よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

飯島夏樹さんのこと

2005年03月16日 | No Book, No Life
飯島夏樹は、日本人で唯一、8年間ワールドカップに出場し続けた世界的プロウィンドサーファーだ。2002年の夏に肝細胞ガンと診断されて、2004年6月、余命宣告を受ける。飯島は、病に出逢って「自分が生かされている」ということを体感し、なんと病床から精力的に執筆活動を開始した。

彼の処女作「天国で君に逢えたら」は2004年7月に発表されている。そして飯島は2/28に逝ってしまった。そして 「がんに生かされて」が近々、新潮社よりリリースされる。

飯島夏樹公認ブログのコメントがいい。ここに集う人たちのハートの滴がある。

彼をなんと形容しえるか?

運命の波に奔走されながらも決して翻弄されはしなかった人生のサーファー。魂のライター。命から言葉を紡ぎだす作家。言葉に命を降臨させる作家。海を見つめるナチュラリスト。家族や隣人と最後の瞬間まで勇気と希望をわかちあったキリスト者。

まずもって、飯島夏樹の著作物の前に、分析の作業や作品鑑賞の構えは必要ないだろう。読者は素直に静かに飯島夏樹を受け止めるだけでいい。それぞれの人生の文脈において、それぞれに。

しかし、健康や生死のありかたを追求する視点からはいくつかのクリティカルな洞察や課題の提起がある。

・どれだけ生きるのかよりもどのように生きるのか、が大切
・wellnessはどのように生きるのかという姿勢から生まれる
・ターミナルケアに依存するのではなく、ターミナルケアの環境を積極的に作ることが大切
・いかに生きるのかということは、いかに死ぬのかを考えることから始まるのかもしれない







一冊の本を贈呈される

2005年03月15日 | No Book, No Life
北里大学大学病院看護部の野地金子さんから一冊の本を贈呈いただいた。この本のタイトルは「クリニカルラダー、マネジメントラダーの実際」医歯薬出版。貴重な一冊だ。

このところ、クリニカルラダーがちょっとしたブームになっている模様だ。この本のなかでも以前書いた拙著が数多く引用されている。このような動きを見るにつけ、医療マネジメントの世界でも、いわゆる人的資源管理の重要性がだんだんと認識されつつあるのがわかる。

北里大学病院は全看護部長の古庄さんの時代からいろいろお付き合いがあり、講演によばれたりしていた。古庄さんは現在、熊本保健科学大学で教鞭をとられている。その古庄さんのバックボーン的貢献、北里大学東病院の久保田光子満子前看護部長が急逝されたことが、「はじめに」に書かれていた。久保田さんはふくよかな感じで明るい人だった。

この前書きを読んでいるうちに、なにか目頭が熱くなった。


ふきのとう

2005年03月13日 | よもやま話、雑談
春の風はふきのとうを運んでくる。淡い緑色のふきのとうは、ほのかに爽やかな香りとそこはかとない苦味とともに春の到来を告げる。

アイヌの神話に出てくる妖精コロボックルはアイヌ語で「フキの下の人」。そしてコロボックルの好物がふきのとう。ふきのとうには春の風に乗って、妖精たちがあそび集う。妖精に誘われて人間たちもふきのとうを採りにやってくる。

さて、印旛沼サイクリングロードの周辺には山菜が群生する秘密の場所がたくさんある。毎年、今ぐらいの時期からふきのとうに始まり、たらの芽、つくし、たけのこと4月中旬までは文字どうり山菜狩の季節。

西印旛沼の北側の里山と沼の脇の平地の境あたりの農家のかたわらやあぜ道の横の山林への境界線あたりが狙い目。


大阪にて出版記念講演会

2005年03月12日 | 講演放浪記
今日は大阪にいる。このところ名古屋、倉敷、大阪と日本列島の真ん中からやや西よりを動き回っている。新幹線などの車中の時間が潤沢にとれ、たまっていた読みかけの本の読書に時間をもってくことができうれしい。このところ読み返しているヘルマンヘッセの「シッダールタ」が再びとても面白い。

さて、大阪への旅の目的は、やや遅ればせながら新著「クリニカルラダー導入成功の方策」をベースにした講演会に呼ばれており、そこでいろいろなソリューションを提供することだ。この本の出版社の日総研出版が主催者で、さながら出版記念講演といったところ。

ちなみに集中的かつ良質なセミナーはこちらでもやっている。クリニカルラダーの導入、実践の当事者である看護管理者と僕による内容の濃いインテンシブ・シンポジウムだ。

おおむね以下のような内容になると思う。

1.医療・看護の変化とクリニカルラダー
2.看護師に求められる真の力とは
3.成果行動を生み出す生きた能力=コンピテンシー
 1)人材開発に直結するコンピテンシーモデル
 2)優れたコンピテンシーモデルの条件
 3)5つのクラスター=コンピテンシーの集合
 4)看護師長に求められるコンピテンシーとは
 5)主任に求められるコンピテンシーとは
 6)スタッフに求められるコンピテンシーとは
 7)クリニカルラダーにコンピテンシーを組み込む方法
4.クリニカルラダーの作成・活用の実際
 1)クリニカルラダーの年功ラダー化
 2)臨床実践能力だけではあるべき姿とは言えない
 3)人的資源マネジメントのための視点の欠如

5.新時代対応型クリニカルラダーの作成方法
 1)職務分析を行い,あるべき看護職務像を明らかにする
 2)人材が保有すべきコンピテンシーを明らかにする
 3)成果責任のクリニカルラダーを作成する
 4)臨床実践応用力のクリニカルラダーを作成する
 5)統合的なクリニカルラダーを設定する
 6)ナースの格付けをする


詳細はこちら

倉敷中央病院にてコンサルティング

2005年03月11日 | 講演放浪記
名古屋から倉敷へ小さな旅をしてきた。
いつものことだが、倉敷という町は着くととにかく落ち着ける町だ。

倉敷中央病院の系列のホテルアイビーは倉敷の風光明媚な一角にほど近く、趣のある散策が楽しめる。

倉敷中央病院をクライアントにしてからもう8年経つ。時の流れははやいものだ。目標管理や人材評価、クリニカルラダーなどの一連の変革の実績を一冊の本にして共同で出版したのが数ヶ月前。

一緒に本を書いた共同執筆者の方々といろいろ歓談。楽しいひと時だ。クライアントの方々と苦楽(?)をともにしてきた経験、そして成果がひとまとまりの本になるというのは、いっそうの充実感、達成感をもたらしてくれる。自身で10冊目の本となったこの本をこういう形で世に出すことができて素朴にうれしい。

コンサルティングや講演では、クライアントを接している「場」に経験価値が凝縮されることになるが、本をともに出版するということは、クライアントとコンサルタントとの限定的な経験価値の「場」を広く一般的にするということでもある。

publishというのはpublicにするということだ。





「印」とキーボード

2005年03月09日 | よもやま話、雑談
体と脳は密接に繋がっている。脳を活性化させるためには体、なかでも手や指をこねくりまわすように動かすといい。

密教の方では身体、言語、意識の三つの作用を三密といい、身業(身体)、語業(言語)、意業(意識)の三業から離れることを解脱行の第一歩とする。

さて、このような密教の体系のなかでは手や指をこねくりまわすようなある種の行法がある。印(いん)を結ぶというものだ。指や掌をいろいろな形に組み立て、さまざまな姿をつくり、変幻自在に変化させるのだ。印には、観想といってある種のイメージ、想念すべきカタチも付随している。

さて、意識のなかに湧き出でて、紡ぎ出る言霊を転換する装置としてキーボードをカタカタたたくのも指の運動だ。パソコンを使ったモノカキの作業のあいま、あいまに印を結ぶと仕事がはかどる。

たぶん、身体、言語、意識がかさなりあった深いところに息づいている表現のための質をともなった感覚領域(クオリア)が刺激されるからだろう。はたまた、言霊に身体性が与えられて、言葉が息吹くからか。


「できる、やりたい」vs「できない、やりたくない」

2005年03月08日 | ニューパラダイム人間学
ちょっとした仕事や依頼に対する反応だけ見ても、その人の仕事に対する思いや姿勢の本質的な一端を垣間見ることがある。貴重な瞬間だ。

仕事をアサインされて「できない、やりたくない」という理由を真っ先にあげて仕事から逃げる人は、結局どんな職業、会社で仕事をしても大成することはできない。「できない」は能力の欠如であり、「やりたくない」は意欲の欠如であり、能力と意欲がなければ成功はおぼつかないからだ。

逆に困難な仕事、多難な障壁が多い仕事でも、できるようにする手段方法から考え、その仕事を達成するために前向きに発想できる人は、「できない、やりたくない」から発想する人よりも成功確率はずっと高くなるだろう。

ちょっとした反応のちがいだが、「できる」「できない」、「やれる」「やりたくない」の違いは仕事の局面、局面で累積されてくると、とほうもなく大きくなってしまうから要注意だ。

ちょっとしたタスクや仕事にさいして、「できる、やりたい」という前向きな反応を積み重ねれば、コンピテンシー理論でいうところの自発的努力やイニシアティブの強化に繋がってゆく。「できない、やりたくない」という行動が常態化すれば、必然的に自発的努力やイニシアティブといった習慣の衰退、衰微に帰着する。

「できない、やりたくない」をはじめに考える人よりは、「できる、やりたい」をはじめに考える人と仕事をいっしょにしたいものだ。「できる、やりたい」というオープンで前向きなメタ認知には未来に拡がる可能性と創造性が息づいているからだ。

医療機関と個人情報保護法

2005年03月07日 | 健康医療サービスイノベーション
このところ、個人情報保護の波が医療機関にも及んでいる。

個人情報は基本的には、生存する個人に関する情報をあつかうので「死者」に関する情報は法律上は個人情報にはあたらないとする法理がある。しかし、こと医療分野においては、死因や死に至った病歴、治療の過程などは保護されるべき情報の対象となる。

さて、医療に関する個人情報というと、即座にカルテを連想する人が多いだろう。しかし、さまざまな疾患に対する医療的な介入過程を調査するときには、看護記録のほうが役に立つことが多い。なぜなら手書きのカルテは防備録的な性格が強いのに対して、しっかりトレーニングされた看護師が綴った看護記録は問題解決を志向した客観的な記録の体裁をとっていて、事実関係の因果関係がはっきり読み取れることが多いからだ。

ただし、やはり書き手の書く技術、姿勢によって看護記録の質も千差万別だ。「~していれば違った結果になっただろう」「あやまって誤薬を与えてしまった」「あの看護介入はまちがいだった」などの表現をよく目にする。新人看護師が書いた看護記録は、自虐的な反省文のようなものもよくある。

今後患者さんが看護記録の閲覧やコピーを求めてきたら、医療機関は院内の個人情報保護規定やガイドラインにそって対処し、情報提供に応じることが多くならざるを得ない。そうしたときに、このような記載はトラブルのもとになるだろう。要注意だ。

ファクトをファクトとして記述し、ファクトに対する意味づけや解釈はまた別の次元で峻別して考察し、問題解決の道筋を叙述するというライティング・スタイルがますます必要になる。仮定法や仮定法過去、仮定法過去完了などで表現することは大変リスキーなのだ。なぜなら過失や不作為ととられかねないからだ。

看護診断などで活用されている看護介入用語を正確に駆使するテクニカルライティング手法がいずれ看護界にも必要になるだろう。そのときには、情念あふれる感性豊かな看護記録は、たんなる主観的な記録として否定されてしまうのか?

多少残念な気がしないでもない。










名古屋にて講演

2005年03月05日 | 講演放浪記
昨日は兵庫、今日は名古屋で講演。

総合上飯田第一病院の研修会に呼ばれて、人材開発システムのテーマを扱う。最近クリニカルラダー関係のテーマで盛り上がっているが、こちらの病院からの講演依頼もクリニカルラダーだ。

改革に熱心な民間病院だと思う。環境の変化に臨機応変に対応できる病院とそうでない病院の差はますます広がるはずだ。

看護部長の吉村陽子さん、顧問の櫻井幸枝さん、どうもありがとうございました。

ちなみに櫻井さんは日赤病院で看護部長を勤められていたときに日赤の本社で僕の講演をお聞き頂いたことがあったそうだ。もう10年くらい前の話だが、世の中狭いものだと改めて感じ入る。




兵庫医科大学にて講演

2005年03月04日 | 講演放浪記
昨夜新幹線で東京から新大阪へ。
新幹線の社中では、個人情報保護法の各種レポートや報告書類をカタメ読み。
新大阪から甲子園口までは各駅停車。宿泊したノボテルは甲子園球場のすぐ前にある。

さて、今日の講演は兵庫医科大学で目標による管理と医療・看護組織の活性化。こうぱっと書いてしまうと簡単そうだが、けっこう複雑にコトがからまっていてうまくいっていない病院が多い。

この複雑さに院内の政治的要素や人間関係要素がからんでくると、院内の人材だけで問題を整理整頓して改革や改善のための有効な処方箋を出すことはなかなか出来なくなってくる。簡潔に言うと、「病院の病気」みたいなものだ。

さて、講演のアウトラインをまとめてみる。

・松下博宣流バランス・スコアカード
・業務プロセスの視点
・学習と人間的組織的成長の視点
・財務の視点
・患者満足の視点
・以上4つの視点を成果目標管理に統合する
成長ベクトルを加速させる目標管理

・認知科学的な組織頭脳のよさとは
・組織ぐるみで行うメタ認知的モニタリング
・組織の内側を変える認知的コントロール

・成果行動を生み出す活きた能力 = コンピテンシー
・成果行動を説明する力がコンピテンシー
・なぜコンピテンシーに注目するのか
・人材開発に直結するコンピテンシーモデル
・優れたコンピテンシーモデルとクリニカルラダーの条件
・クリニカルラダーの作成・活用の実際