よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

医療機関と個人情報保護法

2005年03月07日 | 健康医療サービスイノベーション
このところ、個人情報保護の波が医療機関にも及んでいる。

個人情報は基本的には、生存する個人に関する情報をあつかうので「死者」に関する情報は法律上は個人情報にはあたらないとする法理がある。しかし、こと医療分野においては、死因や死に至った病歴、治療の過程などは保護されるべき情報の対象となる。

さて、医療に関する個人情報というと、即座にカルテを連想する人が多いだろう。しかし、さまざまな疾患に対する医療的な介入過程を調査するときには、看護記録のほうが役に立つことが多い。なぜなら手書きのカルテは防備録的な性格が強いのに対して、しっかりトレーニングされた看護師が綴った看護記録は問題解決を志向した客観的な記録の体裁をとっていて、事実関係の因果関係がはっきり読み取れることが多いからだ。

ただし、やはり書き手の書く技術、姿勢によって看護記録の質も千差万別だ。「~していれば違った結果になっただろう」「あやまって誤薬を与えてしまった」「あの看護介入はまちがいだった」などの表現をよく目にする。新人看護師が書いた看護記録は、自虐的な反省文のようなものもよくある。

今後患者さんが看護記録の閲覧やコピーを求めてきたら、医療機関は院内の個人情報保護規定やガイドラインにそって対処し、情報提供に応じることが多くならざるを得ない。そうしたときに、このような記載はトラブルのもとになるだろう。要注意だ。

ファクトをファクトとして記述し、ファクトに対する意味づけや解釈はまた別の次元で峻別して考察し、問題解決の道筋を叙述するというライティング・スタイルがますます必要になる。仮定法や仮定法過去、仮定法過去完了などで表現することは大変リスキーなのだ。なぜなら過失や不作為ととられかねないからだ。

看護診断などで活用されている看護介入用語を正確に駆使するテクニカルライティング手法がいずれ看護界にも必要になるだろう。そのときには、情念あふれる感性豊かな看護記録は、たんなる主観的な記録として否定されてしまうのか?

多少残念な気がしないでもない。