よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

モノコトづくり異説

2008年03月28日 | 技術経営MOT
フリーマンやネルソンは、1980年代に当時、世界を席巻しつつあった日本の製造業と、危機感をあらわにしていた米国製造業を比較し、National Innovation Systemsという概念を提案した。文明、文化、社会経済制度といった諸制度(institutions)がイノベーションを賦活させたり鈍化させたりする。また、イノベーションが制度を変容させたりもする。

NISはこのようにイノベーションを生態的にとらえ、共進(coevolution)のプロセスとして描いた。制度はおおむね国にスペシフィックなので、国によって技術軌道は異なりイノベーションのスタイルも変わってくるとした。

日本の伝統的なMOTモデルには、ドミナント・デザインが決定された後のインクレメンタルなプロセスイノベーション、とくに摺り合わせが必要な製品のQCDに強みがある。かたや、ことITに関しては、what to makeをテーマとする非連続的、あるいは破壊的なイノベーションには、シリコンバレー型MOTに圧倒的な優位がある。

さて「もの」という言葉には古い記憶の層が折り畳まれている。もののけ、もののあはれ、つきもの、ものがたり、ものつくり。大和言葉の「モノ」は単なるthing、つまり「物」ではない。もの=霊をおびた霊的存在としてのモノだ。

岩石を神と見立てて敬神崇祖の対象とする。長年使った針をたんに捨てるに忍びえず針供養をする。たんなるブッダの模造である仏像に開眼供養を執り行う。もの、すなわち、霊性を帯びた「いのち」を持った存在であるという「モノ」の観じかたは、その自然観とあいまって、モノとの接し方、モノのつくり方にも投影されてきた。

日本(語)のモノは、人と切り離されたモノではなく、身体・霊性の延長、あるいはそれらの一部としてのモノなのである。ごく自然に出る「ものごと」という言葉のコトをつくることをサービスといえば、サービスにこそ、日本の暗黙的知識が積み重なるようにして表出される。

故亀岡秋男氏は、「知識がサービスという行為を通して表出される」と洞察したが、表出された知が循環し、新たな層を万古の年輪のごとく付け加える知的伝統にこそ日本的なサービス気質が優艶な慣性をもって綿々と息づいている。霊的な存在のモノと、身体・霊性の延長に顕れるコト。

サービスを生態的に見れば、マズローの欲求階層仮説の上位にある自己実現欲や実存欲求を満たす経験サービスはコトを摂取し包含することとなる。経験サービス都市、京都には、そのようなモノコトが充満している。

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