よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

MITのアントレプレナーシップ&イノベーションコース(E&I)

2008年03月19日 | ビジネス&社会起業
技術経営に力点を置いているMITでは2008年のカリキュラムからEntrepreneurship & Innovation (E&I)が強力な内容に進化させた。

かのパルミサーノレポートが言うように、イノベーションこそが米国の経済・社会発展のカギなのだから、技術者がイノベーションを学ぶと同時に、経営者がイノベーションを学ぶのは必然だ。イノベーションを引き起こすトリガー人材は起業家なわけだから、ビジネス経験産業の代表であるビジネススクールにアントレプレナーシップが入るのは必然。そしてアントレプレナーシップとイノベーションを組み合わせるラーニングデザインも論理的必然。

注目すべきは、MITのビジネススクールの全学生に対してE&Iのコア科目履修を義務づけたことだ。さらにE&Iの発展科目に関しては、コア科目の優秀層にのみ履修を認めるとしている。アントレプレナーシップとイノベーションを同時に学ぶというのは、今や国家技術覇権戦略にはじまり、ビジネス教育産業の差別化戦略でもあり、優秀階層のキャリア差別化戦略でもある。それだけE&Iには人気があり、特定分野の技術覇権構築、維持を狙うアメリカ国家、大学、個人(知的ビジネスエリート階層)のベクトルがピタリと合っている。

ひるがえって日本はどうか?変質の途上にあるとはいえ、終身雇用、表面を糊塗した言い訳程度の成果主義、内向きの組織風土に過剰適応した会社員は、起業のリスクを進んでとろうという気風は低い。開業率の低空飛行はOECD加盟国中、毎年最下位である。その結果、イノベーションが新規開業の組織から発生する頻度は低い。したがって、非連続的かつ破壊的なイノベーションは日本のベンチャー企業からは出にくい、ここに日本国家としてのMOTの弱点がある、というのは大方のMOT論者の言うとおりだろう。

ここ数年間でMOTを研究し教育するとされる専門職大学院の数は激増だ。MOT業界のサプライサイドのバブルの感なきにしもあらず。しかし需要サイドはけっこうお寒い。実は、私立大学のMOTでは入学者試験倍率が1.5以下の大学院が大方を占めているのである。MOT専門職大学院が技術と経営を統合するという言説のもと、その多くは工学部の上位に設置された大学院で教えるというものだ。

MOT大学院からしてみれば安定した学費の支払い能力があり、大学院のマーケティング上プラスに働くようなブランドネームを持つ企業から派遣学生を多く受け入れたいのはやまやま。会社にもどった社員が「はい、さよなら」とか言って辞めて起業したのでは派遣元の会社は怒ってしまう。したがって無意識的に大企業の改善型MOTを支援するようなカリキュラムが組まれる方向に力がはたらく。

それやこれやで、QCD(品質、コスト、納期)に優位な力を誇示した1980年台までの大規模製造業が主導した日本型連続的プロセスイノベーションを日本型MOTであるとあえて言うのならば、それもよかろう。しかし、日本型MOT大学院がアントレプレナーシップを教えるというのは自己否定から始めなければなるまい。

さもなければ、不毛な結果に終わりがちな社内起業家(イントレプレナー)養成とでも言ってお茶を濁すか?あるいは、同じイノベーションでもノン・プロフィットの社会起業に鞍替えをするのか?いろいろなオプションがあろうが、一本スジのびしっと通ったアントレプレナーコースがあってもいい。

さて、MITのみならずアメリカのトップスクールでは実際の起業経験のあるプロフェッショナルがE&Iの教鞭をとっている。なぜか?

バスケットボール選手の経験がないバスケットボールチームの監督はありえない。水泳選手の経験がない水泳コーチはありえない。同様に起業経験がない人間には起業を教えることはできない、という確固とした合意事項があるからだ。観察対象から離れ客観的な位置を確保するという社会科学(じつは技術経営の経営の部分をあつかう経営学という学問は確固とした体系がないので、正確には社会科学とさえいえない)としてではなく、経験産業アカデミアとしてアントレプレナーシップに接近するさいには、観察と参与が入れ子構造になっている「経験」がものをいうのである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿