(1)安部政権の下、全国の教育委員会を廃止しようとする目論みが進行中だ。
いじめ自殺問題で醜態をさらした大津市教育委員会をはじめ、各地の教育委員会は、その職責を全うしているとは言えず、そこから教育委員会無用論ないし廃止論が出てくる。
しかし、これを廃止するより、むしろ立て直すほうが賢明だ。その際、教育委員選任に当たり、議会がきちんと「品質管理」すべきだ【注】。
(2)「品質管理」はしかし、現在その任にある教育委員自らの努力によって成し遂げることも可能だ。
現職の教育委員は、「何をしたらいいか、わからない」と悩みを漏らす。何をしたらいいか、わからないときは、とりあえず原点に戻るのだ。
教育委員会の原点とは、教育における民主主義の実現だ。自治体が公教育を担い、その自治体の中で教育委員会(首長から独立した機関)に教育を委ねている理由の一つは、わが国がかつて国家に翻弄された歴史があり、それに鑑み、教育を子どもたち、保護者、住民に身近な地域の統御の下におく必要があったからだ。
地域の統御とは、地域の民意によってコントロールされる、ということだ。その民意の激しい変化や、民意によって選ばれた首長の「気まぐれ」などから教育現場を守るための「緩衝装置」として教育委員会は設けられている。
さらに、民主主義とは一人一人の国民/住民を政治や行政の中心に据えることだから、教育委員は子どもたちや保護者をたいせつにするオンブズマンとしての役割も期待されている。
(3)教育委員は何をなすべきか・・・・は、(2)によって明らかになったはずだ。
その一つは、住民のいる現場の視点に立って、国への対抗軸になることだ。国は時として筋の通らないこと、理不尽なことを押しつけてくる。それをはね返したり、是正させたりするのが教育委員会の役割だ。
<例>「学校週5日制」の導入だ。その頃、国は理屈をつけて子どもたちを地域や家庭に「お返ししたい」がため導入する、と説明していた。その説明が地域や家庭の実情といかにかけ離れ、空虚と欺瞞に満ちていたか、保護者や住民にはよくわかっていた。現場では、そうした違和感や異論が渦巻いていたが、国はそれを無視して制度を強行した。案の定、国が唱えていた絵空事の効果は生じず、今では「学校週6日制」に戻すことが検討されている。
教育委員会は、「学校週5日制」導入に当たり、保護者たちの違和感や異論を真摯に受け止めなかった。だから、その政策は地域の実情にそぐわないと国を戒めることもしなかった。逆に、彼らを押さえつける役割に徹した。国に対する対抗軸ではなく、むしろその先兵の役を果たした。
ここから得られる教訓は、国が新しい制度や仕組みを学校現場に持ち込もうとするとき、教育委員会はそれを鵜呑みにせず、それが現場において妥当するかどうか、導入するためにいかなる条件整備が必要かを検証し、その結果を臆さず国に申し入れなくてはならない、ということだ。
そのためには、まず教育現場の当事者(教師や保護者など)から意見や考えを聴くことだ。これが教育における民主主義の一つの実践だ。
(4)教育委員会議における公聴会は、わが国の教育委員会のモデルとなった米国の教育委員会においては一般的だ。
会議開催に先立って議案を公表、会議当日誰でも参加可能、その場での意見表明を歓迎する旨を告知・・・・意見内容に制約はないが、事前に届け出しておく必要はある。
会議では、保護者、地域住民、教師、大学関係者なども訪れ、教育に関する意見披瀝したり、具体的な議案に対する賛否を表明する。時にはハイスクールの生徒が加わって意見を述べる。教育委員会委員は、これらすべてに謙虚に耳を傾けた上で議案を決したり、その後の会議の議題として取り上げたりする。
一人の発言時間を2分に制限するとか、20人を超えて発言申込みがあれば次回の会議に持ち越すなどのルールがあり、個人間の誹謗中傷などは厳禁されているので、会議は順調に運営される。
(5)わが国の教育委員会にも、(4)のような公聴会が制度化されるべきだ。
公聴会によって、いじめや教師の暴力などは、これまでより速やかに顕在化されるのではないか。
公聴会でその端緒を得た教育委員会は、該当する学校関係者を呼び、その考えを正せばよい(「参考人質疑」)。その上で、もしいじめや暴力の存在が明らかになったら、防止する手立てを直ちに講じるよう学校に指示するし、その手立てのため新たなスタッフを学校に配置する必要があれば、教育委員会はその実現に尽力しなければならない。
このほか、米国では教育委員会が単独で、しかし正規の業務として、日時と場所を特定し、保護者や住民の意見を聴くことが多い。教育委員会は、まさしくオンブズマンなのだ。
教育委員会の重要な仕事の一つが保護者や住民の意見を聴くことだとすれば、それ自体はさほど難しいことではない。
【注】以上、詳しくは「【社会】教育委員会は壊すより立て直す方が賢明」参照。
□片山善博(慶大教授)「教育委員は何をなすべきか ~日本を診る 45~」(「世界」2013年7月号)
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いじめ自殺問題で醜態をさらした大津市教育委員会をはじめ、各地の教育委員会は、その職責を全うしているとは言えず、そこから教育委員会無用論ないし廃止論が出てくる。
しかし、これを廃止するより、むしろ立て直すほうが賢明だ。その際、教育委員選任に当たり、議会がきちんと「品質管理」すべきだ【注】。
(2)「品質管理」はしかし、現在その任にある教育委員自らの努力によって成し遂げることも可能だ。
現職の教育委員は、「何をしたらいいか、わからない」と悩みを漏らす。何をしたらいいか、わからないときは、とりあえず原点に戻るのだ。
教育委員会の原点とは、教育における民主主義の実現だ。自治体が公教育を担い、その自治体の中で教育委員会(首長から独立した機関)に教育を委ねている理由の一つは、わが国がかつて国家に翻弄された歴史があり、それに鑑み、教育を子どもたち、保護者、住民に身近な地域の統御の下におく必要があったからだ。
地域の統御とは、地域の民意によってコントロールされる、ということだ。その民意の激しい変化や、民意によって選ばれた首長の「気まぐれ」などから教育現場を守るための「緩衝装置」として教育委員会は設けられている。
さらに、民主主義とは一人一人の国民/住民を政治や行政の中心に据えることだから、教育委員は子どもたちや保護者をたいせつにするオンブズマンとしての役割も期待されている。
(3)教育委員は何をなすべきか・・・・は、(2)によって明らかになったはずだ。
その一つは、住民のいる現場の視点に立って、国への対抗軸になることだ。国は時として筋の通らないこと、理不尽なことを押しつけてくる。それをはね返したり、是正させたりするのが教育委員会の役割だ。
<例>「学校週5日制」の導入だ。その頃、国は理屈をつけて子どもたちを地域や家庭に「お返ししたい」がため導入する、と説明していた。その説明が地域や家庭の実情といかにかけ離れ、空虚と欺瞞に満ちていたか、保護者や住民にはよくわかっていた。現場では、そうした違和感や異論が渦巻いていたが、国はそれを無視して制度を強行した。案の定、国が唱えていた絵空事の効果は生じず、今では「学校週6日制」に戻すことが検討されている。
教育委員会は、「学校週5日制」導入に当たり、保護者たちの違和感や異論を真摯に受け止めなかった。だから、その政策は地域の実情にそぐわないと国を戒めることもしなかった。逆に、彼らを押さえつける役割に徹した。国に対する対抗軸ではなく、むしろその先兵の役を果たした。
ここから得られる教訓は、国が新しい制度や仕組みを学校現場に持ち込もうとするとき、教育委員会はそれを鵜呑みにせず、それが現場において妥当するかどうか、導入するためにいかなる条件整備が必要かを検証し、その結果を臆さず国に申し入れなくてはならない、ということだ。
そのためには、まず教育現場の当事者(教師や保護者など)から意見や考えを聴くことだ。これが教育における民主主義の一つの実践だ。
(4)教育委員会議における公聴会は、わが国の教育委員会のモデルとなった米国の教育委員会においては一般的だ。
会議開催に先立って議案を公表、会議当日誰でも参加可能、その場での意見表明を歓迎する旨を告知・・・・意見内容に制約はないが、事前に届け出しておく必要はある。
会議では、保護者、地域住民、教師、大学関係者なども訪れ、教育に関する意見披瀝したり、具体的な議案に対する賛否を表明する。時にはハイスクールの生徒が加わって意見を述べる。教育委員会委員は、これらすべてに謙虚に耳を傾けた上で議案を決したり、その後の会議の議題として取り上げたりする。
一人の発言時間を2分に制限するとか、20人を超えて発言申込みがあれば次回の会議に持ち越すなどのルールがあり、個人間の誹謗中傷などは厳禁されているので、会議は順調に運営される。
(5)わが国の教育委員会にも、(4)のような公聴会が制度化されるべきだ。
公聴会によって、いじめや教師の暴力などは、これまでより速やかに顕在化されるのではないか。
公聴会でその端緒を得た教育委員会は、該当する学校関係者を呼び、その考えを正せばよい(「参考人質疑」)。その上で、もしいじめや暴力の存在が明らかになったら、防止する手立てを直ちに講じるよう学校に指示するし、その手立てのため新たなスタッフを学校に配置する必要があれば、教育委員会はその実現に尽力しなければならない。
このほか、米国では教育委員会が単独で、しかし正規の業務として、日時と場所を特定し、保護者や住民の意見を聴くことが多い。教育委員会は、まさしくオンブズマンなのだ。
教育委員会の重要な仕事の一つが保護者や住民の意見を聴くことだとすれば、それ自体はさほど難しいことではない。
【注】以上、詳しくは「【社会】教育委員会は壊すより立て直す方が賢明」参照。
□片山善博(慶大教授)「教育委員は何をなすべきか ~日本を診る 45~」(「世界」2013年7月号)
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