著者は大阪教育大学教授。巻末の著書目録をみると、同和問題、部落史を専攻しているらしい。
白土三平『カムイ伝 第1部』(以下『カムイ伝』と略する)は、月刊漫画誌「ガロ」1964年12002年2月号から1971年7月号まで約7年間、74回にわたって連載された。総ページ数5,947ページ。当時、世界で一番長い漫画としてギネス・ブックに載った・・・・のではないか。第2部は掲載誌を替え、「ビッグ・コミック」誌に連載されたが、画は白土三平とは別の人が描いているし、主題に変化が見られるが、やはりカムイが主役を占める。ますますギネス・ブック的である。
本書は、第1部のみを論じ、『カムイ伝』概論(第一部)、『カムイ伝』の人物論(第二部)、部落史学習と『カムイ伝』(第三部)の3部構成をなす。
第一部では、日置藩のモデル探索が興味深い。
日置藩は、江戸から遠く離れた外様の小藩(表高7万石)である。海岸に面して漁師町があり、クジラやカツオが獲れる。険しい山もあり、冬は大雪にみまわれる。京都所司代の管轄下にある(五畿内、紀州は入らない)。綿の栽培が可能である(東北・北陸では栽培されなかった)。以上からすると和泉国の南部、泉南郡の紀州に接したあたりに位置するはずで、岸和田藩6万石がもっとも日置藩の要件をそなえている。しかし、譜代だし、険しい山がない。よって、はっきりしたモデルはない、というのが著者の結論である。
ちょっとガッカリさせられる結論だが、それだけ白土三平の想像力が豊かだった、と見ることもできるだろう。
こうした史実との突き合わせがいたるところに見られ、第三部では教材として採用する場合の注意を幾つかあげる。
たとえば時代。
『カムイ伝』の時代は寛永年間(1624~1644)の末から寛文2年(1662)まで約20年間である。幕藩体制が確立しているという設定だが、実際に幕藩体制が確立したのはもう少し後の寛文・永宝期(1661~1681)である。幕藩体制の充実期はさらに遅れて元禄・享保期(1688~1736)あたりになる。『カムイ伝』で描かれた事例は寛文・永宝期から元禄・享保期のものが多く、史実より約10年から30年ほどずれる。具体例をあげれば、百姓一揆の形態だ。1650年代の一揆は「逃散」型が一般的で、せいぜい「代表越訴」であった。しかるに、『カムイ伝』に頻出する一揆は「強訴」である。数次にわたる玉手騒動のような村ぐるみの武力闘争は少なくとも元禄期以降、全国的には享保期以降でないと一般化しない。ちなみに1650年代に「逃散」が有効だったのは、人別帳がまだ整備されていなかったからである。人別帳は「逃散」対策でもあった。
こうした時代考証は、漫画をつうじて江戸時代というものを知った気になる人には必要な注意だ。漫画のみならず、時代小説や時代劇にも。TVドラマ『大岡越前』をみて、第二次世界大戦後に一般家庭に普及した布団カバーを享保改革のころの長屋の住民も愛用していた、と錯覚しないために。
本書はしかし、学者による単なる『カムイ伝』注釈ではない。作品を内側から読み解こうとする。ことに第二部において。
実質的な主人公正助、正助を支えつつ独自の成長をとげる苔丸(スダレ)、副人物だが準主役級の天才忍者・赤目、破天荒な剣士・水無月右近・・・・登場人物を歴史と集団との関係においてとらえつつ、それぞれの個性を浮き上がらせる。
「左卜全の実存主義」と題する人物論は、短いが、この日置(へき)流弓術の達人に対する著者の共感がにじみでている。左卜全は戦国の世を戦いぬき、辛酸を舐めつくしたあげく、「潮風にふかれ、くいたい時には漁をし、おのれの心のままに生きる」にいたる。藩に捕縛された切支丹のキク及び彼女を救おうとするクシロを助け、もって死に場所とした。その死にざまは尋常ではないが、「生きる延長線上に、そのまま<死>を迎えたような解放感がある」。
夏目房之介は、白土漫画を画という表現から評価するが、イデオロギー面に偏した評価には反発する(『手塚治虫の冒険』第五講、小学館文庫、1998)。しかし、時代のなかの個性的な人間を剔抉する著者の手際には、評価するかどうかはさておき、反発はしないだろう。
ところで、『カムイ伝』のモチーフは、書き続けられていくうちに変化した。当初は差別が最重要な主題だったが、巻を追うにつれて階級闘争に重点が移行している。『カムイ伝』は60年安保から70年安保、日韓条約、ヴェトナム戦争、大学紛争といった激動の時代に書かれた。白土三平は時代を見すえ、時代に棹さして生きた。当時の状況が差別より階級闘争を選択させた。・・・・これが著者の見立てである。
これは、『カムイ伝』が一応終了しながらも、物語として完結しなかった理由を説明するだろう。差別は、静的にして固定的な構造だ。したがって、作品の長短にかかわらず、一応の結末を引きだすことができる。しかし、動いていく同時代をまるごと反映しようとするのであれば、時代の先の予測がつけがたい以上、物語にも結末をつけにくい。
したがって永久に完結しない・・・・か、どうかは知らないが、『カムイ伝 第2部』も2006年に一応終了しながら、物語としては完結していない。それはそれで、読者は第3部を楽しみにできる。
□中尾健次『『カムイ伝』のすヽめ -部落史の視点から-』(解放出版社、1997)
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白土三平『カムイ伝 第1部』(以下『カムイ伝』と略する)は、月刊漫画誌「ガロ」1964年12002年2月号から1971年7月号まで約7年間、74回にわたって連載された。総ページ数5,947ページ。当時、世界で一番長い漫画としてギネス・ブックに載った・・・・のではないか。第2部は掲載誌を替え、「ビッグ・コミック」誌に連載されたが、画は白土三平とは別の人が描いているし、主題に変化が見られるが、やはりカムイが主役を占める。ますますギネス・ブック的である。
本書は、第1部のみを論じ、『カムイ伝』概論(第一部)、『カムイ伝』の人物論(第二部)、部落史学習と『カムイ伝』(第三部)の3部構成をなす。
第一部では、日置藩のモデル探索が興味深い。
日置藩は、江戸から遠く離れた外様の小藩(表高7万石)である。海岸に面して漁師町があり、クジラやカツオが獲れる。険しい山もあり、冬は大雪にみまわれる。京都所司代の管轄下にある(五畿内、紀州は入らない)。綿の栽培が可能である(東北・北陸では栽培されなかった)。以上からすると和泉国の南部、泉南郡の紀州に接したあたりに位置するはずで、岸和田藩6万石がもっとも日置藩の要件をそなえている。しかし、譜代だし、険しい山がない。よって、はっきりしたモデルはない、というのが著者の結論である。
ちょっとガッカリさせられる結論だが、それだけ白土三平の想像力が豊かだった、と見ることもできるだろう。
こうした史実との突き合わせがいたるところに見られ、第三部では教材として採用する場合の注意を幾つかあげる。
たとえば時代。
『カムイ伝』の時代は寛永年間(1624~1644)の末から寛文2年(1662)まで約20年間である。幕藩体制が確立しているという設定だが、実際に幕藩体制が確立したのはもう少し後の寛文・永宝期(1661~1681)である。幕藩体制の充実期はさらに遅れて元禄・享保期(1688~1736)あたりになる。『カムイ伝』で描かれた事例は寛文・永宝期から元禄・享保期のものが多く、史実より約10年から30年ほどずれる。具体例をあげれば、百姓一揆の形態だ。1650年代の一揆は「逃散」型が一般的で、せいぜい「代表越訴」であった。しかるに、『カムイ伝』に頻出する一揆は「強訴」である。数次にわたる玉手騒動のような村ぐるみの武力闘争は少なくとも元禄期以降、全国的には享保期以降でないと一般化しない。ちなみに1650年代に「逃散」が有効だったのは、人別帳がまだ整備されていなかったからである。人別帳は「逃散」対策でもあった。
こうした時代考証は、漫画をつうじて江戸時代というものを知った気になる人には必要な注意だ。漫画のみならず、時代小説や時代劇にも。TVドラマ『大岡越前』をみて、第二次世界大戦後に一般家庭に普及した布団カバーを享保改革のころの長屋の住民も愛用していた、と錯覚しないために。
本書はしかし、学者による単なる『カムイ伝』注釈ではない。作品を内側から読み解こうとする。ことに第二部において。
実質的な主人公正助、正助を支えつつ独自の成長をとげる苔丸(スダレ)、副人物だが準主役級の天才忍者・赤目、破天荒な剣士・水無月右近・・・・登場人物を歴史と集団との関係においてとらえつつ、それぞれの個性を浮き上がらせる。
「左卜全の実存主義」と題する人物論は、短いが、この日置(へき)流弓術の達人に対する著者の共感がにじみでている。左卜全は戦国の世を戦いぬき、辛酸を舐めつくしたあげく、「潮風にふかれ、くいたい時には漁をし、おのれの心のままに生きる」にいたる。藩に捕縛された切支丹のキク及び彼女を救おうとするクシロを助け、もって死に場所とした。その死にざまは尋常ではないが、「生きる延長線上に、そのまま<死>を迎えたような解放感がある」。
夏目房之介は、白土漫画を画という表現から評価するが、イデオロギー面に偏した評価には反発する(『手塚治虫の冒険』第五講、小学館文庫、1998)。しかし、時代のなかの個性的な人間を剔抉する著者の手際には、評価するかどうかはさておき、反発はしないだろう。
ところで、『カムイ伝』のモチーフは、書き続けられていくうちに変化した。当初は差別が最重要な主題だったが、巻を追うにつれて階級闘争に重点が移行している。『カムイ伝』は60年安保から70年安保、日韓条約、ヴェトナム戦争、大学紛争といった激動の時代に書かれた。白土三平は時代を見すえ、時代に棹さして生きた。当時の状況が差別より階級闘争を選択させた。・・・・これが著者の見立てである。
これは、『カムイ伝』が一応終了しながらも、物語として完結しなかった理由を説明するだろう。差別は、静的にして固定的な構造だ。したがって、作品の長短にかかわらず、一応の結末を引きだすことができる。しかし、動いていく同時代をまるごと反映しようとするのであれば、時代の先の予測がつけがたい以上、物語にも結末をつけにくい。
したがって永久に完結しない・・・・か、どうかは知らないが、『カムイ伝 第2部』も2006年に一応終了しながら、物語としては完結していない。それはそれで、読者は第3部を楽しみにできる。
□中尾健次『『カムイ伝』のすヽめ -部落史の視点から-』(解放出版社、1997)
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