語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】なぜ民主党の公務員制度改革は頓挫したか?

2011年07月17日 | 社会
 内閣不信任案が否決されてから3週間、“菅降ろし政局”で政治空白が続いた。その間、大物政治家ぶりを見せつけたのは仙谷由人官房副長官だ。
 彼は頭がよく、度胸もある。しかも弁が立つ。霞が関で評判が高い。民主党議員の中では群を抜いている。しかし、一言でいえば「残念な人」だ。官房長官時代、陰の首相と呼ばれるほど実力を持ちながら、今回“菅降ろし”は失敗し、政治の混乱に拍車をかけた。
 彼は、行政刷新相就任当初、本気で公務員改革に取り組む意欲を見せた。が、3ヵ月で路線転換した。彼から見ると、当時の鳩山由起夫首相はあまりにも心細い。さらに、彼には真の改革派スタッフがいなかった。これでは財務省と正面からぶつかっても負け戦になる。そう考えて財務省と手を結んだ。その結果、公務員制度改革は骨抜きとなり、財務省は喜んだ。

 民主党の「政治主導」には、4つの大きな間違いがある。
 (1)政治主導というより“政治家主導”で、官僚を敵視した。
 (2)官僚を使いこなす能力に欠けた。
 (3)霞が関に協力者を造らなかった。大臣や政務官を支える実務スタッフがいなかった。
 (4)何をやりたいのか、が首相になかった。政治家は、ビジョンを示せなかったら、官僚の思うままに操られるだけだ。

 仙谷大臣(当時)は、3つ目までは理解し、修正していった。だから財務省と手を握った。しかし、その先が見えない。「やりたいこと」が見えない。権力を握った後どんな日本にしたいのか、という仙谷自身の哲学が伝わってこない。改革を実行するのか、しないのか。それが見えないままでは、結局官僚に取り込まれてしまうだけだ。

 11年1月、資源エネルギー庁長官が退任4ヵ月後東電に天下りしたことについて、枝野官房長官はこう言い放った。「経産省の秘書課長が東電に聞いたところ、役人による斡旋はなく企業が本人に直接要請したという。だから天下りの斡旋はなかった」
 泥棒の子分に親分の取り調べをさせているようなものだ。本気で公務員改革をしている、とは言えない。

 仙谷と枝野は、弁護士という共通項がある。その場の理屈の立て方はうまいが、後に辻褄が合わなくなっている。二人に限らず、民主党全体に言えることかもしれない。
 公務員制度改革を進め、行政のムダを省き、税金のムダ遣いをなくす、という民主党の方向性は支持されていたはずだ。しかし、今やそんな話は聞かれなくなり、消費税増税至上主義のムードが蔓延している。既得権グループと戦わず、官僚に骨抜きにされ、2人とも大増税の旗振り役を担ってしまった。

 自分の進退についていろいろ取りざたされているが、自分は霞が関の膿を出しきり「日本の中枢の崩壊」を食い止めるために発信してきたつもりだ。異なる意見を封殺して“お家安泰”を考える官僚がいるとすれば、本当に悲しいことだ。

 以上、記事「古賀茂明が明かす 官僚に骨抜きにされた仙谷・枝野」(「サンデー毎日」2011年7月10日号)に拠る。

    *

 古賀茂明は、08年に経産省から内閣の公務員改革事務局に出向し、公務員改革案に取り組んだ。09年末に更迭され、経産省に戻った。そんな中、論文を書いた。一本目は「消費税増税の前にまず国家公務員のリストラを」という趣旨。二本目は、民主党政府のまとめた天下り対策案がいかに改革に逆行するものかを指摘したもの。
 古賀としては、ごく真っ当なものだった。それが大反響を呼んだ。大変なものだった。経産省だけじゃない。霞が関全体を敵に回したみたいだ。「辞めてくれ」ということで、一度は去年の10月末で辞めることになったが、その直前に参議院の予算委員会に呼ばれた。
 古賀を一躍有名にした、仙谷官房長官(当時)の「恫喝」が飛び出した委員会だ。『日本中枢の崩壊』によると、古賀は委員会で民主党の公務員改革を批判する発言をした。仙谷、評していわく、「現時点での彼の職務(略)と関係のないこういう場に呼び出す、こういうやり方ははなはだ彼の生来を傷つけると思います・・・・優秀な人であるだけに大変残念に思います」。そんな発言をしていたら将来はないぞ、と。

 仙谷は、民主党政権発足後、行政刷新担当大臣に就任して、まさに公務員改革の旗振り役だった。古賀茂明を自分の補佐官にしようとしている、という噂は、古賀の耳にも届いていた。
 古賀は、仙谷という人を面白い人だと思った。喋るとすごく元気で、古賀がいろんな改革案を話したら、「そうだ、そうだ。何でもやれ」って感じだった。でも、本気で公務員改革をやろうとしたら、財務省をはじめ、すべての官僚組織と闘わないといけない。周りの人に、「民主党政権になったばかりなのに、いきなり官僚と大戦争するのは得策じゃない」と言われたのではないか。だから、ここで一人大騒ぎしたら潰される、と一旦改革を封印した。それに古賀は事務次官の廃止とか、財務省の予算編成権を内閣に移せとか、財務省を刺激する政策を唱えていたから、古賀を使うということは財務省を敵に回すことだった。仙谷も、古賀を公務員改革事務局から更迭するときは、たぶん申し訳ないなあと、涙を呑んだと思う。
 それがなぜ恫喝するまでになっちゃったのか。仙谷が何を考えたか、本人に聞かないと分からない。ただ、民主党政権は「政治主導」「脱官僚依存」を掲げて発足したが、仙谷は民主党には政治主導なんてできない、って分かってしまったのだろう。周りを見たら、自分以外の大臣がどうしようもない。そんな人たちに「政治主導だ、自分で考えてやろう」と言ったって大混乱するだけだから、官僚に手伝ってもらうしかない。だから、「官僚と仲良くしろ」と言い始めた。他の閣僚も「わかりました~」と。

 もちろん、行政は政治だけでは動かない。しかし、行政は官僚のものじゃない。優秀な政治家のもとで、官僚たちが国民のために働くシステムだ。古賀としては、まさにそれを実現するために公務員制度改革に携わってきたつもりだ。この数年、日本が危機に瀬しているというのに、官僚は霞が関の論理にとらわれ、省益のみに血道をあげている。そんな中で大震災に襲われ、このままでは日本は沈没してしまう。そういう強い危機感が古賀の原点だ。

 以上、古賀茂明&阿川佐和子「仙谷さんは、民主党には『政治主導』なんてできないって分かってしまったんだと思う。」(「週刊文春」2011年7月7日号)に拠る。
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