも形容しがたい楽しさがある>
 と冒頭に佐藤優は書くのだが、格別独創的な意見ではない。むしろ平凡とさえいえる。知識人(のはしくれ)ならば、おおむねこういった感想をいだくはずだ。

 (2)苦悩教の祖、高橋和巳は、『わが解体』と同一世代でないと、ピンとこないところがあるような気がする。つまり、全共闘世代だ。
 佐藤も、このあたりを敏感に察し、高橋和巳を発表とリアルタイムで読んだ人々は自分とは別の感想を持っているようだ、と続けている。
 佐藤が伝えるのは、ペレストロイカの下、インテリが政治に対する関与を深めている時期に、ロープシン『蒼ざめた馬』(らしい本)の訳者とかわした対話である。彼(ら)は、バリケードのなかで『邪宗門』を読み、「ひのもと救霊会」の最後と、バリケードのなかで機動隊の突入を待つ自分たちとを重ねあわせたらしい。

 (3)全共闘世代でない佐藤は、高橋和巳『邪宗門』に異議申し立て運動を理解する手がかりを読みとる。マルクス・レーニン主義を基軸とする社会主義が異議申し立て運動の有効性を喪失した今、異議申し立て運動は宗教の形態をとるだろう、と佐藤は想像する。
 そして、「ひのもと救霊会」が国家によって弾圧されたのは、国家権力に近寄りすぎたため警戒されたからである、と。

 (4)このあたりも、まだ、佐藤の独自の考えが出ているとはいえない。
 佐藤らしさが発揮されるのは、主人公千葉潔が、東北の飢饉において母親を食べたくだりを「キリストの肉と血とともにキリストの魂も人間の中にはいっていくのだ」と解説するところだ。この小説で母親は潔にいう、「私をお食べ・・・・。私は死んでも潔の体の中に、肉といっしょに魂も入って、お前を守っててあげる・・・・。お前と私は、もともと一つなんだから・・・・」。
 大岡昇平『野火』にも類似のシーンがある。「メデューズ号の筏」や「アンデスの正餐」の生存者の論理も、こうしたものだったにちがいない。

 (5)さらに、佐藤は、千葉潔と米国の新自由主義者(ネオコン)とを重ねあわせて見る。これもまた、佐藤優、独特の解釈だ。
 「ひのもと救霊会」において徐々に勢力を伸ばした千葉潔は、社会主義革命をもくろむ。
 他方、ニューヨーク市立大学のトロッキストとして武力による世界共産主義革命の夢を追った学生たちは、長ずるにおよび「政治は力」という認識を深め、共和党に加入して世界に武力による自由と民主主義を実現する野望を抱くネオコンとなる。 

 (6)千葉潔は、「ひのもと救霊会」の教祖の地位を簒奪し、蜂起がはじまる。地主一家が拷問される。抗議する信者に、千葉はうそぶく。ある程度の犠牲はやむをえない。拷問も吊し首も支配者の虐待によって教えこまれたのだから、人々は教えてくれた者にお返ししているにすぎない。圧政のもとに家畜にのようになっていた人々の闘争本能をよみがえらせるなら、その血祭り、お祭にも意味がある・・・・。
 このくだり、全共闘関与者は、運動退潮期に出現した内ゲバと重ねあわせて考えたのだろう、と佐藤は推定する。
 そして、「世直し」の先をもたない宗教は、つまるところ権力を指向するイデオロギーに堕す。「世直し」に失敗した場合には、自己解体つまり自殺というシナリオしか残されていない・・・・と続ける。

 (7)高橋和巳は「死を急ぐ人々」の一人だった、という佐藤の見立ては正鵠を射ている、と思う。同志社の神学部自治会であばれた佐藤が、時代がやや遡るとはいえ、京大の紛争の模様を伝え聞かなかったはずはない。
 大学紛争における高橋の行動と思弁は『わが解体』に詳しい。死因は結腸癌だが、ほとんど自決にちかい、と感じた人もいたにちがいない。享年39。

 (8)「『世直し』型の政治が必ず陥る閉塞状況を見事に表現した作品として『邪宗門』は現在も命をもっている。そして、この物語が、少しだけ形を変えて、今後も現実の政治において反復されていくのである」というのが「国家主義者」佐藤の結論である。

□佐藤優『功利主義者の読書術』(新潮社、2009)
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